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いかに今まで、他人軸で生きてきたのか。
なかなか、自分軸で判断や行動ができていなかった。
そんなことを、40歳を前に再認識させられています。
他人は他人、自分は自分。
大昔、高校生の時に『自分の感受性くらい』という、茨木のり子さんの詩を目にしました。当時は、なんかきつい言い回しだなぐらいにしか思っていなかったかな。
今読んでみると、涙腺が緩んでしまいます。
怯えながら他人軸で生きてきた自覚、情けなさがあるからだろうか。傲慢さが表裏一体であったのも分かる。言えなかったこと、できなかったことたくさんあるけれど、これで良かったと思いたいのだろう。この複雑な感情。
全部含めて、今の自分の感受性。
【自分の感受性くらい】
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
話は変わりますが、
タバコ拾い、ピンセットやっぱ便利です。
農道、キャメル率高いです。
終わり。