私が山本夏彦に出会った(といっても、当然のことながら、実際に顔を合わせたのではなく、書いたものの上での話だが)のは、昭和40年4月に就職して四年半近く過ぎた、昭和44年8月、月刊総合雑誌『諸君!』(文藝春秋)が創刊され、購読を始めてからである。転職して釧路に移り住む半年前だった。
雑誌『諸君!』は、今はもう死語になりつつある、いわゆる右派系の内容で、私の思考にぴったり合ったため、退職する直前の、平成17年3月まで途切れることなく購読し続けた。読み方は、巻頭の「紳士と淑女」と巻末の「笑わぬでもなし」を読んでから、本文の記事を読むという、一定の型を最後まで、いや、山本夏彦が、平成14年に病に伏し、巻末の「笑わぬでもなし」を休筆するまで変えなかった。
私は、左翼思想が好きでなかったが、連中と渡り合うためには連中の情報も知らねばと考え、月刊雑誌『思想』(岩波書店)と週刊誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)も同時に購読したが、昭和59年1月に筑紫鉄也が編集長になって、『朝日ジャーナル』とは縁を切った。月刊雑誌『世界』(岩波書店)には、必要があるとき以外、手を出さなかった。要するに、肌が合わないということ。
今回は、手元にあるハードカバーの著書六冊を取り上げる、夏彦シリーズ第一回のつもりだったが、思わぬ方向に筆が逸れた。写真の『私の岩波物語』(文藝春秋)は、岩波茂雄を論じた巻頭のコラムのタイトルをそのまま使っている。内容は、岩波書店・講談社・筑摩書房・中央公論社・実業之日本社・その他多くに言及し、出版業の表裏を簡にして明に、語り尽くしている。
岩波茂雄には気の毒だが、「私はまじめな人、正義の人ほど始末に負えないものはないと思っている」という、山本夏彦の言は、誤解を招く恐れなしとしないが、逆説的に人間社会の真実を突いていると思ってよいだろう。
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