愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

偉人5 名言 人間ナザレのイエス 思想 1

2014年05月18日 | 偉人5 ナザレのイエス
 西暦は6世紀にイエスの誕生の翌年を紀元1年とした紀年法
です。史実としては紀元前4~6年に誕生。西欧の思想の中核と
してのキリスト教の影響が余りのも多大であり、イエスの実体は
キリスト教のフィルターによって神格化されたベールに覆われて
います。
 ナザレのイエス、イエスはユダヤ教のユダヤ人として30才の
時、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、洗礼者ヨハネと袂を分かち、
ヨハネが領主ヘロデによって死後、イエスはエルサレムに行き刑
死した。その活動期間は3年足らずでした。二人とも混乱した国
の現状、庶民の人々の苦労とユダヤ教に不満を持っていました。

 動乱の地ユダヤ、紀元前10世紀に統一された古代イスラエル
王国は南北に分裂し、BC8世紀によって北王国は滅び、BC7世紀
新バビロニアによってアッシリアが滅び、北王国が解放、BC6世
紀には南王国は新バビロニアによって滅ぶがペルシア王国が新バ
ビロニアを滅ぼし、バビロニアから解放された。BC4~2世紀に
はギリシャのマケドニア王国、各王朝の支配下となり、動乱の中
でBC1~2世紀、ユダヤ国家を成立。ローマ帝国がBC1世紀に進
出しシリア属州の一部となった。
 ユダヤ教は紀元前7世紀ユダ南王国ヨシア王時代に完成した。
ヤハウェを唯一の神とし、キリスト教での旧約聖書を聖書として
いる。発祥はBC13世紀のモーセに遡る。天地創造、アダムとイ
ブからモーセの十戒等、神とユダヤ人の契約、取引です。戒律、
掟を守れば神は契約の幸を果たし、契約を破ることは罪であり、
罰が与えられる。戒律は食生活等の生活の総てに及び、選ばれた
民であり、祭政一致の社会だった。イスラエル北王国が滅亡した
首都サマリアではユダヤ人と他民族の混血の子孫をサマリア人と
してユダヤ人は軽侮していました。

 ヨハネはユダヤ教の律法順守を盾に「悔い改めよ 天の国は近
づいた」は預言者、救世主の言動であり、領主や司祭と敵対する
ユダヤ教改革、原理主義と考えられます。
 イエスはユダヤ教の律法、戒律主義を批判し、「差別され虐げ
られた最下層の人こそ天の国は近い」マルコ伝がイエスの奇跡の
行為を様々に列挙していますが、奇跡はその内容ではなく、接し
た人々が庶民であり、最下層の女性であり、病める人々であった
ことです。それが革命的であればこそイエスはユダヤ教の司祭か
ら磔にされた。
 イエスの不幸は当時のユダヤ社会には”愛”という概念が無い
のではないか?神の罰、戒律はユダヤ教そのもので有り、ヨハネ
伝の「初めに言があった。言は神と共にあり。言は神であった」
は旧約聖書そのものですが、イエスは旧約聖書の根幹である差別
主義を否定しました。しかし、イエスの認識はユダヤ教を否定す
るまで至らず、後世のキリスト教が律法主義での十字軍や魔女狩
り等の多くの弊害は新旧の聖書合体の弊害です。
 イエスはユダヤを占領したギリシャとのヘレニズム文化の中で、
アガペー、愛を自分の思想の根幹に取り入れたのではないか?
しかし、神、キリスト、マリアの3つによって均衡を保っている
教会は論理の矛盾を露呈しています。
 罰を与える神は人を支配する神であり、人は神に服従します。
律法に「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる
あなたの神を愛せよ」が有りますが、ここでの「愛」は奉仕する
愛です。「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」は命令さ
れる愛です。隣人を愛せない人には只の言葉でしかありません。
「自分自身を愛するように隣人を愛せる自分になりなさい」で命
令の論理は成立します。
 神は愛である。愛を与える神は人を許す神です。遠く唐に伝わ
った景教は日本で許しの阿弥陀仏となりました。
 イエスがおぼろげに感じた愛とは神と人の関係ではなく、人と
人との関係であったと感じます。

East of Eden(1955) - Theme Music




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偉人5 名言 人間ナザレのイエス 思想2

2014年05月17日 | 偉人5 ナザレのイエス
2014-05-25 13:00:08 投稿


 前回はマルコ伝の 洗礼者ヨハネは天国の最も小さいものでも彼よりは大きい。からヨハネはユダヤ教の原理主義者としました。
 ユダヤ教を従順に学んでいた正義感の強いイエスはヨハネから、
反逆する正当性を学びました。そして、イエスは安息日や食事の律
法を守る事の愚かしさ、それまでの律法を称える王や司祭、律法学
者こそが神に近い存在から、富んでいる者が神の国にはい
るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい
現世に神の国
を実現するユダヤ教のメシアから貧者、虐げられた人々を天国への
救済、天国と地獄への選別というユダヤ教にはなかった思想が導入
された。現世が神の国になるという思想から、死後の復活と天国と
いう曖昧な認識で、神の国は近づいた。どこまでが、イエス生前の
考えかは不明ですが、マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝と強くなってい
ます。ユダヤ社会の終末論、メシアの待望と混在しています。マタ
イ伝ではユダヤ教の知識が無いと理解が進まない内容から、他の福
音書がつくられたのでは?
 イエスと洗礼者ヨハネは異母兄弟という説もありますが、少なく
とも、確実なことは母マリアはイエスを婚外子として受胎し、年の
離れた養父ヨセフに嫁いだ。処女受胎が奇跡のしるしとしての伝承
こそ、ユダヤ社会、ナザレ村の共同社会の中でイエスが過酷な偏見
を受けて育った証しではと。ナザレ村では奇跡は為しえなかった。
 生命の自然発生(無生物から生物が生まれること)説は19世紀
パスツールによって完全に否定される迄、多かれ少なかれ信じられ
てきた。今日では男性のY染色体を持つXXY型の変異遺伝子を持つ女
性、しかし、流産か死産となり、マリアは生存していない。
 ユダヤ社会の底辺で苦しむ人々、不正義を正すイエスはユダヤ教
の改革派、異端派としてあった。洗礼者ヨハネの死の衝撃はイエス
に強烈な決断を迫った。死を賭して宣教するか、宣教を止めるか。
救世主(メシア ヘブライ語、キリスト ギリシャ語)を自認する
に至ったイエスはエルサレムの死地に向った。

 18世紀の市民革命、近代ブルジョア社会を樹立したフランス革
命ではキリスト教会(カトリック)の聖職者は特権階級に属してい
たため弾圧された。しかし、イエスの考えは近代市民主義の原理と
なった自由、平等、友愛と相容れない為では無かった。当時イエス
が糾弾したユダヤ教の律法主義そのもの教会であったからである。
 イエスは与えられる愛、奉仕する愛から人間同士が愛し合う愛を
抽出させた。パウロやアウグスティヌスによって世界宗教になった
キリスト教は政教分離を成し遂げたものの、始めに言葉有り、言葉
は神である。によって巨大な偶像化された教団となった。16世紀
マルティン・ルターは宗教改革で、神の前では人はすべて平等とし
て、個人の自由と尊厳を訴えた。しかし
 人権思想の最初として、13世紀イギリスのマグナカルタ、専制
君主の政治から議会の承認で権力の行使する民主主義の原点として、
貴族やカトリック聖職者の反乱によって議会が成立。14世紀のル
ネサンス。神を中心とした中世の教会至上からギリシャやローマの
古典文化から現世の肯定、個性の重視、感性の解放として、自由な
人間中心の文化が、キリスト教の人類愛と融合して、合理主義と人
間尊重の思想となり、18世紀になって「人権宣言」自由・平等・
博愛が発表された。
 イエスの思想の原点はマルコ伝を読んだ感想として、みだりに称
うべきでは無いヤハウェの下、自由・平等・博愛であると信じます。
 それは、残念ながら教会の三位一体の否定になります。

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ナザレのイエスからキリストを創ったパウロ

2014年05月15日 | 偉人5 ナザレのイエス
2014-06-07 16:15:36 投稿

 前回、イエスは与えられる愛、奉仕する愛から人間同士が愛し合う
愛を抽出させた。としました。何処まで真実かは疑問が残ります。イエ
スの死後、ユダヤ教ナザレ派としてユダヤの律法を守り、イエスの名を
出して宣教しない事でエルサレムに留まったエルサレム教会や、古代シ
リア現トルコのアンティオキア教会等が設立。イエスの死後2年、旧バ
ビロニア圏、小アジアからの帰還ユダヤ人ステファノがエルサレムのユ
ダヤ教会で石撃の刑、大勢の者が石を投げつけて死に至らしめる処刑
で殉教。パウロはこの時は虐殺側にいた。ステファノ惨死の衝撃、血の
臭いは律法と神の間に楔を打ち込んだ。しかし、パウロ自身がクリスチ
ャンを迫害したように、始めに言葉ありきの怖さを痛感せざるを得ない。

 それは、神と人のパラドックス。神が生きる人より優先し、法が人よ
り優先する悪魔のささやき。私は復活であり、わたしを信じる者は、死
んでも生きる。 善人なお往生をとぐ,いわんや悪人をや。
 パウロは主を身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない。
 アウグスティヌスは罪の原因は私の自由意志である。

 踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。その足の痛さだけでもう充分
だ。私はお前たちの その痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はい
るのだから。
 沈黙 遠藤周作

 言葉なきぞ 悲しき
 行いを持って語る言葉
 熱き心 一葉の葉なく
 言葉を持たぬ者の悲しみ
 言葉なきぞ 悲しき

 新しい宗教を予感する、宗教の未来形は人と人の関係に有り、
神は大宇宙の原理となり、人は 人と人の間で幸福を築く
それが宗教? 人を信じる 信じることは信仰なりと
言葉は創造される 時は下り 人間の尊厳が復活した 


 作詞 西條八十、作曲 成田為三
歌を忘れたカナリヤは うしろの山に捨てましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋けましょうか
いえいえ、それはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に銀のかい
月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す
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