10月20日付『北海道新聞』夕刊・第8面の<谷口孝男のなんもさ万華鏡>の中で、久しく忘れていた「横断歩道橋」という、懐かしい言葉を目にした。
真っ先に思い出したのが、桂木四丁目交差点の赤色の巨大な「セチリ太歩道橋」である。この歩道橋は、国道44号古川橋通の西側(桂木四丁目)に横断歩道があるのに、東側(木場二丁目)にはないことから、北東側の睦・国誉・富原の住民や富原小学校・中学校・釧路東高校の児童生徒の安全を考慮して設置されたものと思われる。
児童生徒の登下校時は利用があるが、日中の利用者はあまり多くない。お年寄りにとって、この階段の上り下りは難行だ。高齢化社会に横断歩道橋は無用の長物だろう。
次に思い出したのは、昭和四十五年に釧路に転職し、鳥取北五丁目のアパートに数か月ほど住んだせいか、十条スケートセンター前の国道38号に架かる、透明屋根付きの洒落た歩道橋である。
この歩道橋は、国道南側の十條製紙(当時)社宅と北側の十条ショッピングセンターとの連絡用だったのだろう。いまは、社宅もショッピングセンターもなくなり、歩道橋には閑古鳥が鳴いている。
<谷口孝男のなんもさ万華鏡>の見出し同様、釧路でも、「消えゆく横断歩道橋」ということか。しかし、札幌市のように、目的外使用の利点はない。
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