愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

後藤新平

2014年02月06日 | 偉人

東日本大震災の復興庁との比較で帝都復興院、後藤新平が注目
されています。
 金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。
    人を残して死ぬ者が上だ。

死の3日前の名言として有名ですが、強烈な価値観を持つ人です。
 財をなして名を石に刻むより、仕事を為して、人を育てよ
凡人には自然と母の事を思います。
 吾を生み育てたる母のこと、思えば頭が下がります。

安政4年6月4日〜昭和4年4月13日(1857年7月24日〜1929年4月13日)
明治、大正の動乱の時代を猛烈に生きた大日本帝国の有能なる行政
官僚、49才男爵65才子爵71才伯爵、貴族院議員政治家、72才没、
年少より漢学を修養し、医学の習得とともに西欧の知識も明るい
積極主義、合理主義、現実、理想主義を併せ持つ 曰く

 人生は運命の機械ではない。人間は人生を改革し、
 創造し得られるべきものである。

 彼も人なり、吾も人なり

 我、かくの如く此処に存在するのが即ち人生の意義である。

 人生を造れ、人生を造るものは我也

 一に人、二に人、三に人


 ナポレオンと豊臣秀吉を尊敬し、現代の日本にあれば日本国憲法
の寵児たるや、時代の風雲児にして、余人を意に介さない仕事の鬼。
言や良し、釈迦、キリスト、孔子も人なり、弘法、法然、親鸞、日蓮も人
なり、思想宗教家に限らず武人、政治家、実業家、時代を凌駕する
風雲児、鉄腕なれと
 快男子と言えども惜しむらくは時代の子、大正デモクラシー旺盛の
時、普選活動するも大正5年日本膨張論や大正15年公民読本は大日
本帝国の神髄を謳歌する。明治政府は王政復古から立憲君主制の国家
であった。しかし、昭和になると、死後の昭和7年5.15事件によ
って晩年の盟友であった犬養毅暗殺。現人神、天皇が治める絶対天皇
制、軍国主義の帝国に変貌した。帝国崩壊を見ること無く昭和4年永
眠。
 氏の伯爵への栄達と かくの如く此処に存在するのが人生 が与え
た影響は大であったかとも思う。思想を遡れば1つに漢学がある、
江戸の封建時代の儒教社会で朱子学が幕府公認の学問の中、陽明学が
危険思想とされる一方で、幕末の昌平坂学問所塾長、佐藤一斎著の
言志四録が明治維新の志士を育み、後藤新平を育てた。

余話
 今、自民党、安倍政権は天皇を君主にする改憲を目指しています。
立憲君主制での天皇機関説が昭和10年に排撃され、天皇が日本を
統治する政府声明、紀元二千六百年記念事業等、現人神の経緯や八紘
一宇、大東亜共栄圏、その後の現在を自覚しているのでしょうか?
 遡ること明治5、6年、旧暦から太陽暦に変更と共に、神武天皇の
即位をもって1月1日「紀元」として制定。3世紀末の魏志倭人伝の
邪馬台国、卑弥呼が比定されない今日、奈良時代に8世紀に作られた
日本書紀より、紀年が推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年(辛酉年)
から1260年遡った紀元前660年を皇紀元年とした説が有力な皇紀、建国
記念日は神話である


国立国会図書館デジタルコレクション
近代日本人の肖像後藤新平 真男子の鉄腕 参照

来歴 ウィキペディア
遠縁の蘭学者、江戸後期の高野長英が弾圧によって死亡のため
医術を修養、衛生局長・長与専斎により衛生局に採用される
日清戦争後の検疫で児玉源太郎の知遇を得、台湾民政局長に
抜擢され、後は満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣
東京市第7代市長、大正12年1923.9.1関東大震災、
内務大臣兼帝都復興院総裁、12月虎ノ門事件 後の昭和天皇
が襲われた事件により3ヶ月で第2次山本内閣の総辞職と共に
院総裁を辞任、この間、帝都復興計画を立案を立案するも計画
費用の2分の1削減、政治家として犬養毅と普通選挙を目指す
も政争の中で敗れて失墜、政治の倫理化を訴え野に下る
曰く 今の政党は利欲と権勢を相結ぶ私党となり政治を蹂躙
 以降、NHK初代総裁、ボーイスカウト初代総長
氏は始めより計画が壮大で衛生局時代の(国家衛生原理)台湾
総督府民政長官、満鉄総裁、鉄道院総裁等
 揶揄されてあだ名が大風呂敷
東京市長時には部下3名の名字に田が有る事からサンタクロース

 添田唖蝉坊:コノサイソング/土取利行(唄・演奏)他

当時の世相 復興節他
 NHK その時歴史が動いた 第327回
人を衛る都市をめざして ~後藤新平・帝都復興の時~

関東大震災と後藤新平・復興院の挫折 筒井 清忠



坂村真民

2013年10月22日 | 偉人

坂村真民さかむら しんみん、(1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
  ウィキペディア 参照

 念ずれば 花ひらく  で有名な坂村真民
 苦しいとき
 母がいつも口にしていた
 このことばを
 わたしもいつのころからか
 となえるようになった
 そうしてそのたび
 わたしの花がふしぎと
 ひとつ ひとつ
 ひらいていった

仏教の難解な言葉を廃し、本音で語った真民の
昭和40年9月に発行 詩集「もっこすの唄」より

  わたしは墓のなかにはいない
 わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
 だからわたしに会いたいなら
 わたしの詩集をひらいておくれ

 わたしは墓を建てるつもりで
 詩集を残しておくから
 どうか幾冊かの本を
 わたしと思うてくれ
  続く・・・       jikenkai 心に響く言葉 参照

仏教者であっても死後の世界を論じないリアリティ
二度とない人生を真剣に生きた真民
 私の詩集は私そのもの であると 

  参照 坂村真民の名言集You Tube