タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪七十歳(古希)の想い出の一こま(1)≫

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<古希>
 数え年の七十歳の称。 ?杜甫(とほ)の詩中の句「人生七十古来稀(まれ)なり」から。(西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫 編『岩波国語辞典』第七版)

 杜甫が生きていた八世紀の中国の唐代はいざ知らず、今どきの日本には碌でもない七十歳代がうようよ存在し、世に仇をなしている。私も今年はその碌でなしの仲間入りをしたわけだ。一月三日は私の誕生日で、満六十九歳となった。いつ逝ってもよいと心の準備はできているが、片付けなければならないものが山積、いささか焦りを感じる。
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 想い出は、こんな若いときもあったかということだけで、特に深い意味はない。時の経過とともに、やがて暗闇の中に埋没して消える。私は基本的に唯物論者で、死ねば魂は消滅すると考えている。今様の古希は、長寿を祝うのではなく、死に少しばかり近づいたという意味で慶賀したい。

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