「しめしめ、カケス、頂きだよ」と涎がタラリ
この秋は珍しく我が家の庭にミヤマカケスが現れる。山のドングリが極端な不作だから、餌不足なのかも知れない。ヒマワリの種をくわえて満足げなミヤマカケスの弛緩と、獲物を狙うニャンの緊張。好対照の一瞬をタイミングよくデジカメで撮った。
オーストリアの小説家だそうだが、ベルンハルトとかいう偉いさんは、「写真にはグロテスクで滑稽な瞬間しか写らない」 ( 11 月 11 日付『釧路新聞』第3面「巷論」から孫引き ) と宣い、 写真を全否定しているが、もしそうなら、絵画・彫刻・演劇・映画・音楽・文学などすべての芸術作品が存在価値を失うだろう。自分が書く劇の台本や小説は「例外」というのか、アホか。
撮られ、描かれ、刻まれ、演じられ、映し出され、奏でられ、歌われ、書き表された、存在の一瞬の姿に、存在の奥底に潜む実存の真実を浮き上がらせるのが芸術の役割である。写真を否定し演劇や小説を肯定する類いは、「極楽トンボ」の言葉遊びに過ぎない。