話は変わりますが

ギターやゴルフを趣味にのんびり暮らしています。ド田舎でのなんてことない日々を綴っています。

No,1212『噂というものは』

2016年11月02日 | 思想・雑感
アクセス頂きありがとうございます。

自分が結婚したのは5年前の8月。8月は式場のホテルが閑散期で落ち着いた雰囲気だし、更に仏滅ともなればほぼ貸切で料金も安い。
あと、前職のお世話になった方々も、仕事柄8月が一番ご列席頂きやすい月だった。

結婚後しばらくして職場のとあるおばちゃんからもじもじしながらこう尋ねられた。

『勝地さんって、創価学会さん?か、クリスチャン?』

『いや、仏教です。真言宗。』

『あぁ…そうなんだぁ…』

どうやら、
『盆月の、しかも仏滅に結婚するなんていうのは相当な非常識で、これはまず仏教徒ではないな。そういえば雰囲気や喋り方も何か違うよね。』

みたいな憶測で、みんなが噂をしていたらしい。
で、それを信用しきってる人もいたのだろう。

俺に失礼というより、創価学会の方とかクリスチャンの方に対してもなんか失礼じゃないか?

その見上げたデリカシーの無さには呆れて笑うしかなかった。

まず俺に聞けば良いやん、と。
勝手に想像して、面白がって話のネタにして、どんどん膨らまして勘違いする人まで生み出して。
その時間、一体誰が得するのかと。
暇な人たちの下世話な遊びとしか思えなかった。
確証の無い出処不明な情報に都度踊らされ、周りと歩調を合わせながら一喜一憂する。その生き方、そんなに楽しいか?と。

以来、噂好きな人を心底苦手になったし、『〜らしいよ』と忠告めいたことをどや顔で言ってくる人にも、申し訳ないが警戒するようになった。
一つの情報としてはお聞きしておくが、自分が直接見聞きしていない限り、判断しかねる。
当たり前の話である。
ましてや、回り回って脚色されているかも知れない曖昧な情報を第三者にさも真実かの如くばら撒く行為というのはすこぶるナンセンスだと思う。
そういうことをする人こそ、信用ならんわけで。
当の本人は情報通と自負して、『ここだけの話』というその実どこでも用いている常套句で意志薄弱な人たちとの妙な交流を楽しんでいるのだろうか。わからないが。

とにかく、一回自分に決めさせてくれと。

例えば、
『あなたのことをAさんが嫌いって言ってたらしいよ』
となった場合、Aさんが僕に直接言って来てない限り、とりあえずほっといてくれと思うのである。
『そうなんですね。それは知らないです。あと、そういうことを言ってくるあなたのことを僕は苦手になりました。』
と自分の場合はなる。
あなた本人の意思は、意図は何なのかとも思う。

最近多くてうんざりしているのが、
『お父さん、〇〇なんでしょ?』

直接本人から何も聞いてないから何も知らないのである。
そこまで気になるならご本人に確認してくれと。

話は変わりますが、


先日の童話認定こども園さんでのコンサート。
写真を園長先生が送ってくださいました。
ありがとうございました。

終わり。