松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

此れで益々、日本人像は、菊の御紋のキャメラを右手に刀を左手に、である。

2006-10-11 10:16:46 | current affairs
さて、西日本新聞2006年10月10日付の記事には

「写真だけ撮って帰る日本人観光客へ仏・新聞社が批判、それに対して日本側も反論…」
とまぁ、海外では、ただ写真を撮るだけで帰ってしまう日本人の観光態度が問題になってる模様。

私自身は、この記事を読んで「そういえば」と思ったのでなく
実は
結構、自分にも上記の愚行が思い当たる訳で御座いまして

この記事を、私は戒めに聞こえるのです。
例えば、昨年沖縄に行った際、勿の論で海族館には行った訳ですけども
やはり、自分は
その鮫の大きさ、それと大量の海水を支える硝子壁等カンドウスルベキモノに

感動するわけでなく、写真を撮る事に気が行っていたように思い出せるのです。
そして、旅ももう終わりに近づく頃、改めて旅を振り返ってみると…
水族館での思い出などは殆ど記憶になくて、写真でしか確認できないのです。
だもんで
私は旅行を顧みると、後悔の念が否応もなく、こみ上げてきます。

それもこれも、やはり、美しい景観を、素晴らしい遺跡を
目に焼き付けないで、紙に焼き付けてばかりいる
そんな自分を省みると、悔いるのも、あたりきしゃりきのこんこんちきなんですけど…
こうして記事を読む限り、そういう行動傾向は、私に身ならず日本人に多いようです。
それは、胸を撫で下ろすことでなく、もっと危惧すべき事実なのだと思います。
私は、このような、写真だけ撮って帰る、みたいな事を観光だと思わないどころか…

本当に、『愚行』と思えます。
本当に。
写真だけ撮って帰るというのは、やはり、キャメラに気がいっちゃってるのです。
現地の、美しい彫刻と同じ枠の中に自分が収まって映っている事に満足していて
現物の美術品を見てもなぁーんにも考えなくなっているのでしょう。

これってどうなんでしょうか。
かといって私はキャメラを否定している訳ではありません。
そのような行動傾向に陥らない限り、キャメラって素晴らしいモノだと思います。
だって、だって
だってなんだもぉん…この話終わり。

いや、しかし、旅行の要所要所を思えだせない時のもどかしさ、歯痒さったら、ありませぬ。
だから、私は、ちょうど去年の旅を終えた頃から考え始めたのです。
『その旅を、如何に自分の糧として昇華させるか、その術とは!』なんだろうと…
なんちゃって…うそうそ。考え始めましたって。ほんにで。

それはね
現地の人とどれだけ交流できるか
何でも見たものに何を考えるか、
この2点だと考えるのです。

以上の2点を実践でいるかどうかで、旅の善し悪しが決まるのだと思います。
…先日も6日から8日まで
はたまた沖縄に行ってきたのですが

さて、どうだったのでしょうか。それと、この文はどうっだったのでしょうか。
一回消えたんですが、もの凄く固い文になってしまった気が、するのです。

あーあ。

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