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【事実】と【真実】について考える。
例えばライブでギターを弾いていて、
『しまった!ミスった!』
凹みながら恐る恐る録音を聴くと、、、
あれ?ミスしてないぞ…。
共演者やお客さんに打ち明けても、全然わからなかったと言われる。
こういうことがたまにあります。
で、録音してあるものは紛れもなく事実を表してくれていて、それはまあそうなんだけど、
弾いていた本人からすると、周りがどう言おうと、完全にあの時ミスった自覚、この感覚はもう真実としてあるのです。
何かそこに、ミスと捉えてしまう程のプロセス、追い込まれ、引け目、色々あったの含めて、あの時自分はミスと思ったのだから。
記憶があてにならないというのは、こういうことなんだろうと。
憧れの人が握手をしてくれたらどうだろう。
観音様の様な優しい微笑みで後光が差して見えるかも知れない。
これはその人にとっての真実で良いと思う。
その時の映像を関係ない誰かが見たら、薄暗いところで普通の微笑みを浮かべる人が握手をしてるだけにしか映っていないだろう。
これは客観的事実。
良いことも悪いことも、事実と真実を一緒にすることは野暮なんだろうなと。
真実を話してくれる人が、やっぱり僕は好きだ。
話は変わりますが、台風が来る前に、ということでしょうか。どこの市場も賑わっており忙しいです。
汗が止まりません。
終わり。