愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

宗教の哲学2、宗教の矛盾解消は可能。カルトを糾弾する

2023年06月07日 | 生命の宗教

 人間は太古の昔から、知識を伝え、新たな知識を蓄積し発展させてきました。
科学技術だけで無く、思想、宗教を含む総てが人類の歴史です。現代の文明文化はその遺産の上にあります。
同様に一人の人間は生命の定めとして亡くなります。赤子として生まれ、成長し、異性とつながり、次世代を生み育て、人は死を迎えます。
 生きる目的は生きることであり、命をつなぐことです。様々な変化や状況の中で生きぬき、そして死を迎えます。人の生死は
 自分が死ねば自分の生き様から、慈しみ愛した人の人格として転移が完了します。但し、総てが完全に移転する訳では無く、反面教師として、本人とは逆の人格として、その人なりに人格を受け継ぎます。これが命ある生物のとして宿命であり、人類の歴史です。今日では書や音声。映像が記録として残り、故人の再発見もあります。それだけでは無く、宗教を熱心に師事する人ほど、宗主の人格を受け継いでいます。
 念ずれば花ひらく の仏教詩人 坂村真民
 花は散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

 わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
・・・

 霊魂や魂の不滅を訴える宗教があります。一神教や多神教がすべからく霊魂の不滅を訴えているわけではありません。現代の科学は意識の発現の仕組みを解明しつつあります。
 目や耳、鼻や口などの感受装置が無ければ新しい情報は入って来ず、頭の内部でも神経細胞がシャットダウンし、ホルモン分泌などが無ければ刺激を受けて意識は芽生えません。
 私達はモノや言葉に心を込めることができます。それによって他の人も同じ心を感じることができます。多くの思想・芸術が生まれ、人は共感することで人間性が発達します。
 思想信条の自由は侵さざるべきものです。しかし、社会に害を与える考えを社会に拡げることは許されない行為です。
 私が反発するのは、ある教団の教主が唯心論唯物論の対比の中で、唯物論に心は無い、動物のママであり、唯物的な世界観がエゴで社会を乱す元凶であるとし、保守政治家と迎合して自らの浅学さを披露していることです。
 宗教団体の「幸福の科学」は名称からして欺瞞があります。英訳の通称としてHappy Scienceが使用されています。医学がmedical scienceと同じ用法です。よく政府が宗教団体として認可したものです。世界平和家庭連合もそうです。
 なぜ批判するか?ゼロor100%、教団自体が社会の混乱を招く原因になっていないか?ある教団の教義と他の教団が共存できるか?共通認識で共存共栄できるか?です。反科学思想、反社会思想が差別偏見を拡大させます。世界が東西対立、南北対立、宗教対立があり、現在は一部の人の自由が多くの人の自由を疎外しています。多くの宗教家が自己満足の中で、加持祈祷に没我し、世の人々の幸福に直結する行いをしないことです。智者であり賢者である立場を忘れています。自教団が世界に普及浸透することは夢物語です。宗教としての共通認識を多くの教団と共有することが人々の幸福であり、平和や人権・平等の確立が可能です。
 創造主の人格化を止め世界の創造主とすべきです。それだけで科学と矛盾しなくなります。
 ここに宗教団体が持つべき共通認識は
  自由・ 愛 ・公平 の原理
  人権・平等・平和 の原則

であると宣言します。 詳細は続く

宗教の哲学 1、 カルトとの決別 蓮如、日蓮は大丈夫?

2023年06月06日 | 生命の宗教

 
2023-06-04 更新2023-06-06
 
 宗教が社会問題になるのは宗教自体のカルト性です。排除することは可能?現実に多くの宗教が有り、それぞれに教義も儀式もあります。教団によっては教義を拡め、大きくすることが目的化している教団もあります。他の教団を排斥、軋轢を厭わない教団も危険です。今日ある多くの教団の拡大期にある現象です。又、反社会的組織としてカルト教団があります。定義は最下部に広辞苑の解釈を参照。
 世界にある多くの教団がそれぞれの主義主張をしています。アメリカにはカルトだけで2千もあるそうです。歴史の違い、言葉の違いを乗り越えた共通認識を拡げていく必要があります。
 宗教の存在意義は現在を生きる人の幸せを願い、不安や苦しみを取り除くことにあります。思想信条の自由は政教分離で確保されました。経済的社会的な問題は政治の役割である以上、政治を司る人間の心の問題や課題を問わなければなりません。
 私は宗教の専門家ではありません。言葉は現代の言葉で意訳して解釈します。専門家からは断絶があるかも知れませんがご了解して下さい。よって、教条主義からの批判はご遠慮下さい。教義の本意からの批判は歓迎します。仏教が一番に馴染みがあり、そこから始めます。中村元は釈迦の言葉として
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
現代語として宗教の目的として十分に通用します。
 輪廻や来世を信じない私にとって、自力本願と他力本願に差はありません、仏教界にはウソも方便と言う言葉があります。悟りに至る覚悟をどう身に付けるかだけの問題です。
 私が最も親しみがあるのは親鸞です。自分に正直であり、論理的であることです。僧侶が智者であり、女戒を含めた戒律を守る。凡人では真似の出来ない戒を守ることができる賢者として人々から尊敬を受ける必須の要件でした。しかし、親鸞は修行の中で性欲と苦闘し、法然の阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏をとなえれば死後は地獄に落ちること無く、平等に救われる。に希望を見出しました。
 内省が重要な仏教の修行の中で、常識であった禁欲から性欲を肯定する親鸞は必死の決断であったと思いいます。法然とともに僧籍を剥奪された親鸞は非僧非俗として妻帯し、愚禿釋親鸞と名乗りました。それが親鸞の道義であり、弟子一人ももたずそうろう。煩悩具足の凡夫として煩悩・欲を肯定する、現世での抑圧から人間性回復を願う一人として浄土宗を深めました。
 平安末期より浄土宗は始まり、空也、源信、一遍、一向などが活動していました。浄土真宗が爆発的に大きくなったのは8代目の蓮如の時代です。「極楽往生」と「後生の一大事」、死後をイメージさせ現世をどう生きるかを訴えて信者を集めて大教団に成長させました。「後生の一大事」と「生死を超克する即仏」は浄土真宗各派で少しづつニュアンスが違うようです。「生死を離れる」これは浄土真宗だけでなく、釈迦由来の仏教の共通事項です。四法印として諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦がありますが、私はプラス思考で諸行無常、諸法無我、覚悟すれば一切皆楽で十分と考えます。「心頭滅却すれば火もまた涼し」があるぐらいです、苦から楽に変換する方が簡単です。今の親鸞会は後生に極楽と地獄を設定し、地獄から逃れる生き方をする教えを説き、親鸞とはかけ離れています。浄土真宗各派からは異端とされ、反社会的な募集で社会問題になっています。
 歴史的に見れば、宗教は社会体制を維持するためである側面と現実の不満から従来の教義の解釈が個人によって変わることで多くの宗派が生まれています。
 日本の仏教界では仏教伝来以来の南都仏教、僧侶となるための出家の得度の儀式や僧侶の資格は戒壇での受戒でした。免税の要件であり、人数制限の中で私設僧もいました。南都仏教が独占していましたが平安時代に最澄が比叡山で戒壇を設け天台宗が学問の中心として禅宗以外の各宗が鎌倉時代、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗が新しく興りました。
 法然は持戒や難行を必要としない称名念仏を万人成仏の具体的な手段として見出し、専修念仏を広めました。日蓮は末法の世では法華経を唯一無二であるとして。真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊と天台宗も含め他宗を攻撃し、空海の密教に習って教義の神秘性を高めた本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇を三大秘法としました。法華経は釈迦の死後2,3百年後に成立したとされていますが、プロローグの次に方便の章があるのはせめての作者の良心?釈迦が死の間際に残したとされる自灯明・法灯明では無く、16番目の如来寿量品の章で自我得仏来、久遠実成の永遠の存在として人間釈迦を神格化しました。日蓮はこの2つの章が末法の世では法華教の中では最も重要としました?総てが方便?とも曲解されかねない中で、観心本尊抄等、南無妙法蓮華経が唱題行として、凡人の身の中にも仏性が目覚め、成仏できるとしました。
 日蓮系の創価学会では「一生成仏」として、「仏の説いた通りに修行するなら、必ず一生のうちに一人も残らず成仏できる」となっています。違和感を感じます。たとえ帰依するとしても、仏の説いた通り?とは自己喪失では無いですか?空海の真言宗には同行二人と言うすごい発想で信者の人格を認めています。上意下達、大いなる疑問です。又、冨士大石寺顕正会では国立戒壇建立を見つめているそうです。

 平和を説く宗教、宗教各派が宗教内をまとめ切れない。共通認識を作り連合できない現実があります。仏教系、キリスト教系、イスラーム系など、世界では自派内ですら国家の戦乱が絶えません。宗教者、教団は何をしている。祈ってます?祈りが成就する?祈るだけで教団は大きくなったか?自派が世界を席巻すれば平和が実現する、なにを寝言を言っている、分派が増えるだけの混乱の歴史を理解せよ!一歩前へ歩みを進めよ!

念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった

 坂村真民の詩ですが、知ったのは十年単位の昔のことです。webでと思います。仏教詩人?当初は法華教系?仏教詩人と言えば、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」も法華教系?と思い浮かびます。相田みつをの「にんげんだもの」もありますが?
 宗教は、思惟や行為でなく、直観や感情、言霊や霊言と言いまが、言葉が持つ意味や解釈以上に、それを使う人の心がこもっていると言えます。芸術もそうですが、現実の生活でも、言葉を発する時に感情を込めることが可能です。宗教感覚を言葉にする、それを他人が感じられる。と言う事ならば、より万人が理解できる表現が良いに決まっています。漢文や比喩、方便でない言葉の方が親切です。
 私は十年程前、思い人へ愛着離別を超えた理屈ぽい詩を作ったことがあります。
抜粋
夕映えに 君が瞳の 輝きて 我が青春の いのち沸き立つ
You give me a reason and power to live for.
Your smile gives happiness and energy to me.

鳳凰となりて時空をも旅する
 私が有る限り貴方はあり、貴方が有る限り私はある
 Even if the love is happy ends or broken heart.
 You must get self confidence and a pride by it. (Youは私のことですが)
 You have a fact you loved the lover.
 You can complete bigger personality.
 It's your deep and intense mind for lover.
 You can live stronger and more kindly.
 It's your good life to get love and protect lover.
 You can change yourself to be more charm and big greater.
 Yes, that's true! By your love, you can be happy!
勢いで書いた「私が有る限り貴方はあり、貴方が有る限り私はある」に不思議な感覚を覚えました。愛の告白であると共に、過去から現在、現在から未来へ、人間が文明、文化を築き伝え、発展させてきた歴史そのものではないかと、ピタゴラスの定理は私の人格の一部分であると。
 そして私の母が亡くなった時、死の告知案内を作るとき、真民の詩に出会いました。
  花は散ったあとの悲しみはない
  ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

で頓悟しました。死者は一人さびしく死ぬのではない、生きている間に慈しみ接した愛する人の中に移転する、その人の人格として生き続ける。若くして亡くなる人もいます。親兄弟などはその原因を取り除くことに生きる意味を見出します。信仰心が無いが故の発想ではありません。あなたに信仰心が有るならば、宗主はあなたの中で生きています。
 これが事実ではと思いますがどうでしょうか? では冒頭に記した釈迦の言葉
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
 現代の社会用語で表現すれば?
生きる幸せ 原理 自由・ 愛 ・公平(フェア)
その条件は 原則  人権・平等・平和 

が満たされることではないかと考えます。そして、女性の差別偏見は日本の文化に深く根付いています。性の解放の認知は欧米から50年の遅れを取っています。
 宗教界に内部対立があります。同じ宗派ほど解釈の違いで対立が目立つのが現実です。思想信条の自由を宗教に当て嵌めれば、共通認識を出すことです。宗教の目的とは?現実の社会と教条は乖離していないか?教団存続の方便になっていないか?加持祈祷を望む人がいるから行う共依存の悪習になっているのではないか?
 宗教は国や共同体を思想面で強める役割を担ってきた経緯があります。儀式であったり、或いは非日常の余暇そのものとして役割ありました。レジャーが多様化した中で教団存続は社会教育施設の役割を見出さない限り存続が難しく、冠婚葬祭に甘んじる姿勢は許されません。或いはカルト化に進みますか?
 宗教人が智者、賢者である自負を持つならば、人々の自由と愛をフェアに両立させ、人権、平等、平和を守る重要性を公布しなければなりません。人間性解放が時代の流れであり、教団は個人の自立確立を養成する役割があります。同行2人を誰にするかは教団が決めることではありません。

追記:浄土宗や浄土真宗が仏説無量寿経は法華経が釈迦を神格化した以上に阿弥陀仏を創成しました。鎌倉時代には仏教の成立史が明らかでは無く、大蔵経七千巻一切が釈迦の創作とされていたようです。魑魅魍魎の多仏説を疑わない?

広辞苑無料検索より カルト 抜粋
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。
 その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。