ジェンダー平等は性の解放です。人間性回復のエポックとして不同意性交罪が成立しました。そして人と人の関係を第一にしない宗教の崩壊の始まりです。戦争や飢餓に苦しむ、差別意識を未だに温存する現代社会の根源は、宗教が神仏を第一とし、人間関係での最重要な性を支配し、政治や支配層が利用してきました、その崩壊の始まりです。
天邪鬼の悪言1、母への弔いは供養では無いより、私は母を弔う、原始仏教の釈迦が死者を悼むことは有っても、供養とは無縁であったことと同じです。彼は死後を無記としました。釈迦の死後、500年の間に大乗仏教が興隆し、仏陀として仏にされたのが今の日本です。釈迦との違いとは私は死後の世界は無いと断言します。人間釈迦の再生です。宗教色の欠落した釈迦の修養術であるマインドフルネスが脚光を浴びていますが、思想哲学での復活です。
人間の生命は雌雄繁殖による新たなゲノムの合体、限りある命を世代交代によって永遠に生き続ける宿命です、文明文化を育み、未来に向かって創り続ける存在です。生きる中で生じた心、思いも同様に次世代に伝わります。現代の科学、人間科学、生命学から簡単に導かれます。私の信仰は神仏に対してではありません。人類の歴史と未来、人に対する信仰。過去から現在、今から未来へと続く生命の絆、アイデンティティの信仰です。
それが ”私が在る限り貴方はあり、貴方が在る限り私はある。”
有限の命である1つの生命が永遠の存在証明(永続性)であるとともに、今を生きる他者を愛する証です。死者には感覚がありません、対話もできません。しかし、死者の想いは私の中にあります、私の中で私の一部として生きています。そして又、現在を生きている愛する人も私の中にあります。想えば愛を共感することが可能です。鳳凰となりて時空も旅する、私が在る限り貴方はあり、貴方が在る限り私はある
人間の歴史は知能を発達させ、今も加速度的に進展しています。しかし、科学知識に反して思想文化・宗教の発展は過去の因習に囚われ遅れています。私たちが目指すべきは人類が創り上げてきた概念である、”自由・愛・公平”が人間の絶対原理であり、権利としての”人権・平等・平和”の確立です。
文明のあけぼの・無知な時代に誕生した神仏サタン地獄を人間とは別個に虚構の世界を構築してきました。それは人間を第一にしない弊害です。神と人間の問題として一人一人の人間の尊厳の無視です。我が神、我が宗旨を信じるか信じないことで人間同士を分断することです。さらに宗旨の理解度?経験年数によって内部で序列社会を作ります。選民思想が強いほど内部結束・支配が強く他者との協調性を失う弊害、差別意識が顕著になります。教義に反するとして生命科学や人間科学を拒否します。そして、人と人が愛し合うことを管理し、家庭と子供を管理しようとします。社会問題となっている世界平和統一家庭連合やエホバの証人を見れば明らかです。少なくとも世界標準の宗教は人間を大切にし、自由・愛・公平を否定しません。
母の弔いは、母が生きた人生を苦しめたコトを改めること、息子命として人生を生きた母に対する信義であり、私の人生に与えられた使命です。社会の発展は世代交代での因習脱却、チェンジの可能性が最もあります。母を苦しめた戦争や女性差別は古い思想・宗教や差別思想との対峙です。封建社会には封建社会を是とする思想があり、民主主義には民主主義の思想があります。今も戦争や飢餓に苦しみ、差別を憎む心情は国連や民主主義の日本国憲法を持ちながら相反する現実があります。原因を突き詰めると根本には宗教や思想が人間を第一にしないことにあります。世界の人々を分断し、人を支配、隷属させて得を得る現実があるからです。神と悪魔、天国・極楽と地獄、サタンや地獄を強調する宗教ほどカルト性が強く、人を隷属させ、人を差別する宗教です。つまり、平和や幸福を掲げながら逆行するエセ団体です。
人権擁護の最大は平和であり、もう1つは令和の現代にも保守層に根強く残る女性差別・蔑視の偏見思想である五障三従から派生する差別思想を解消することです。五障は大乗仏教より三従は儒教から女性は男性に従うべきとする婦徳の教えです。戦前の封建社会での家制度では性・Hは子作りで家の継続のためのモノでした。女性は男性に従う体制、実は男女の共依存関係でしかありません。男性も家制度の中で体制、序列の中で支配されていました。その中で家長は威張り、下僕が従う差別社会の一員でした。個人の尊厳、自由とは無関係の社会です。
現代の神仏を信仰を守る人との対決です。もとより臆病な私です、自暴自棄な人は始末に負えません。しかし、強がっている人は弱さを隠すためであり、虚勢を張る効果を知っています。年の功、栄誉や財を望まなければ怖いものなしです、無学な私が強者になる条件は十分に備わっています。
カトリックの神父や荒行で有名な比叡山の天台宗で性加害が事件になっています。性に飢え葛藤する男性がそれを克己する超人、宗主の代理人としての信奉を得る条件としての禁欲を蹂躙する大事件です。現代に伝わる宗教の男性上位女性蔑視の象徴ですが、日本仏教では親鸞が女犯に悩み渇望した性、宗旨としてあるがままの人間で良いとして創った浄土真宗以外は明治政府が妻帯を許可するまで御法度でした。江戸時代までは正規の僧侶は生死を賭けたHでした、一方で親鸞から8代目の室町時代後期の蓮如は真宗をマンモス教団に作り上げた彼は84才で亡くなるまでに5人の妻と間に27人の子を設け、80代に3人の子作りに恵まれました。(wiki参照)当時は女性の出産が命がけであったことで4人の妻が亡くなった結果です。蓮如の”後生の一大事”の現代訳は歎異抄によって ”後に残された人間の一大事” です。あの世の一大事ではありません。
近年、性の倫理や老人軽視の風潮がマスコミを通じて吹聴されていますが、性が生命の根源であるとの軽視が少子化問題と通じる人権軽視であり、おひとり様万歳の風潮を危惧しています。歴史的に一夫一妻は家制度を守る秩序と合わせ、多くの男女に日常的に性の充足を満たす制度でした。そしてあらゆる制度下でも婚外子(不倫?)が一定数いたのが現実のようです。
ジェンダー平等のもとに強制性交罪が不同意性交罪に拡大され、夫婦であっても同意のないHは犯罪になりました。それは逆に男性にとっても性解放の画期的な刑法です。家と家の結びつける封建社会での結婚制度の完全崩壊であり、結婚する前には長い将来に向けて、互いの相性を確認する必要があります。結婚によってのみHが許される時代からHを義務づけない時代になりました。Hがないことが離婚理由にならないし、不貞だけが離婚の理由にならなくなります。戦前の不貞は家の問題として、姦淫罪は妻側の刑罰で夫には不貞はありませんでした。戦後の性の解放は徐々に進んだとは言え、思春期の青年に対する性教育は遅れています。性は子作りのためであり、楽しむモノではないとする頑強な保守層が反対しています。保守と自由は相反するにも拘わらず結合する二重構造が日本を従えています。個人主義と商業主義が結びつき、男女の分離による晩婚化と生涯おひとり様の結果で少子化が進んでいます。ジェンダー平等の精神は男女の性欲を平等に認めることであり、恋愛の自由、Hの自由です。
中学の頃より学年ごとにクラス替えがあり好きな女性ができては振られていた私ですが、原因をやっと理解しました。女性と関係を持つことに責任を負わなかったことです。自立しない男、全てに責任を負う決意のない男がモテるはずがありません。男女が対等ではない社会では男が責任を負うのが普通であり、それに女性は乗るか乗らないかでした。今ではデートでの食事代折半が若者の間では主流であり、互いの性欲を認めるのがトレンドですが、今でも自分のモノ?になってくれの意思表明が女性の心をくすぐります。50年以上前、私の思春期の頃は精神的な自立を拒む意識が充満していました。自立するためには働くことが必須でした。運動中は水を飲んではいけない。運動クラブでの学年序列は厳格で一日で辞めましたが、高校時代は睡眠は4、5時間で十分の因習、今では十分な睡眠と食事、適切な運動が知能の発達には重要である知見が普及しました。しかし、自立心の養成は相変わらず遅れ、おひとり様状態の性が少子化を進めています。ニートは増え高齢化が進む社会の大問題になります。体は大人になっても精神的な大人への教育の欠如、私の時代はフォークダンスが中学、高校とあり、異性との接触の導入がありましたが今や個人ダンスに変わっています。
私には多くの女性を愛し離別の中で自覚した、揺るぎない信頼と信念があります。”私が在る限り貴方はあり、貴方が在る限り私はある。”愛する女性への絶対なる愛です。あなたが他の人と結ばれても、あなたが私に無関心であっても、私があなたを思う気持ちに変化はありません。私一人のあなたではありません。あなたは一人の人間として尊厳を持つすばらしい人であるべきです。性の渇望は女性を愛することです。あなたの笑顔と声、輝く瞳こそが最上の喜びです。あなたの賞賛が私の原動力です。
性がすべであるとは思いませんが、人間が永遠の命を保つ最大の要件であり、最大の関心事です。人の尊厳、一人一人の性を尊重しない宗旨は差別の権化であり、教育は人の尊厳と自立を涵養し、ボディーランゲージとしての性を教えるべきです。
松本人志の民事裁判でも明らかなように、保守主義と自由主義のいびつな関係があります。困った問題と思う保守主義者はそんな場所に女性が出かけることが問題とします。人権を問題としない連帯共闘です。少なくとも彼が40才を過ぎるまで結婚しないことで、思春期から25年以上も独り身ゆえに困った性習慣になったと苦言するべきです。そして、モラルや人間性、生命を大切にする教育、禁欲や我慢の大切さを教えるとして、女性の人権を貶め、現在の性教育を貶めています。
男女同権、ジェンダー平等が世界標準である今日、内閣府男女共同参画局がまとめたSDGsの取り組みは世界で広がる貧困・格差・地球環境の危機を克服し「持続可能な社会・経済・環境」を目指す、世界共通の目標として、ジェンダー平等、日本は66点で、世界156か国中、120位になっています。貧困飢餓戦争の克服を含め、優越感と差別の表裏となって手を変え品を変え日本だけでなく世界中に被害を与えています。維新の議員は私に公言しました。差別は昔から有ったし、これからも無くなることはない。?・・・これが 大阪・関西万博はSDGsを2030年までに達成するためのプラットフォームになり、SDGsの先の輝く未来を推進する維新の本音です。ここでも保守主義と自由主義の連携が垣間見えます。自由と発展を訴える保守のミソクソです。
平和とは逆の戦争・戦乱は人権への最たる国家犯罪・社会犯罪です。人権・平等・平和が実現しない現実。パレスチナ・ガザ地区の爆撃と食料難、ウクライナ、ミャンマー他、戦乱と飢餓は絶えることがありません。まさに建前と本音、差別と優越感が支配する世界です。文明・心の良心として尊敬される宗教家が人権問題に対峙せず祈り・祈祷で解決させる?ボンクラ、クソ食らえ坊主の批判を受け入れるべきです。門下の一人一人に訴えることもできない夢遊病患者と同じです。宗旨では祈り・祈祷は霊験あらたかとボケる時代でもありません。
母と同じ年の詩人、茨木のり子さんの詩があります。
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差しだけを残し皆発っていった ;続く、 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/n3tomoko/pooh/txt-wata.html を参照して下さい
母は戦時空襲で浪速の街が空爆されたとき、メトロ地下鉄なんば駅構内・防空壕に逃げ込み難を逃れました。また疎開すべく近鉄上六の駅で長く待機していた家財は焼失。都会生活者の戦中戦後の配給・食料難は相当過酷であり、中国に出征し戦後結婚した父の方がましだったとのことです。日本軍の戦地死者の6割が栄養失調からの病死、飢餓だった現実。餓島と呼ばれる南方に派遣された方々には無念しかありません。
天台宗の尼僧の叡敦さんは14年に渡る性加害を受けたとして天台宗務庁に大僧正である阿闍梨と僧侶の僧籍剥奪を求めています。一隅を照らす天台宗、開祖最澄の純心を思うならば早急な聴聞を行い、比叡山天台宗の座主の声明を出すべきです。叡敦さんが請求してから数月以上たっています。大阪・関西万博はSDGsの先の輝く未来です。世界が注目しています。
悪論と片付けてしまって結構です、しかし平和や差別を無くし、自由と愛に生きると思うなら心を開いて下さい。あなたは生物の宿命として前世代からの悪習をすり込まれただけですから、すべてが悪いわけではありません。しかし裸の王様状態の中で、自己中と優越感を増幅させていると思い知るべきです。
貧富格差の拡大は差別の拡大です。昭和の時代にはブランド税ぜいたく税としての物品税がありました。消費税の導入で廃止されましたが、高いほど価値があるブランドにお金持ちのステータスは満足します。ブランド税を復活させるべきです。納税が多い富裕者ほどふるさと納税の恩恵が大きくなる必要はありません。
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