どのスポーツにもいえるが、審判の意図的な作為の有無は論外として、誤審を完全になくすことは不可能だろう。審判の技量もさりながら、判定に迷う微妙な場面も少なくないからである。
大相撲の栃錦と北の洋の対戦は、両者共に鋭い立ち会いからの速攻を得意とし、行司泣かせとして有名だったが、昭和33年秋場所初日の対戦は、相撲史に残る、立行司・第19代式守伊之助の差し違え事件となった。
栃錦の<突き落とし>に軍配を上げた伊之助は、北の洋の勝ちとする勝負検査役の判定に執拗に抗議したため、行司は判定に加われない規定違反により、二日目から出場停止となった。写真で見ると、明らかに北の洋の右手が土俵に付いており、同体で<取り直し>が妥当ではなかったかと思われる。
昭和44年春場所二日目の大鵬と戸田の対戦は、大鵬の連勝が45でストップしたというだけでなく、相撲協会が勝負判定にビデオの映像を取り入れる契機になった一番として記憶されている。
微妙な勝負だったが、栃錦/北の洋の一番と同様に、相撲の流れが重視され、大鵬に軍配を上げた立行司・第22代式守伊之助の差し違えと判定された。
写真では、明らかに大鵬の右足が徳俵上に残り、戸田の右足の指は俵の外である。勝負検査役の誤審である。
<写真はいずれも、高橋義孝/監修『相撲/焼土の秋場所から新国技館』(ベース ボール・マガジン社)から転写>
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