思想の自由を守る決意新たに
2月11日の「建国記念の日」は、戦前は「紀元節」でした。「紀元節」は1873年、当時の政府が「日本書紀」の記述をもとに、天皇の専制支配を神話的に権威づけるために、架空の人物である「神武天皇」の即位の日としてつくりあげたもので、科学的・歴史的根拠はありません。
■学問の抑圧と一体
しかし、戦前の天皇制政府は、大日本帝国憲法の発布(1889年)や日露戦争開戦の新聞発表(1904年)をこの日に合わせるなど、国民を天皇崇拝と軍国主義に動員するために利用しました。
85年前の1940年は神武天皇即位2600年の記念の年とされ、大キャンペーンが行われました。昨年、美術界では東京国立近代美術館で開催された「ハニワと土偶の近代」が話題となりました。考古遺物である土偶や埴輪(はにわ)が日本の近代美術にどんな影響を及ぼしたかを跡づけた展覧会でしたが、そこでは「皇紀2600年」キャンペーンのなかで、埴輪が天皇を中心とする「万世一系」の歴史の象徴となり、さらに武人埴輪が戦意高揚に使われた経過も明らかにされました。
大キャンペーンのなかで、同年の「紀元節」前日には、歴史学者の津田左右吉(そうきち)早稲田大学教授の著書4冊が発禁処分とされました。津田は「古事記」や「日本書紀」に対して批判的分析をくわえ、神武天皇から仲哀(ちゅうあい)天皇に至る14代の天皇の存在を否定する見解を述べていました。
それが「皇室の尊厳冒涜(ぼうとく)」にあたるとされ、3月には津田と岩波書店の岩波茂雄社長が出版法違反容疑で起訴され、津田は大学を辞職に追い込まれました。学問と表現の自由への厳しい抑圧でした。
同年の「紀元節」3日後の2月14日には、社会性の強い新興俳句運動を担っていた『京大俳句』の会員8人が、京都府警の特高課によって治安維持法違反容疑で検挙・投獄されました。3次に及ぶ弾圧で合計15人の会員が検挙され、同誌は廃刊に追い込まれました。
「紀元節」が国民の思想動員の一大イベントとなった一方で、学問と表現の自由への弾圧が強まった歴史を忘れるわけにはいきません。
■時代錯誤の歴史観
「紀元節」は戦後、国民主権と思想・学問・信教の自由を定めた日本国憲法に反するものとして、1948年に廃止されました。しかし、自民党の佐藤栄作内閣が66年に祝日法を改悪して「建国記念の日」を制定し、「紀元節」を復活させました。
昨年、文部科学省が検定で合格させた令和書籍の中学校用『国史教科書』は、神武天皇が即位時の詔勅で述べたとされる「八紘為宇(はっこういう)」の建国の理念を「日本列島の人々が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすことを国の理想とする考え」と記しています。これこそ大日本帝国がアジアに侵略を広げるスローガンに使われたものでした。
史実に反した時代錯誤の「建国神話」の子どもたちへの押しつけは断じて許せません。今こそ「紀元節」復活に反対し、学問の自由、教育の自由を守る世論と運動を強めるときです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます