愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

天邪鬼の悪言4、宝塚歌劇団パワハラを認め全面降伏で和解

2024年03月28日 | 天の邪鬼の悪言
宝塚歌劇団はパワハラを認め全面降伏。村上浩爾理事長の会見での表情が見られませんでした。当時は専務理事として歌劇団の実務責任者でした。パワハラの証拠を出せと啖呵を切った氏の表情がないのは残念です。
 阪急阪神ホールディングス株式会社は歌劇団の組織としての責任を認めましたが、悪癖を残した大きな要因の一つに親会社に歌劇団出身者がポスト役員に就任すべであることに言及していません。まだまだ前途多難です。

備考録 死亡した劇団員の妹が心境をつづった「訴え」。水が溢れ読めなかったので記録として残します NHKニュースより https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240328/k10014403941000.html

私は遺族として、大切な姉の為、今、宝塚歌劇団に在団している者として想いを述べます。いくら指導という言葉に置き換えようとしても、置き換えられない行為。それがパワハラです。劇団員は宝塚歌劇団が作成した【パワーハラスメントは一切行わない】という誓約書にサインしています。それにもかかわらず、宝塚歌劇団は、日常的にパワハラをしている人が当たり前にいる世界です。その世界に今まで在籍してきた私から見ても、姉が受けたパワハラの内容は、そんなレベルとは比べものにならない悪質で強烈に酷い行為です。厚生労働省のパワハラの定義を見れば、姉が受けた行為は、パワハラ以外の何ものでもありません。宝塚は治外法権の場所ではありません。宝塚だから許されることなど一つもないのです。劇団は今に至ってもなお、パワハラをおこなった者の言い分のみを聞き、第三者の証言を無視しているのは納得がいきません。劇団は、生徒を守ることを大義名分のようにして、パワハラを行った者を擁護していますが、それならば、目撃したパワハラを証言してくれた方々も、姉も同じ生徒ではないのですか。そもそも【生徒】という言葉で曖昧にしていますが、パワハラを行った者は、れっきとした社会人であり、宝塚歌劇団は一つの企業です。企業として、公平な立場で事実に向き合うべきです。スケジュール改革や、各種改善策に取り組んでいるような発表をしていますが、姉の死を軽視し、問題を曖昧化しているとしか思えません。これ以上姉と私たち遺族を苦しめないでください。姉は体調を崩している訳でも、入院している訳でもありません。二度と帰ってきません。姉の命の重さを何だと思っているのでしょうか。劇団は、「誠意を持って」「真摯に」という言葉を繰り返して、世間にアピールしていますが、実際には、現在も遺族に誠意を持って対応しているとは思えません。これ以上無駄に時間を引きのばさないでください。大切な姉の命に向き合ってください。

天の邪鬼の悪言3 愛と性 松本人志の罪と罰

2024年02月29日 | 天の邪鬼の悪言
 ミスター松本の性加害が大きな問題になっています。性の問題は人権、平等の基本的な問題だけでなく、人間の根源的な自由・愛・公平にかかわる重要な問題です。
 もとより、性は有性生殖によって命を次世代につなぎ、変化に対応し、生物の進化を担ってきました。1人の個人にとって”生きる”最重要な欲求であり、社会生活の中で絆を持ち、充足すべき課題です。又、人間は単に生殖の行為だけでなく、男女の交友を深める行為となっています。又、人間が歴史的に高めてきた愛の認識を深める力になります。
 性が男女を断絶させ、争いの原因となる社会は間違っています。

 ヒトが「ボノボ」から学ぶこと〜コンゴ川を渡った平和主義者たち〜 抜粋
https://www.mizu.gr.jp/fudoki/people/058_furuich.htm
  人間に最も近いチンパンジーとボノボがコンゴ川の大河の両岸で異なった文化を育んでいます。チンパンジーはボス社会、メスを巡って争いますが、ボノボの特徴は「平和的」でメスオスが対等で、メスが小さな集団を作ります。両者の違いはメスの発情期に違いがあります。チンパンジーもボノボもメスは子供を産むと3~4年発情しません。しかし、ボノボは「ニセ発情」として出産の約1年後に発情を可能にすることです。そして、メスが妊娠可能でない時期にも性行動を受けいれ、ハグやキスと同様にHのまねごとも日常的なボディタッチの手段としています。そして子づくりのための性交渉だけでなくメスがオスをコントロールるする社会となり、集団内のオスとメスの比率や力のバランスを整え平和な集団社会を作っています。
 ボノボ - 人間のもう一人の隣人 参照
 
 ボノボはエライ。人間の社会では一夫一妻が普通ですが、父系母系や一夫多妻等の多様な社会があります。性の欲求は人間存続の根幹です。男女平等のトレンドは個を尊重することであり、ジェンダーレスであり、男女同等に性欲は有ることを認めることです。過去には文明が発達するにつれ永らく男性優位の社会文化が作られました。宗教の世界でも男女差別が普通でした。男が苦しむのは女性の存在であるとし、禁欲が男社会のステータスとされました。
 仏教では女犯(にょぼん)とする具足戒がありますが、大衆仏教の源流、天台宗の最澄は律(具足戒)は上座仏教の戒律として総てを廃止し、大乗仏教の戒めである菩薩戒のみにしました。室町時代の一休宗純は女性と同棲し、親鸞は無戒として肉食妻帯でした、浄土真宗をマンモス教団に変貌させた戦国時代の蓮如は生涯に5人の妻を娶り、27人子供をもうけ、80才代に3人の子供に恵まれました。4人の妻とno
死別は妊娠出産が当時いかに大変だったかの証です、日本の宗教家のレーコードです。日蓮は末法無戒としましたが、妻子はいません。江戸時代には浄土真宗以外の寺持ちの僧は女犯で罰せられることがありました。他では嵯峨天皇が49人の子供。将軍では江戸11代の徳川家斉が15才で将軍になり17歳から55歳までの38年の間に53人の子供、そして子供の数では明治から昭和を生きたハチャメチャな西部グループの堤康次郎は嫡子が13人、未嫡子を含むと100人を下らないと言われています。
 戦前の日本帝国時代には昭和戦争の中で出生率低下に対して家族計画運動「産めよ増やせよ国のため」があります。カトリック信者であり3人の子供を育てた自民党の山谷えり子氏は青年への性教育に反対しています。モラルや人間性、生命を大切にする教育、禁欲や我慢の大切さを教えるべきとして、妊娠・出産・避妊などは即物的な性教育だとして反対し家族教育の大切さを訴えています。彼女にとっては松本人志は堕落した人間としか考えられないでしょう。原罪としての性は恥じて秘すべきことであり、不純な青年男女の交際は戒める。結婚もせず禁欲を守る神父はエライと考えています。しかし、東方正教会やプロテスタントでは妻帯を認めています。
 貧富の拡大は差別の拡大と考え、社会全体の分配の問題とする私ですが、彼女は性問題で示したと同式に、貧富の拡大は貧者の怠慢と考えていると思います。宗教本来の人を大切にする主旨を曲げ、人間を主人公にしません、信仰のピラミッド組織の構造の中で優越感・差別意識を持つことが自身の高揚感になっているのではと考えます。現代社会の差別を増大させる支配構造の弊害・元凶の一つに信仰がなっています。それはチンパンジー社会の中でボスにすりより地位を確保するメスと同じです。
 ボノボはチンパンジーよりも直立歩行姿勢が高く、350万年前の初期人類の化石ルーシーに近く知能能力が最も高い類人猿です。知恵を見習う?
 ボノボ、カンジ君その驚くべき能力~full ver.part1 ph4320

 松本人志の結婚は45才の時です。男性の身体の性能力のピークは20歳前後といわれています。思春期の中学生時代からは30年の長きにわたり独身です。45才から80才までとしても残り35年です。抑圧が長ければ長いほど欲求はいびつに変形する可能性が高くなります。早くから人気の出たダウンタウンですが、日常的な性行為の確保は結婚・同棲に限ります。文春記事では常にウブで若い新しい対象を求めるHは至難のワザです。それを子飼いのメンバーに押し付ける権力意識で行う罪があります。そして性的関係をSタイプMタイプに短絡し、プレジャーとしてHを楽しむことです。ボノボと同じくHは人間関係を深め、互いをより深く知るコミュニケーションです。FREE-SEXはフランスのサルトル・ボーヴォアール夫妻の自由恋愛OKの契約結婚にあります。ゆきずりのHは互いに求める者同士でしか成立しません。初回だけでは愛を深めることは不可能です。愛が深まれば相手の喜びが自分の喜びとすることができます。しかし、自己愛の延長でしか人を愛せない自己中は愛する人が他者と交わることが許せません。愛は奥深いものです、人間関係にあります。Hも思春期の手習いから経験を重ね、お互いに交流して学ばなければ成長は難しく、その奥深さを理解できません。愛は体験を通じて学ぶ感情です。ほとんどの日本人が性文化のトラウマによって偏見を持っています。残念ながら人が言葉を使って言葉を使いますが、単なる言葉であって本心の感情を必ずしも表わしていません。人たらしと同じですが役者のように感情移入が重要です、信用するしない、人間関係はほんとに難しい。
 コマッタ人生観は彼だけで無く、山谷えり子氏にも言えます。思春期のめざめから性を抑圧さられ続けてきた若者や大人にとって、性に対する違和感、恐れ、差別意識などを抱くトラウマがあります。彼にも歪なところが多分にあるでしょう。多くの日本人は私も含め性の喜びを十分に知りません。最高を教えられていない自己流だからです。商業主義が性を儲けのネタで変形させています。彼女が知っていれば性教育にも柔軟であるし、彼は女性を大事に扱ったでしょう。私の中学時代に初めは無理矢理させられた、手をつなぎ肩を抱くフォークダンスがありました。異性との違和感をなくし、交流するボディタッチのきっかけです。残念ながら現在ではダンスに変わっています。思春期以降に異性と手を握り合ったことが無い人が五万といます。満員電車で両手を挙げて乗る男性がいます、腰を女性に押し付け痴漢に間違われることを恐れ、満員電車に乗れなくなったトラウマを抱く若者ですが、女性にも多数いるのが現実ではないでしょうか?心の潔癖症?トランスジェンダーを認めると女湯に男性が入ってくると甲高く叫ぶ人がいます。男女混浴だった江戸しぐさの寛容さを忘れてしまっています。社会には秩序を保つ・プライベートでは許されても、公では許されない力が働きます。ただそれを勘違いし言い訳にすれば犯罪です。
 松ちゃんは名誉棄損の民事裁判で文春側に精神的苦痛の慰謝料5億を請求しました。女性2人に2億円払ってでも出廷証言を拒否してもらえば勝てるという今田耕司の成功体験があります。ゲスのかんぐりですが、金額が大きいだけに想像が膨らみます。名誉棄損の民事裁判では罰はお金と社会評判です。女性が裁判に出廷しなければ松本氏の名誉はさらに落ち、慰謝料が5億円の認定も定かではありません。
 維新が席巻する大阪、文化の劣化を痛切に感じる今日、お笑いの吉本で起こった事件ですが、下の者と食事すれば、おごる決まりがあります。徒弟・兄弟のちぎり、ガバナンスは強調してもコンプライアンスは無用、上意下達の縦社会です。吉本興業は万博によしもと笑い未来館を出展し「いのち輝く未来」のため、笑いの新しい可能性を拡げていく企画を毎日するようです。しかし、吉本新喜劇の笑いとは異質と感じますが?
 人生の成功が経済的な富が第一である現在の風潮・劣化を憂います。バレなければいいとする倫理観、コンプライアンスの欠如です。ビッグモーター、ダイハツ工業や豊田織機の型式指定の不正や自民派閥パーティー問題があります。お金お金、儲け第一の考えが誤りです。金の亡者や守銭奴ケチと呼ばれる人々です。そこには人権や平等という概念が欠落した差別主義の塊が有り、自己中が蔓延しています。その一方で不安やトラウマ、或いは差別意識によって人格形成が不十分な社会人があふれています。不適切にもほどがあると言われる昭和に植木等の歌に無責任一代男がありました。本音で時代の風刺ユーモアですが、今や無責任と無気力、差別意識が日本中に蔓延し社会を包囲しています。アメリカのトヨタでは時間給が5千円、連合の芳野会長は春闘で5%の賃上げ、経済界におんぶにだっこの大手企業御用の連合状態。企業の経営に配慮して闘わない労働組合・政党の無責任。無責任一代男作詞 青島幸夫
 ♫人生で大事な事は タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 こつこつやる奴はごくろうさん 「ハイごくろうさん」
 時代のバイアスとも言えますが、銭や栄誉を得て後世に名を残すことが人生の成功ではありません。よりよい社会・文化を遺産として子孫に残すことが人生の成功です。性の問題も同様に人を愛することに変換することで、よりよい社会になります。

参考資料ウィキペディアWikiより引用 ~断罪された横山ノック~
 横山ノック(山田 勇)強制わいせつ事件を思いだします。昨年春に吉村洋文が大阪府知事選で歴代1位の最高得票で当選しました。それまで一位だったのは漫画トリオのリーダーとして活躍し、昭和58年より2期、参議院議員を勤め、2期目の平成11年の知事選挙の期間中、自身の運動員だった女子学生に行った強制わいせつ事件です。被害者は刑事告訴、及び強制わいせつとセクハラ行為で民事訴訟を起こしました。それに対してノックは「事実無根」と完全否定し、女子大学生を虚偽告訴容疑で逆告訴。民事裁判はその年の12月に大阪地裁で、「原告が、風邪で高熱もあり容易に抵抗できなかった状況下で、被告により自己の腹部から足下を覆うように体に毛布を掛けられた上、約30分間にわたり、被告の右手をズボンや下着の中に差し入れられたり、指で陰部を直接弄ばれたというものであり、右行為態様は執拗かつ悪質である。また、わいせつ行為に及ぶ経過をみると、被告はわざわざ毛布1枚を持って車両を乗り換えるなどわいせつ行為の計画性も窺われるし、わいせつ行為後も、被告は、自らの行為を反省するどころか、原告に対して海外ブランド品を交付することにより事を解決しようとするなど、原告の人格を蔑視する態度を取っている」(カギ括弧内は判決文の引用)としてわいせつ行為を認定した他、横山の逆告訴や法廷外での発言を名誉毀損であると認定し、ノックに女子大学生に対して1100万円(セクハラ訴訟としては過去最高額)の支払いを命じた。刑事裁判は民事裁判の終結直後の同月にノックは強制わいせつ罪で在宅起訴され、これを受けてノックは府知事を辞職、この段階になって、ノックは一転して強制わいせつ罪の事実を認め、女子大学生に謝罪した。判決は翌年8月強制わいせつ罪により懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受けました。その後、ノックは控訴せず判決が確定した。

天邪鬼の悪言2 自由 愛 公平

2024年02月25日 | 天の邪鬼の悪言
不適切にもほどがある! 個人の尊厳を軽視する中学校の横断幕 


  主題 花よりも 花を咲かせる 土となる
  副題 みんなの心に素敵な笑顔を咲かせよう!
主題は生徒自身の投票で、原案は高校野球での標題のアレンジ。サブタイトルはPTAによる。要旨は最下部を参照
 私の中学時代を振り返れば、或る時は教師にオベンチャラを使い、或いは無関心、反発する3種類、良い子悪い子普通の子が一人に混在する状態でした。趣意からすれば有名な野球部であれば一軍選手を陰で支える二、三軍の生徒が多数いる状態では必要な言葉かも知れません。しかし、児童から青年に一歩踏み入れたばかりの中学生が「土となる」という言葉は余りにも悲惨です。
 日本の現状はどうでしょうか?格差の拡大、中学生5人に1人が貧困状態、不登校問題。少子化、自死の多さや成人後のニート引き籠もりは中高年を含めて推定150万人にもなっています。大きな負債です。商業主義の中、あれも欲しいあそこにも行きたい。欲を持ち、お金が第一と考える多くの人がいます。しかし、教育格差が経済格差を再生産するとして受験競争を激化させています。中学生は大人になるべく思春期の成長の時期であり、心と体を鍛え成長させる時期です。しかし、学ぶことが多くなり体は大人になっても社会的には成人になれない時代です。個人の自立や自我の確立を疎外し、猶予させる力が働きます。晩婚化や未婚率の増大です。それが受験教育の弊害であり、経済の成長・発展の幻想酒のアダルトチルドレン状態です。
 私達はどんな状況であっても、いつでも夢や希望を持てます。花となるのは総ての人です。自由・愛・公平に生きる人格を確立することです。お金に固守すれば守銭奴になり自己中があふれています。法律に違反すれば犯罪者になり、抜け穴を狙えば人間性が悪くなります。金銭欲が無いと言われる大谷選手が日本で一番に輝き、一番に稼ぐようになりました。考えてみませんか?
 中学生が選んだという標題は先生や親にオベッカを使う良い子の選択です。花になれなくてもガッカリしないあきらめ、自我抑制です。生きる意欲を無くし、能力を発揮できない、反発と無気力な生徒を増やします。PTA選、心に素敵な笑顔を咲かせよう。が親の気持ちを率直に表しています。
  花は 花として 花を咲かそうよ
 来年、大阪の中学生が行く関西・大阪万博ではSDGsの先 輝く未来社会をテーマにしています。SDGsは持続可能な開発目標と訳していますが、自然破壊の開発を止めることがメインではありません。万博に行く前にはSDGsとは?前文・宣言等を理解してから見学に行って下さい。
 ユニセフのSDGs解説があります。https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/preamble/
 SDGsの計画は、人間と地球、そして 繁栄のための行動計画です。
そして、より大きな自由と、平和を追い求めるものでもあります。と続きます。
 そして、五つの決意があります。繁栄を実現するは その内の一つです。第一は人間を守る です。貧困や飢餓を終わらせ、すべての人が尊厳や平等が守られ健康な生活を送るなかで、もって生まれた能力をより発揮できるようにすることを決意します。

 SDGsは国連で決められた世界標準の考え方です。
 大阪の歴史小説家”竜馬が行く”で有名な司馬遼太郎が小学6年生(娘が小学生の時でした)国語の教科書に載った 21世紀に生きる君たちへ があります 
要約すれば たくましく やさしさありて たのもしい
たくましく生きる力、人にやさしくなれる心を育む、それがモテる人となる力です。
詳細は参照して下さい
 http://www.midorii-clinic.jp/images/index/season110905_12.pdf
 人間は誰でも長所と短所がありますが、どんな欠点があっても、それでも自分は価値のある人間だという自尊意識と自我同一性(アイデンティティ)の確立です。
 政府がこども家庭庁を作り、青少年健全育成基本法案の理念は不十分ですが、抜粋・次代を担う青少年を健全に育成していくことが我が国社会の将来の発展にとって不可欠の礎である としています。青年期の前半である中学校の生徒に必要なことは、健全な身体と人格を養成していく上で、人権・平和・平等の意味を学ぶことが人権教育であり、人格養成の要です。厳しい人生の荒波の中を生き抜く原点です。断言します。人権教育・人間教育の崩壊です。格差の拡大は差別の拡大です。
 花よりも 花を咲かせる 土となる という標旗は下ろすべきです。
SDGs輝く未来、将来に向かって大きく自己を育てる中学生の希望をイジケさせます。
それとも、格差社会の中では思春期の早い時期から自分の分をわきまえ、夢や希望の大望を抱かず感謝すべきという教育ですか?
 棺桶に片足を踏み込んでいる老人・私にとっては人の尊厳を無視した言葉です。
明治時代に新しい社会の建設をめざした”坂の上の雲” 気概は Boys be ambitious ! でした。一人一人のモチベーションを最大に発揮させるコンプライアンス教育です。従順や服従だけを教える教育ではなく、自立した人間としての誇りや自信を養う教育です。自民党や維新が進める教育改革、新学習指導要領が ”花よりも 花を咲かせる 土となる” を意味するのでしょうか?それは旧日本軍の人権を無視した上意下達、ガバナンスを第一とする臣下の教育です。