話は変わりますが

ギターやゴルフを趣味にのんびり暮らしています。ド田舎でのなんてことない日々を綴っています。

No,2368『自己肯定感について』

2020年01月02日 | 思想・雑感
アクセス頂きありがとうございます。

褒められると素直にありがとうございますと思いたい、言いたいのですが、心のどこかで常に
『自分の様なものが評価されるわけがない』と思ってしまうクセがあり、これは謙遜ではなく卑下かも知れないし、ひねくれかも知れない。傲慢かも知れない。相手の腹を必要以上に探り過ぎるというか…自分に対しても相手に対しても失礼だなといつもモヤモヤするのですが、これをいつか自分の代で昇華させねばならないと。
自分の代というのは、要するに自己肯定感の低さは親、姉から来ているというのは自己分析済みだからです。

部活でもテストでも、
『あかんかった?』
『負けた?』
と負の方から聞かれる文化だったのが長年自分を悩ませているのです。

なぜ、そちらから入るのかと。
たぶん、マイナスの仮定から入っておいて、仮に結果が悪かったとしても最初から期待してないから傷は浅くなるという仕組みなんだと思いますが。
それは訊ねる側の論理であって、
こちとら、まぁ事実、出来は悪いのでそらあかんことは多いでしょうが、仮に結果が良かった場合に驚かれるというのも気が悪い。
それは褒められたわけではなく、
『なんで?』みたいなリアクションをされた様にしか取れない。
そうなると、どんな結果でも報告などしたくなくなるのです。
人への査定が、基本が0、最高も0。減点方式。
操法大会の審査方式と同じ気がする。

もともと、奥ゆかしさを重んじる日本はそういうのが多い気もするのですが。


言動は謙虚でも、心まで縮こまってはいけない。
心はしっかり、どっしり、自信を持って。
それが本当の謙虚の様な気がします。

これから生きていく上でどうにか越えねばならないのはそこな気がしますが、なかなか人生経験未熟な今は高い壁というか、まだまだ苦労が足りないのでしょう。

ただ、自己肯定感が低いというのは、悪いことばかりではなく、警戒心が強いという側面もあり、良いこともあります。
僕の場合
・うまい話は無いと思っている
・ギャンブルをしない
・怪しい訪問販売、宗教、ネットワークビジネスなどに引っかからない
・もし万が一綺麗なお姉さんが言い寄って来たとしてもまず嘘だと思うからハニートラップに引っかからない(そもそも標的になる程の金がない。)
・浮かれない
・冷静
・争い事を避ける
・自分や周りに過度な期待をしない為、普通、適当、まあまあ、まずまず、そこそこ、なんとなく、平凡、平均などが好きで基本的に常時幸福感はある。

などなど、冒険心はまず無いですが…そんな性格だからこそ何気ない日々を毎日楽しく過ごせています。
と、着地。

話は変わりますが、


遅くなりましたがタイヤ交換しました。明日から仕事!

終わり。