十一月三十日、新大関・稀勢の里が誕生(タイを掲げる稀勢の里=写真上段は、12月1日付『讀賣新聞』第22面から転写)した。九州場所千秋楽に琴奨菊に惨敗し(写真下段<左>は、11月28日付・同新聞・第23面から転写)、十勝五敗に終わり、昇進の基準である直近三十三勝に一勝足りなかったが、協会審判部では、千秋楽の勝敗に関係なく既に十四日目の段階で昇進の方針を決めていた。
過去に三十~三十二勝で昇進した例はあるが、魁傑(現・放駒理事長)以外は、直前の場所は日の出の勢いで優勝か、最低十二勝の成績で昇進を果たしている。十勝はいかにも貧弱だし、九州場所後半戦の稀勢の里の相撲には勢いが感じられなかった。 もともと腰高で脇が甘く残り腰がないので、突進を止められると為す術のない相撲である。横綱・大関戦でかろうじて琴欧洲に勝っただけの十勝では、通常は大関昇進とはならない。協会には協会の興行上の都合があるのだろうが、いくら一人横綱とはいえ、五大関は必要ない。
十一月二十八日、大関昇進を確実にし、記者会見で抱負を述べる稀勢の里(写真下段<右>は、11月29日付・同新聞・第21面から転写)には、昇進を喜ぶ晴れがましい快心の笑顔はなかった。「もっともっと、体も心も強くなっていきたい」(同新聞)という抱負は、現在の自己の力量を知っての上での本音だろう。腰高と脇の甘さは修正の難しい欠点である。これが直らなければ、上を狙うどころか大関の地位を守るのに汲々としなければならない。クンロク大関として終わらないことを願うのみである。
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