大相撲秋場所12日目、小結・把瑠都が大関・琴光喜を上手投げで破り、関脇以下の力士で、二十三年ぶりに五大関を総なめにした(琴光喜戦の写真は、9月25日付『讀賣新聞』第20面から転写)。
二十三年前(昭和61年春場所)の記録の主人公は、関脇・保志(後の横綱・北勝海)で、不名誉な五大関は、北天佑・朝潮・若島津・大乃国・北尾。
把瑠都は、2日目(日馬富士)、3日目(千代大海)、4日目(魁皇)、11日目(琴欧洲)、12日目(琴光喜)を破ったが、把瑠都の荒削りで力まかせの相撲に対して、何の工夫もない五大関の不甲斐なさが目立つ記録だった。
私の少年時代には、十勝できない大関はクンロクオオゼキと揶揄されたものだ。松登とか三根山といった醜名を記憶している。今場所11日目から休場で、十四回目の角番となる千代大海と、十二回の角番ワースト2の魁皇は、疾うに引退すべき大関だ。
魁皇は、9日目に雅山に勝ち、通算勝ち星で大相撲史上二位の大潮の964勝に並んだ。千秋楽に琴光喜に勝ってかろうじて勝ち越した(通算966勝)が、大関の体面を保てなくなって久しい。
角番と8勝どまりの連続を大関として恥ずかしいとは思わないらしい。本人が「(歓声を聞くと)やらなきゃ、という気持ちになる」(9月22日付『北海道新聞』第16面、雅山に勝った土俵上の写真と通算勝利数を転写)というのだから、無様に尾羽うち枯らし(もう既にそうなっているが)姿を消すのを待つしかあるまい。
最近の「スポーツ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事