どの町にもある商店街、最近では寂れてしまってシャッター通りになってしまうという所も多いが、その町で暮らし成長した人たちにとっては思い出が詰まった場所でもある。そんな商店街の一つが舞台で、3人の若者と、商店街で長く過ごしてきた住民たちが、着ぐるみ人形の「チョッキー」を巡って織りなす心温まる物語。
商店街には古くからありそうな店構えの喫茶店「時計」があり、独身で初老の男性がコーヒーだけのメニューを提供していて、常連たちで結構賑わっている。店主は若い頃は画家を目指していたが、世界を放浪した後に挫折して、実家で時計修理屋だったこの店を開いたという白髪の男性。帰ってきてすぐに両親を亡くしたことを人生の後悔として今でも引きずっている。その頃商店街に住み着いていた捨て犬のチョッキーを育てていたが、あるときにチョッキーは帰ってこず、入れ替わるように犬の着ぐるみを持ち込んだ男性がいた。その男性はこれも閉店していた映画館を再生し、その宣伝のためにチラシを配る係として着ぐるみの犬を使おうと思った。町の住民たちは可愛がっていたチョッキーの身代わりのようにその着ぐるみを見守った。
そこに現れたのが3人の若者。それぞれが生き方に悩み、鬱屈を抱えていた。3人はチョッキーの着ぐるみを見た途端にその中に入ってみたいという魅力を感じた。3人はそれぞれがチョッキーに入り週に1日チラシ配りをすることになる。
滝田徹は自宅でもできる気楽な仕事をしていたが、やりがいは感じていない。しかしチョッキーの中に入ると、自分が守られている感じがして、週末にチラシを配るアルバイトに生きがいを感じるようになる。4年前に自分の不甲斐なさと気遣いのし過ぎで別れてしまった彼女のことが忘れられない。しかし連絡をとってみる勇気もない。
水谷佳菜は左を選ぶと災難に会う体験を通して、いつも右を選択するように心がけてきた。しかしその選択に逆に縛られる自分に限界も感じている。チョッキーに入ることでそんな自分の限界を突破できるのではないかと考えていた。
兵頭健太は、嫌なことがあるとそれから逃れることばかりを考え、実際そういう生き方を選んできた。正社員になると辛い人間関係から逃れられない、固定的な彼女ができると否やこともある。今回も自分を好きになってくれた女性から逃れようとしている。
そんな3人の若者を商店街の人達はまるで生きていた子犬のチョッキーを見守るように暖かく受け入れる。3人の若者は、喫茶店の時計に集い、商店街の人達といろいろな話をしてみることで、自分たちが差し掛かった人生の岐路に向かいべき方向を見出す。物語はここまで。
映画のセリフのような名言がいくつも紹介される。
「健全な精神は常に、自らの行き先を求めるものだ」エクアドルの映画監督の言葉。
「あの眼差しのなせるわざか、はたまた、響き合う心の求めか」カザフスタンの青春映画のセリフ。
「人生の転換点におそすぎることはない」プエルトリコの俳優の言葉。
「夏の終りが一年の終わりなんだ」スイスの俳優の言葉。
「メメント・モリ、人はみんな死ぬんだからそれまで忘れていろ、ということ」特撮の神様。
作者はよほどの映画好きなのかな。