個人の自己は社会的関係に先立って存在するのだという(静態的)見方へと後退することではなく、象徴的なそのもの自体は、必然的な変化を被るときには、破壊されることはないのだということが保証される必要性を思い出させてくれるような、そういう個人の自己についての見方に回帰することである。
主著に「詩的言語の革命」がある。フランスの思想家・精神分析家である。実に様々な考え方がある。もっとも、作者が何を伝えたいのか、小生の頭では理解できない。残念ながら。もっと、勉強せねば。
個人の自己は社会的関係に先立って存在するのだという(静態的)見方へと後退することではなく、象徴的なそのもの自体は、必然的な変化を被るときには、破壊されることはないのだということが保証される必要性を思い出させてくれるような、そういう個人の自己についての見方に回帰することである。
主著に「詩的言語の革命」がある。フランスの思想家・精神分析家である。実に様々な考え方がある。もっとも、作者が何を伝えたいのか、小生の頭では理解できない。残念ながら。もっと、勉強せねば。
しかし、天星さんのところで誤って2回やってしまいました。ごめんなさい。
恐れ入りますが、一つを削除していただけますか?どうぞよろしくお願いします。
ほぼ毎日、「かめ姫の伊豆日記」に訪問させてもらっています。小生とはまったく違う文章タッチで、感心しています。
末っ子が何やら整理中、まさに自己は家族より優先ね!
取り散らかってる部屋を少しづつ、片付け、ため息漏らしてしまうのでした。
読めば読むほど超難解、理解不能でも
頭の体操になります
まぁ、これは彼女は彼が好きだが、性欲は感じないという事例にあたる。彼は妻帯者かつ元上司であるからして、非常に稀な事例ではある。さらに落ち合った都市まで、彼女は都合をつけてやって来た。しかし、これで良かったというのが、小生のコメントであった。間違っても、ホテルの自室で押し倒してはいけない。彼我は違うことを期待しているのだから。彼は良い上司と妻帯者を(つまり世間を)演じきったのだ。これで果たして良かったのかが、彼のテーマであった。
この話をした後、彼は小生に「祭りのあと」(だったかなぁ 吉田卓郎の歌)を歌ってちょうだいとのたまう。はいはい、承知いたしました。この話、本当かいな。
だがしかし、他人のことは冷静に言えるが、自分のことはどうなんだという声も自身の中にはある。確かに。