人間社会学 原論
3、生きる目的とは、自分とは?言葉は第2の遺伝子DNA
一人の人間、一つの生命の存在、自分とは?生きる目的とは?存在と認識の統合
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
他者と自己との関係で表せます。
それは、人間が生物として、そして、文明文化を受け継ぎ発展させて来たホモサピエンスの歴史、人間社会の一人の人間の生死、世代交代という命の連鎖があります、そして、文化の継承発展の歴史的な事実です。生物的な祖先、父母のDNAを受け継いでいます。そして、人格や人間性を形成する先人の文明文化を言葉として受け継ぎ、未来に発展させ伝える存在です。言葉は単に意思疎通の手段では無く、思考し意識する手段として言葉があります。言葉は第2のDNAと言えます。
これは人間の存在と認識を統合するものであり、アインシュタインが宇宙の法則 エネルギーと質量を統合する法則 エネルギーは質量×光速の二乗に等しい E = mc2 としましたが、それに相応する世界観です。 天在我有 我在你有 你在我有
私が在る限りあなたは在り、あなたが在る限り私は在る
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
これは観念論でが、認識論であり生物史に基づく存在論であがゆえに唯物論とも言えます。
注:私はこれを読む貴方自身です。私であって私でない人間として一体です。
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
人生の共通解です。私は何者かのアイデンティティーです。その前提として、生きる目的は命のバトンを受け渡すことです。生きること、命をつなぐことです。
愛する人が逝くときの覚悟であり、或いは、自分が逝くときの覚悟です。今何をなすべきか、そして未来への希望です。
生命の絆。愛とは私とあなたとの一体化、人格の合体の喜びです。私は多くの人を知れば知るほど恋い焦がれる愛すべき多くの他者がいます。しかしおよそ叶わないのが現実です。あなたに認められる、スゴイ!の賞賛を得たくて努力し成長する人間の姿があります。
Even if the love is happy ends or broken heart.
You must get self confidence and a pride by it. You have a fact you loved the lover.
You can complete bigger personality. It's your deep and intense mind for lover.
You can live stronger and more kindly. It's your good life to get love and protect lover.
You change yourself to be more charm and greatest.
人は時代の子として育てられ、自らの選択の中で学び成長します。
私は祈りを捧げない、難行苦行に意味はなかったとした釈迦の弟子たるを自認します。釈迦の弟子ならば仏教徒?限りなく無神論に近い絶対者の意思を信じない汎神論者です。 共産主義者ではありませんが、政治的にはシンパシーを持っていますが、原始共産制の社会を金科玉条とする共産主義の無分別を肯定しません。原体験として少年期から思春期の中で家族や社会の支配を受ける常識、掟と自我の対立、生きるためにどう肯定するか服従するかの選択、自由と隷属の葛藤と対立がありました。原始共産制の社会は弱肉強食の動物界から少し進んだ人間社会にすぎません。
1975年からのカンボジアのクメール・ルージュの悲劇は単に原始共産制を目指した虐殺だけで無く、ベトナムの侵攻にによって終結するというベトナム戦争後の冷戦下での国際政治の問題でもありました。国家間の対立は理念と利益等が複雑に絡(から)んだ国際問題です。
社会の権威常識と未成年の間には支配と服従、掟との対立があります。無分別にそのまま受け入れる人々もいます。順送りに従う、或いは、反逆。それはどんな時代にあっても総ての人に共通する問題です。無批判に掟を受け入れる誤りは差別を継承し、そして、対立は人権意識の確立とともに対立は弱くなる筈です。例、子どもの権利条約
WHO(世界保健機関)は憲章で、健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、單に疾病又は病弱の存在しないことではない。最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一である。ならば、平和とは人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに生きる万人の有する基本的人権です。
何故、敵対するか?相手に対する不信不安が恐怖と差別意識を煽ります。
アインシュタインは「すべての組織された宗教に反対」する汎神論、宗教人とは、死も生も恐れず、盲目的な信仰を持たず、自分の良心だけを信じる。
昨年76才で亡くなったブラックホールのホーキング博士は23才でALSを発症し50年の間死を見つめながら科学者として無神論を唱えました。科学法則が宇宙を支配しており、そこには神の存在する余地はない。偶然が重なって宇宙が誕生し、生命や人間も誕生した。
2千5百年前に釈迦が興した原始仏教は宗教とは縁遠いものでした。盲信的な原始的宗教の輪廻転生の呪縛を解脱によって解放しました。自灯明、法灯明という中庸を旨とした修行による悟りです。彼の偉大さは難行苦行を納めても得るものはなく、死後を語らず、自らを偶像とすることを否定し、弟子には自らをより所とし法をより所として自省し覚悟することを薦めました。そして彼は祈る行為をしなかった。
しかし、後世の弟子達は方便を認め、現実と宗教に迎合しながら、不合理な常識を是として死の恐怖をあの世の存在と祈りによる救済、末世末法で変化が拡大しました。
汎神論と無神論。それは釈迦の天上天下唯我独尊 中国語では上天下地唯我独尊 出典は唐の玄奘三蔵の大唐西域記ですが、かなり盛っていますが、生誕すぐに歩き出して話したと伝承されています。玄奘がインドの仏典からの訳か意訳かは不明、解釈は様々ですが、スマップの世界に一つだけの花の世界と理解するのが妥当と考えます。釈迦は命ある物は平等に尊い。絶対の自己肯定です。それは他者肯定につながります。釈迦が弟子に自灯明、法灯明に従う教えからも当然です。
偏狭な宗教者が唯物論者を物質的な欲望を満たす刹那主義、利己主義とみなす考えを持つ人がいます。資本主義の中で自由主義、個人主義が刹那的利己的な社会を増長させている現実に目を向けません。観念は言葉を自由にあやつり、現実から乖離しても空想を言葉で構築できます。科学には心が無いとして、科学を無視し、否定することと同じです。科学の知見を合理化しえない教義は錬金術と同じ幻想です。未だに進化論を教えない州政府を抱えるUSAが世界をリードする大国である筈がありません。思想信条の自由があります。個人の信念は尊厳として認められるべきです。しかし、次世代に嘘を教える権利はありません。自由主義の危機、破綻です。
煩悩成就 久遠実成 山川草木悉皆成仏 生死一如 をどう理解するかは人それぞれですが、現在の仏教の概略として理解します。38億年前に生命が誕生した時よりの生命史の大原則、人生の生きる目的は「生きること命をつなぐこと」です。無性生殖から有性生殖へ、世代交代によってとわ(永久)に命をつないできました。それが生きる目的?とガッカリされるかも知れません、しかし、人を愛すること、幸福な人生、人間性を高める、等を人生の目的とした場合、それは社会規範となって私達を縛ります。人を愛し幸福な生活はよりよく生きる手段です、人間性を高めるのも手段です。目的としてはなりません。なぜならば人間の尊厳は愛や幸福、人格によって計るものでは無いからです。命あるものはすべて尊い、それが人権です。
そして「世界平和のための戦争」のように本末転倒な言葉を否定できません、論理が逆転していても言葉が存在します。少しでも違和感を感じれば反対を貫くべきだったと戦後述懐した吉本隆明。感覚感情が感知する違和感、そこから逃げるべき必然性がありました。
「念ずれば花ひらく」で有名な仏教詩人の坂村真民は「わたしは墓のなかにはいない」
わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
だからわたしに会いたいなら わたしの詩集をひらいておくれ
わたしは墓を建てるつもりで 詩集を残しておくから
どうか幾冊かの本を わたしと思うてくれ ・・・
宗教は祈りが必須条件です。意思ある絶対者との一体化でもって完成する人格、懇願であり、又は許しを請います。安心して下さい。たとえ来世が待っていたとしても、あなたが祈る教祖が来世を良くしています。そして、多くの先に逝った親愛なる人々が良くしています。
祈れば願いは叶うのでしょうか?宝くじは確実に当る人がいますが、当否は確率によってランダムに決まります。そして多くの人の願いは叶いません。それは武運長久の祈願やお百度参りの祈りが砕けた多くの涙と同じです。神仏など無い、過酷な戦場で地獄を見た兵士や家族の実感です。
宝くじ当選の祈りは不確実な未来への願望ですが、誓いは宝くじが当たるまで買い続ける意思ですが、一万年たった後でも不明、大多数は夢を買うのが現実です。それよりも、エンゼルスの大谷選手の3×3マンダラチャートの方が有効です。お金は有れば有るだけ苦労のネタが増えます。
イチローの言葉に、当たり前だと思っている常識を取り払うことで飛躍できる。があります。私達の生活がどれだけ慣習に依っているか、それに問題が無ければ変化する必要が無いからです。変えるためには新たなカタチを構築するエネルギーが必要になります。又、形式と習慣の無いところには、どういう表現も行為も存在しないとも言います。
常識は時代、文化そのものです。言葉は意思伝達の手段として始まり、人の思考の手段として動物から人間へと革命を起こしました。共同社会の中で習得形成され文明文化を構築するものです。言葉-常識-言魂 常識が問われるのはそこに問題があり、不都合が発生するからです。言葉は時代に応じて変化します。
生物的には遺伝子DNAが人を規定しますが、人間としての知性、文明文化は言語によって後天的に学び体験を重ねることで人間として成長します。言語は第2の遺伝子DNAと言えます。動物から人間への飛躍は言葉の発展、進化でした。両者の大きな違いは遺伝子は体内の各細胞の中にあって必要に応じて活性化しますが、言葉の第2の遺伝子は社会の共同体にあって各人が多種多様な価値観を包括しながら発展します。
一人の人間は言葉の学習と経験によって人格を形成します。何を受け継ぎ発展させるかは個々の問題です。人類の歴史はおよそ500百年前迄で遡ります。旧石器時代は200年前、新石器時代は農耕が始まった時からで1万数千年前、メソポタミア文明、古代エジプト文明が5千年前。日本での文字は古墳時代から飛鳥時代に漢字として流入しました。 仲間の声、合図から生まれた発展した言葉から森羅万象を表現し、今日では自然言語以外に楽譜や科学用語として数式やコンピューターの形式言語など飛躍的に発展しました。
言葉は言葉によって学習できますが、抽象的な観念の理解は五感と言われる感覚、体感そして感情、情緒として喜怒哀楽愛憎、恐、共感の経験により実感します。言葉には意味がある、人は言葉で考える。意味の無い音でも感情、情緒を人に伝えることが可能です。合理的か不合理かを問わない、言葉はそれ自体が存在します。しかし不要な言葉は死語となります。胎児が脊椎動物の進化の過程をたどりエラや尻尾がアポトーシスによって消滅するが如、言葉にも成長に応じて獲得し、死語になるものもあり得ます。
文明文化を遡れば多くの新しい発見発明がエポックを起こしました。言葉、火、文字、農耕、印刷・・・天動説、進化論、19西紀以降の累乗的な科学の発展(相対性理論、ビックバーン、IT、DNA解析等)によって価値観の構成に変化をもたらします。
価値観に強いインパクトを与える感覚は恐怖です。生死に直結する恐怖と伴に思考や言葉、脅迫による恐怖があります。飢え渇きが恐怖である様に想像力は全てを恐怖と不安に陥れます。
現代日本の悲劇はアベ自民や維新が現状を正すためには戦前への懐古であり、自由主義社会での、自己責任と個人の自由の差別意識にあります。引きこもり100万人のいのちに対する侮蔑があります。
宗教や思想、言葉の相違からの対立、差別が憎悪となって幸福と平和な生活を享受出来ないことです。世界のありふれた対立、戦争が人々の命を奪い平和な生活を破壊します。平和は基本的人権の前提となる人権です。
平和のために戦争する懲りない現状。世界に充満する対立、不寛容と不自制、そこには偏狭な偏見と無知、差別が充満しています。そして戦争をネタに商売する人がいます。寛容と融和によって平和を構築出来ない主要な原因は戦争を生きるためと正当化し、偏見と差別を温存さる常識です。
3、生きる目的とは、自分とは?言葉は第2の遺伝子DNA
更新2019/12/28
一人の人間、一つの生命の存在、自分とは?生きる目的とは?存在と認識の統合
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
他者と自己との関係で表せます。
それは、人間が生物として、そして、文明文化を受け継ぎ発展させて来たホモサピエンスの歴史、人間社会の一人の人間の生死、世代交代という命の連鎖があります、そして、文化の継承発展の歴史的な事実です。生物的な祖先、父母のDNAを受け継いでいます。そして、人格や人間性を形成する先人の文明文化を言葉として受け継ぎ、未来に発展させ伝える存在です。言葉は単に意思疎通の手段では無く、思考し意識する手段として言葉があります。言葉は第2のDNAと言えます。
これは人間の存在と認識を統合するものであり、アインシュタインが宇宙の法則 エネルギーと質量を統合する法則 エネルギーは質量×光速の二乗に等しい E = mc2 としましたが、それに相応する世界観です。 天在我有 我在你有 你在我有
私が在る限りあなたは在り、あなたが在る限り私は在る
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
これは観念論でが、認識論であり生物史に基づく存在論であがゆえに唯物論とも言えます。
注:私はこれを読む貴方自身です。私であって私でない人間として一体です。
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
人生の共通解です。私は何者かのアイデンティティーです。その前提として、生きる目的は命のバトンを受け渡すことです。生きること、命をつなぐことです。
愛する人が逝くときの覚悟であり、或いは、自分が逝くときの覚悟です。今何をなすべきか、そして未来への希望です。
生命の絆。愛とは私とあなたとの一体化、人格の合体の喜びです。私は多くの人を知れば知るほど恋い焦がれる愛すべき多くの他者がいます。しかしおよそ叶わないのが現実です。あなたに認められる、スゴイ!の賞賛を得たくて努力し成長する人間の姿があります。
Even if the love is happy ends or broken heart.
You must get self confidence and a pride by it. You have a fact you loved the lover.
You can complete bigger personality. It's your deep and intense mind for lover.
You can live stronger and more kindly. It's your good life to get love and protect lover.
You change yourself to be more charm and greatest.
人は時代の子として育てられ、自らの選択の中で学び成長します。
私は祈りを捧げない、難行苦行に意味はなかったとした釈迦の弟子たるを自認します。釈迦の弟子ならば仏教徒?限りなく無神論に近い絶対者の意思を信じない汎神論者です。 共産主義者ではありませんが、政治的にはシンパシーを持っていますが、原始共産制の社会を金科玉条とする共産主義の無分別を肯定しません。原体験として少年期から思春期の中で家族や社会の支配を受ける常識、掟と自我の対立、生きるためにどう肯定するか服従するかの選択、自由と隷属の葛藤と対立がありました。原始共産制の社会は弱肉強食の動物界から少し進んだ人間社会にすぎません。
1975年からのカンボジアのクメール・ルージュの悲劇は単に原始共産制を目指した虐殺だけで無く、ベトナムの侵攻にによって終結するというベトナム戦争後の冷戦下での国際政治の問題でもありました。国家間の対立は理念と利益等が複雑に絡(から)んだ国際問題です。
社会の権威常識と未成年の間には支配と服従、掟との対立があります。無分別にそのまま受け入れる人々もいます。順送りに従う、或いは、反逆。それはどんな時代にあっても総ての人に共通する問題です。無批判に掟を受け入れる誤りは差別を継承し、そして、対立は人権意識の確立とともに対立は弱くなる筈です。例、子どもの権利条約
WHO(世界保健機関)は憲章で、健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、單に疾病又は病弱の存在しないことではない。最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一である。ならば、平和とは人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに生きる万人の有する基本的人権です。
何故、敵対するか?相手に対する不信不安が恐怖と差別意識を煽ります。
アインシュタインは「すべての組織された宗教に反対」する汎神論、宗教人とは、死も生も恐れず、盲目的な信仰を持たず、自分の良心だけを信じる。
昨年76才で亡くなったブラックホールのホーキング博士は23才でALSを発症し50年の間死を見つめながら科学者として無神論を唱えました。科学法則が宇宙を支配しており、そこには神の存在する余地はない。偶然が重なって宇宙が誕生し、生命や人間も誕生した。
2千5百年前に釈迦が興した原始仏教は宗教とは縁遠いものでした。盲信的な原始的宗教の輪廻転生の呪縛を解脱によって解放しました。自灯明、法灯明という中庸を旨とした修行による悟りです。彼の偉大さは難行苦行を納めても得るものはなく、死後を語らず、自らを偶像とすることを否定し、弟子には自らをより所とし法をより所として自省し覚悟することを薦めました。そして彼は祈る行為をしなかった。
しかし、後世の弟子達は方便を認め、現実と宗教に迎合しながら、不合理な常識を是として死の恐怖をあの世の存在と祈りによる救済、末世末法で変化が拡大しました。
汎神論と無神論。それは釈迦の天上天下唯我独尊 中国語では上天下地唯我独尊 出典は唐の玄奘三蔵の大唐西域記ですが、かなり盛っていますが、生誕すぐに歩き出して話したと伝承されています。玄奘がインドの仏典からの訳か意訳かは不明、解釈は様々ですが、スマップの世界に一つだけの花の世界と理解するのが妥当と考えます。釈迦は命ある物は平等に尊い。絶対の自己肯定です。それは他者肯定につながります。釈迦が弟子に自灯明、法灯明に従う教えからも当然です。
偏狭な宗教者が唯物論者を物質的な欲望を満たす刹那主義、利己主義とみなす考えを持つ人がいます。資本主義の中で自由主義、個人主義が刹那的利己的な社会を増長させている現実に目を向けません。観念は言葉を自由にあやつり、現実から乖離しても空想を言葉で構築できます。科学には心が無いとして、科学を無視し、否定することと同じです。科学の知見を合理化しえない教義は錬金術と同じ幻想です。未だに進化論を教えない州政府を抱えるUSAが世界をリードする大国である筈がありません。思想信条の自由があります。個人の信念は尊厳として認められるべきです。しかし、次世代に嘘を教える権利はありません。自由主義の危機、破綻です。
煩悩成就 久遠実成 山川草木悉皆成仏 生死一如 をどう理解するかは人それぞれですが、現在の仏教の概略として理解します。38億年前に生命が誕生した時よりの生命史の大原則、人生の生きる目的は「生きること命をつなぐこと」です。無性生殖から有性生殖へ、世代交代によってとわ(永久)に命をつないできました。それが生きる目的?とガッカリされるかも知れません、しかし、人を愛すること、幸福な人生、人間性を高める、等を人生の目的とした場合、それは社会規範となって私達を縛ります。人を愛し幸福な生活はよりよく生きる手段です、人間性を高めるのも手段です。目的としてはなりません。なぜならば人間の尊厳は愛や幸福、人格によって計るものでは無いからです。命あるものはすべて尊い、それが人権です。
そして「世界平和のための戦争」のように本末転倒な言葉を否定できません、論理が逆転していても言葉が存在します。少しでも違和感を感じれば反対を貫くべきだったと戦後述懐した吉本隆明。感覚感情が感知する違和感、そこから逃げるべき必然性がありました。
「念ずれば花ひらく」で有名な仏教詩人の坂村真民は「わたしは墓のなかにはいない」
わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
だからわたしに会いたいなら わたしの詩集をひらいておくれ
わたしは墓を建てるつもりで 詩集を残しておくから
どうか幾冊かの本を わたしと思うてくれ ・・・
宗教は祈りが必須条件です。意思ある絶対者との一体化でもって完成する人格、懇願であり、又は許しを請います。安心して下さい。たとえ来世が待っていたとしても、あなたが祈る教祖が来世を良くしています。そして、多くの先に逝った親愛なる人々が良くしています。
祈れば願いは叶うのでしょうか?宝くじは確実に当る人がいますが、当否は確率によってランダムに決まります。そして多くの人の願いは叶いません。それは武運長久の祈願やお百度参りの祈りが砕けた多くの涙と同じです。神仏など無い、過酷な戦場で地獄を見た兵士や家族の実感です。
宝くじ当選の祈りは不確実な未来への願望ですが、誓いは宝くじが当たるまで買い続ける意思ですが、一万年たった後でも不明、大多数は夢を買うのが現実です。それよりも、エンゼルスの大谷選手の3×3マンダラチャートの方が有効です。お金は有れば有るだけ苦労のネタが増えます。
イチローの言葉に、当たり前だと思っている常識を取り払うことで飛躍できる。があります。私達の生活がどれだけ慣習に依っているか、それに問題が無ければ変化する必要が無いからです。変えるためには新たなカタチを構築するエネルギーが必要になります。又、形式と習慣の無いところには、どういう表現も行為も存在しないとも言います。
常識は時代、文化そのものです。言葉は意思伝達の手段として始まり、人の思考の手段として動物から人間へと革命を起こしました。共同社会の中で習得形成され文明文化を構築するものです。言葉-常識-言魂 常識が問われるのはそこに問題があり、不都合が発生するからです。言葉は時代に応じて変化します。
生物的には遺伝子DNAが人を規定しますが、人間としての知性、文明文化は言語によって後天的に学び体験を重ねることで人間として成長します。言語は第2の遺伝子DNAと言えます。動物から人間への飛躍は言葉の発展、進化でした。両者の大きな違いは遺伝子は体内の各細胞の中にあって必要に応じて活性化しますが、言葉の第2の遺伝子は社会の共同体にあって各人が多種多様な価値観を包括しながら発展します。
一人の人間は言葉の学習と経験によって人格を形成します。何を受け継ぎ発展させるかは個々の問題です。人類の歴史はおよそ500百年前迄で遡ります。旧石器時代は200年前、新石器時代は農耕が始まった時からで1万数千年前、メソポタミア文明、古代エジプト文明が5千年前。日本での文字は古墳時代から飛鳥時代に漢字として流入しました。 仲間の声、合図から生まれた発展した言葉から森羅万象を表現し、今日では自然言語以外に楽譜や科学用語として数式やコンピューターの形式言語など飛躍的に発展しました。
言葉は言葉によって学習できますが、抽象的な観念の理解は五感と言われる感覚、体感そして感情、情緒として喜怒哀楽愛憎、恐、共感の経験により実感します。言葉には意味がある、人は言葉で考える。意味の無い音でも感情、情緒を人に伝えることが可能です。合理的か不合理かを問わない、言葉はそれ自体が存在します。しかし不要な言葉は死語となります。胎児が脊椎動物の進化の過程をたどりエラや尻尾がアポトーシスによって消滅するが如、言葉にも成長に応じて獲得し、死語になるものもあり得ます。
文明文化を遡れば多くの新しい発見発明がエポックを起こしました。言葉、火、文字、農耕、印刷・・・天動説、進化論、19西紀以降の累乗的な科学の発展(相対性理論、ビックバーン、IT、DNA解析等)によって価値観の構成に変化をもたらします。
価値観に強いインパクトを与える感覚は恐怖です。生死に直結する恐怖と伴に思考や言葉、脅迫による恐怖があります。飢え渇きが恐怖である様に想像力は全てを恐怖と不安に陥れます。
現代日本の悲劇はアベ自民や維新が現状を正すためには戦前への懐古であり、自由主義社会での、自己責任と個人の自由の差別意識にあります。引きこもり100万人のいのちに対する侮蔑があります。
宗教や思想、言葉の相違からの対立、差別が憎悪となって幸福と平和な生活を享受出来ないことです。世界のありふれた対立、戦争が人々の命を奪い平和な生活を破壊します。平和は基本的人権の前提となる人権です。
平和のために戦争する懲りない現状。世界に充満する対立、不寛容と不自制、そこには偏狭な偏見と無知、差別が充満しています。そして戦争をネタに商売する人がいます。寛容と融和によって平和を構築出来ない主要な原因は戦争を生きるためと正当化し、偏見と差別を温存さる常識です。