「車に乗る必要がなかったものですから、車とかを買ったことがない。 それで車を買って乗っている人と自分とではどう差があるのかがよくわからない」 という人がいらっしゃいます。
そのご質問に関してお答えするのであればというお話になります。
私三之橋の場合は、別に大学生になりたいとかそういう事も考えない高校生でしたが、ある日大学生になるチャンスをつかんだ感じでした。
それまで一緒だった友達と別れる事になり、まずは入学式で何かを掴もうと考えました。
入学式で、当時エグゼクティブカーと呼ばれていた、国産高級4ドアセダンの新車に乗ってきていた子がいました。
人それぞれ、18歳になり、「俺は高校生の頃に見たあの車が欲しいと思っていたので、アルバイトをして買ったんだ」 みたいな人はいる。
私三之橋の場合は、特に卒業とかの時期には、進路がどうとかを真剣に考える余裕がなかった感じでした。
いつも一緒だった友達に、「俺はお前とは一生付き合っても良いと考えている。 それでこれからの時代はコンピュータの時代だと思うのでその専門学校に行かないか」 と誘われた。
なんて言うか、説明が難しいと思うのですが、ある日それまで付き合っていた友達がいて、進路がそれぞれ違い自然消滅する事が多いと思うので、わざわざお前とは一生付き合って良いと考えていると言われた告白に関しては嬉しかったのです。
男同士の愛みたいなそんなものではなくて、ただ単純に、「お前と付き合ってそんなに面白くもないし、ここで卒業したらもう会わない」 みたいに言われるよりはマシだと思うのです。
ただ、自分としては「えっ~~~、まさかコンピュータの方向だとはまったく想像できなかった」 と思ってしまった。
こういう言い方は適切でないかもしれませんが、中学生時代に引きこもりになった子とかがいて、高校生になった時に偶然バッタリ会い、その子の家に行くと部屋にメチャ高額なデスクトップPCが置いてあり、ゲームが並んでいた。
そういうイメージから、バイクをDIY整備して乗っているような子と遊んだりする事が多かった。
でも、自分と同じ景色を見ていると思っていた友達が、全く想像できない方向性の進路を言ったりしたので驚いた。
私三之橋なりに、「コンピュータの攻略はどうすれば良いのか?」 を考えたのですが、それはきっとキーボードのキーの位置がランダムな配列に見えたので、プログラムなどを入力する過程で、位置がわからないとイラっとして、挫折するのではないか?
それだと一緒にやろうと誘われた友達についていけなくなるような気がした。
そこで小ズルい作戦だと思うのですが、コンピュータの専門学校に行く前にゲームでやっていれば少しは好転するのかなあ~ と考え、家電量販店に行き、まったく初めて展示されているのを見たわけですが、「キーボードはメーカーによって違うのですか?」 と質問し、いきなりデスクトップPCを父のクレジットカードを持っていたので、買ってしまい、30万円超えていた。
でも、その後大学生になれるチャンスが回ってきた事で、ずっと一緒にいた友達と逸れる事になってしまった。
そんな感じだったので、18歳の大学1年生になった事で生まれて初めて実家を出たりするような人が集まる大学生となった。
みんなそうだと思うのですが、その大学に誰か友達と一緒に行くわけではない。
自分が1人で行くわけで、周りもきっと同じ境遇の同じ年齢のような人が集まると思った。
まず、何をするにしても、その大学で誰かとしゃべる事ができる友達を作らないといけないというのはわかった。
そんな感じだったので、入学式の最初のその日に何かを掴みたいと考え入学式に行った。
そこで某国産高級車に乗っていた子がいたので、思い切って訊いてみた。
その車はお父さんとかお兄さんの車かなあ~ と。
「俺はさー、4年後にはどこかの会社で会社員になっていて、そこで営業車に乗るつもりなので、今こうやって新車を買って乗っているだけなんだ。 その時に自分が困らないにしているだけだ。 なんだお前そんな事を知らないで生きているのか」 みたいに言われた。
その子の話が凄かった。
彼の話によるとその計画は15歳くらいにはもうアルバイトをしてお金を貯めて、しかも受験勉強は受験勉強でやって一発で試験に合格し、その後に自動車学校に行き、普通自動車運転免許証を取得し、入学式の前にはもう新車が納車されていた。
大学生の入学式の日には、もう4年後の為に新車を買って乗っているという話だったのです。
それまで高校生だと、ミニコンポを買い、30万円とかだったり、中型のバイクを買って乗っていてとかそんな感じだったのに、その子はもう300万円とかをポンと躊躇わずに投資しているように見えた。
私三之橋の場合、「友達がコンピュータの専門学校に一緒に行こうぜ、お前とは一生付き合っても良いと考えている」 と言われ、家電量販店に行って30万円超えでデスクトップPCを買ってしまった。
どういうPCを買えば良いのか? とか研究したりする事もなくて、とりあえず家電量販店に行き、そこで展示販売してあるのを見て、そんなに数も多くないので、直観のようなもので選び、質問は1個だけ店員さんにして、「キーボードのキーの位置はメーカーによって違うのか」 と確認して買った。
高いPCは50万円超えで、それはソフトの数が増えるというメリットはあったのですが、さすがに50万円を超えるのを買い、ゲームしかしないというのはどうかなあ~ とちょっとだけ悩み、後でまたコンピュータの専門学校に入って高額なものを買う羽目になるのかもしれないので、少し躊躇うものはあった。
そんな感じだったのですが、入学式で出会ったその子は、15歳くらいにアルバイトを始め、そのまま突き進み、大学生になった時には300万円超えという新車に乗っていたので、桁が1桁違っていたので驚いた。
そこから私三之橋のヒアリング調査が始まった。
「ねえねえ、あそこにいる子が新車で来ていたんだけどね、あなたもひょっとしたらもう免許とか車も持っていたりするの?」 と訊いて回った。
驚いた事に、もうみんな免許も持っていて、ローンで普通車を買って乗っていたりして、それは4年後とかの為という話をして、みんなが同じ目標だったりした。
1つの理由として、親元を離れるというのがあった。
18歳は未成年で親の承諾なしに車は購入できないという制限があった。
そして、子供の名義で車を買うと、その子供が無断駐車をやらかして110番緊急通報された場合や、事故をやらかした時とかに本人名義であれば、親に通知はこない。
それで、親の名義で、子供が自分の車として中古車で普通車サイズの車を買い、乗っていたりする。
後は、土地勘のない大学そばに引っ越したりして、そこで自動車学校に通うと、自分が住んでいた町より都会だと運転での実技試験とかで不慣れさがより出るので、田舎となる今まで住んでいた実家周辺の自動車学校に買ってさっと免許を取ったりしていた。
お父さんが、「〇〇、お前ももう大学生なので車の運転くらいまともにできないと笑われるぞ~」 みたいに言って、免許取得後にお父さんが助手席に乗って横でバック駐車とか、運転を始動したという話も多かった。
自分でヒアリング調査をしているのでわかるのですが、みんながみんな同じように、「男性は車の運転が一生付きまとうので、最初の段階できちんと運転できないと自分が困るだけの話だ」 みたいに言っていた。
大学生になり、同じ大学内で友達を見つけないといけないわけで、「だったら、みんなと同じ景色を見れば友達は作りやすいかな」 と気づいた。
同じクラスの男性の子に、「そのスーツ良いね」 と話しかけたとします。
でも、そのスーツはたまたまお母さんが選んで買ってきてくれたというケースもあるわけで、その人はそんなにファッションに興味があるとは言えない。
でも、車の話だとその子はもう免許持っていたり、車を買って乗っていたりするわけで、「こんにちは、僕は三之橋と言います。 今度自動車学校に通おうと考えているのだけど、ちょっと聞いても良いかな?」 みたいに声掛けすれば、相手から見れば自分の方が前に進んでいてすでに経験したりしているので答えにくい質問でもなかったりするので答えやすいじゃないですか。
同じ大学の中で、同じクラスの中で、先輩みたいな人がいる感じになる。
音楽に興味のない人に、いきなり音楽の話題の話をしても、ウザいと思う事はあると思う。
彼女がいないみたいな、引っ越してきたばかりの人に彼女の話題とかもウザいと思われる事はあると思う。
でも、その人大学生時代に運転の技術をマスターして、それが就職とかで役立つと考えているとわかっていると、その話題だとそのようなウザいと思われる確率は低いと考えられる。
相手がどんな話題に興味を持っているのかがわかれば、相手も同じように話すような友達ができれば良いなと考えていると思うので、友達作りとかは楽になる。
そんな感じで、自動車学校に通うとか、免許を取得するとか、車に乗るとかの行動は、自分にとってプラスに作用すると考えられた。
車の運転はそのようなスタートだったのです。
じゃあ、車の運転免許証を取得した後に、「車の運転は何をどう攻略するのが良いだろうか」 と考えた時に、ドイツでは自動車学校に通うと最初に運転哲学を教え、「車の運転は常に俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を見て事故などに気をつけ、周りの誰かの迷惑にならないこと」 みたいに教えている。
車の運転を18歳になるとみんなが一斉にやるみたいな感じがあるのは、俯瞰視という技術が大きく影響していると考えたのです。
韓国のホラー映画、コンジアムで、探検隊の主人公がドローンを飛ばし、探検に行く車の上空のやや後方から自動追尾させて撮影させるシュチュエーションがある。
俯瞰視というのはわからない人はまず1度映画でどんなシュチュエーションかを観れば良いと思います。
そのイメージから、大学などに出かけた帰りに、家の近所にある狭い離合しづらい路地があり、普通車2台がギリギリ通れるを走る事にした。
まず、大学とかに行くというシュチュエーションでその道を走ると、離合できない車があると遅刻することになるので、帰りに通るという事にした。
帰りにその道路を走り、車を左の壁に限界までくっつけないと普通車は離合できず、かと言って壁に寄りすぎれば車のドアパネルとかに傷が着く事になる。
車の運転席は国産車は右ハンドルとなるので右側にあり、助手席側の端を壁に寄せるという作業そのものは俯瞰視ができていないとすぐに自分で気づける事になる。
そんな感じで狭い道路を運転し、前の普通車の40代のおじさんが、対向車のドライバーに、「もっと左に寄せられるだろうが~~~」 と怒号を浴びせられているのを後ろの車の運転席で見ている。
俗に言う、「あなたはその現実をどう受け止めますか?」 というやつですよ。
20歳くらいで運転免許証を取得し、国道などを普段運転しているように見える、40代くらいのおじさんだとすでに免許取って20年とか経っているように見えるベテランであるはずの男性が、たまたまその時に狭い道路を走ってしまい、同じおじさんという感じの人に叱られていたりする。
前を走る車が対向車や壁にこするとかも見てしまう。
車を買う前に、もう家族の車を運転し、そんな狭い道路を初心者マークを貼った大学1年生の18歳が走り、それで車が傷だらけになるのか? それともギリギリで走れるのか? が知りたい。
「車の運転免許証を取得したばかりの素人なので、慣れてからそんな狭い道路を走れば良い」
そんな風に考える人が多いと思うのですが、そういうやり方をする人って伸びしろがないと思うのです。
要は、やり方ですよ。
そこにこだわる感じ。
前を走るおじさんが、対向車の車の運転者とかに怒鳴られまくりというのを見ていて、「もう30分くらい時間が経ったので、おしっこに行きたくなってきたので、早くしてほしい」 と思ったりする。
これった周りの誰かの迷惑になっているって事かなあ~、誰かの迷惑にならない事が原則なのに、前の人はできていないんだと思ったりする。
18歳の大学1年生がどこか一般常識的に考えてみた時に、自分はまだ運転を始めたばかりの素人なので、家族の車でベテランでも走りたくないような狭い路地で離合したりして、車にガッツリ傷でも着けば修理代が30万円とかかかると思うので、「後で上達してからそれはしよう」 みたいに考えると思う。
でも、そのようなやり方をしてしまった結果、20年後にうっかり狭い路地を走ってしまい、その時に知らないおじさんから、「運転もできないのに入って来るな」 みたいに叱られているという現実がその現場にあると思う。
その現実を毎日、その狭い路地を走り対向車と離合し、見続ける感じ。
その叱られたおじさんは、表面上パッと見た時に苦手な狭い路地とかを走らないできたことで、「俺は失敗した事ないよなあ」 という自覚だったりすると思う。
でも、失敗を恐れてやらなかっただけで、20年経ってもそれができないままというのはどうかなあ~ と思う。
子供の頃に、幼稚園生くらいの頃とかに友達の家に遊びに行ったりすると、その家のお父さんが車を運転している家もあれば、車を持っていないような家もあるという違いに気づく。
車のある家だと、ちびっ子を乗せて、「じゃあ、みんなで釣りにでも行くか」 とマイカーで出かけるのに誘ってもらえる。
でも、そういう車の運転が得意だという人もいれば、「私は車にはあまり詳しくなくて」 みたいな人って、小学校の先生とかにもいたりするじゃないですか。
例えば、2年に1度の車検の際でも、「私はちょっとそういうのは苦手で」 みたいな人がいて、よくわからないからディーラーに高い車検に丸投げしていたりするようなパターン。
バッテリーが上がったりしても、それがどうしてそうなるのか? みたいな事がよくわからない人もいたりする。
あくまでもイメージのようなものとして、「大学生はみんな4年後とかにもうその技術が必要なんだという感じで免許を取って、普通車サイズの車を中古で買って乗っていたりするので、まずは ”私はそういうのはちょっと苦手で” みたいに言ったりするような人が1番良くないのではないかなあ」 という感じで、「そのような残念な人にどうすれば自分がならないで済むのか」 を考えた感じでした。
近所に国立大学に通い、スポーツカーの新車でも買って、週末とかに洗車してワックスをかけているような人がいたのを見たりしてきて、そういう人を目指したいというわけではない。
「あんな感じの人に自分が将来なったら悲惨な人生かなあ」 みたいな、なりたくない人をイメージしていく感じ。
そうすると、これはまず避けたいかな、やりたくないかな、という狭い路地で壁いっぱいいっぱいに寄せて離合するというのが浮かんだので、「これは最初から毎日でもやっておくか」 みたいなルーティンに取り入れた。
友達に「俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか」 と誘われた時に、それはちょっと苦手意識のある分野だったので、抵抗感があり、自分なりにどういう風に攻略すれば良いのかを考えた時に、「そうだ、毎日引きこもりの友達がゲームしていたように、そこは真似てしまえば良いのでないか」 ととりあえずデスクトップPCを買ってしまった。
それと同じように、「どうすれば車の運転とかが苦手だったり、車の事がわからないような残念な人にならない為にはどうすれば良いのかなあ」 と18歳の大学1年生当時に自分なりに考えたのが、「車の運転をすることで得られる技術的なものって、俯瞰視で見るとかそういう事だと思うので、俯瞰視ができないと狭い路地で離合できずに車が傷だらけになってお父さんとかに叱られるだろうし、どうせ失敗経験をするのであれば、もう18歳なので今しかない」 と考え即日行動に移した。
当時は20歳が成人年齢で、車の運転は18歳からできるという感じだったので、うまく説明できないのですが、「どうせ車をぶつけたりするような失敗をするのであれば、18歳とか19歳の未成年の時の方が良くないだろうか」 という考え方。
例えば、20歳とか、21歳になった時に、うっかり走らないようにしていた狭い路地を走り、ぶつけたりしたとします。
その時にお父さんとかが呆れて、「お前もう大人の21歳だろ? まだ運転もまともにできないのかなあ~」 みたいに言われるであれば、それは18歳とかの方がまだ成人でないだけ、少し気が楽ではないかと考えた。
後は、週末とかに家で昼くらいに起きて、ダラダラと家でテレビでも観て過ごしたいと思ったりする。
でも、彼女とかに、「ねえ、今度の週末の新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ~」 と言われたりする。
「行きたくないなあ」とそれが正直な感想だったりする。
なぜか?
毎日車の運転をして、「せめて週末くらいは運転せずに、家でゴロゴロしていたい」 と思ったりする。
でも、彼女であったりする人は、普段車に乗っていなかったりするので、週に1度でも乗って遠出するというのは楽しみだったりする。
でも、自分的には毎日乗ってしんどい思いもしているので、せめて休日くらいは出かけずに家でゴロゴロしていたい・・・
日曜日に朝早く起きて、洗車してから彼女を迎えに行く。
どこに行くのか? みたいに今のようにネット検索とかないので、後ろから地図の本を出して、「今から県道〇〇号線を走って、交差点の〇〇〇で国道〇〇号線に入って、〇〇インターから高速に乗って、往きは時短で走らないと到着する時間が遅くなる」 そんな感じでメモっていく。
地図が読めない人って、”空間認識機能障害” みたいなものがあると言われていたりするので、地図からどういうドライブルートで走るのか? をサッと組み立てて、白紙のパチンコ屋さんのチラシの裏面に要点を書いていく。
「じゃあ、出発するか」 と走りだすと、助手席で彼女が、「この前こんな事があったの~」 とか話しだす。
「へえ~、そうなんだ」 と運転しながら相槌を打ち、「この辺かなあ、交差点名の〇〇〇で右折するのか」 と自分で組み立てた同意部ルートプランの進捗具合も管理しないといけない。
高速道路に乗ると、「マズイなあ、予想したよりも到着時間が遅くなりそうな感じなので、ここは時間を意識してもっと速度は20km/hアップくらいで走らないと失敗する」 とか考えたりする。
やはり到着した時間が遅くなればなるほど、彼女的にも詰まらないだけの話となるのでそれはマズイかなあ~ と感じたりする。
土地勘のない道路を走り、道に迷うとかもざらにあるので、安全な場所に車を停めて、エンジン掛けたままエアコン入れたままにして、畑仕事をしているおじいさんとかに道を尋ねてきたりして、自分の組み立てたドライブルートプランを修正したりする。
現地に到着し、遊んだりして、帰る。
どこかで夕飯を食べたりして、夜にライトを点けて走ると、助手席で彼女が遊び疲れた子供のように眠っているのを見て「やらやれだぜ」 みたいにホッとする。
それまでのちびっこ時代だと、家族旅行でもただ後部座席に座っていて、どこをどう走っているのか? もわからない感じで、退屈だったりするとかそんな感じだった。
でも、18歳になった途端に、彼女を乗せて、自分がドライブルートプランを組み立てて、その進捗具合も管理しないといけなくなる。
高校生の頃は、朝学校に行き、でも午後に終わって家に帰り16時とかにドラマの再放送の刑事ドラマとかを観たりしていた。
でも、大学生になると明るい時間に家に帰られない感じで、何かしんどい気がする。
やる事が急に増えてしまった感じで生活が一変した。
彼女が、「あそこに行きたい」 というお題を出して、それを聞いてドライブルートプランをサッと組み立てて管理する。
そういう事をひたすら繰り返した結果、大人になって会社員になった時に、仕事の管理ができたりしているだけだと思う。
「部長、あの件ですが、このままだと間に合わなくなりますよ」 と大人に言ったりできたのは、そういうドライブルートプランを組み立てたりして進捗具合を管理して、「このままのペースだと到着時間が遅くなるのでスピードアップ」 とかそういう経験が役立った感じがある。
後はイメージだと思う。
彼女があそこに行きたいと言って、その小さな夢を叶えるようなもの。
もしも彼氏が運転がへたくそであれば、それは遠出してもあまり面白くないと思うので、「もう行きたくない」 となると思うのです。
例えば、男性は大学を卒業し、どこかの企業に新社会人デビューして会社員1年生として入社したりする。
最初は新入社員として見てもらえるのかもしれないのですが、1年後にはOL姉さんみたいな人が入社してきて、自分の部下みたいに着くと思う。
その時に同じ女性の新入社員から、「ねえ、〇〇さんってあの三之橋さんの部下とかになってかわいそう」 とか言われていたりするのを見てしまうと、自分が惨めな気持ちになると思う。
会社員になるって事は、いつか自分がチームリーダーみたいになって、そこに部下とかが増えていくみたいなイメージ。
私の場合は男性なので、同じ男性の部下が1人できたとしてもそれはどうにかなりそうな気がした。
普段から同じ大学に同じ年齢の男友達と車で行ったりしていて、車内での会話もできていると感じられた。
でも、さすがに女性で年齢がもしも18歳だったりして高校を卒業して社会人デビューした子となると、大学を卒業して22歳なので、1年後とかに23歳の自分に18歳の女性の部下が着くと、年齢だけで5歳差となるじゃないですか。
その現実は厳しいと当時予想した。
高校3年生が1年生を見ても2歳しか離れていない。
大学4年生が1年生を見ても3歳しか離れていない。
そういう風に考えた場合、自分が想定している以上のギャップみたいなものが待ち受けているような気がした。
もしも会社員となり、自分が22歳で、そこに働くOL姉さんが27歳とかあると思う。
自分より5歳年上のOL姉さんがいたかと思えば、5歳年下のOL姉さんが部下になったりするという、それまでになかった年齢差となるので、厳しいのではないか。
仕事をしながら同時にOL姉さんと雑談もできないといけない。
男性の場合、男性とは普段から大学でも一緒でとかあるので、それを練習しても意味がない。
残りの異性となる女性で、年齢は自分より5歳上、下は5歳下の10歳間みたいなものを最初のスタート時点でできた方が良いというイメージ。
普通に考えたら、年上の人との会話はできたりすると思うので、年下の女性との会話ができることを目指すような感じになると思う。
時々ね、新聞とかに書いてあるのですが、発達障害者とか、知的障がい者がいて、子供の頃にどこかの施設に親が預けて暮らしたという人が大人になった時に、自分より年齢が上の人とのコミュニケーションはできる。
でも、年下とはできないらしい。
よく小学生が発達障がい者に、「お前今度あのゲームを盗んで来い」 みたいに命令を出して、泥棒させられて逮捕されたりしている事例が紹介されている。
そのメカニズムを考えた場合、年上の女性だとそう苦労する事もなく先輩として会話ができると思うので、躓くとしたら年下のOL姉さんとかの部下とかだと思う。
上司の悪口でもジョークに入れて会話して、笑いを取り、でも、仕事での関係なので、仕事はしてもらわないといけないので、指導もしないといけない。
そういう風に考えた場合、会社員の内勤職みたいなものを目指す人は、1番躓くと考えられるポイントとして、異性、女性の年下との会話が車内という独得の狭い空間で会話が弾むとかを意識してやっておいた方が、良いのではないだろうか。
そんなイメージのようなものです。
たぶんね、大学生になり、お父さんとか先輩とかに、「車の運転だけはできるようになっておかないとダメだぞ」 みたいに言われた時に、①身近にどういう訓練をどういう風にマスターしていくと教えてくれる人がいる。 ②誰も教えてくれる人がいないので自分で攻略法を考える。
そういうパターンでない人は、何をやれば良いのかが思い浮かばないので、結局役立たない事のような、スーパーに買い物に1人で行ける。 みたいな事で終わってしまうのだと思うのです。
誰かが身近に教えてくれる人がいるとかってまずないと思うので、後は自分なりにどういう風にすれば良いのかを考えたり実践した人が会社員になり、「怖いくらいうまくいく」 みたいな成功体験をしますと、仕事で何か次はこの仕事をやってと言われてもそれも攻略できそうな気がして、攻略してしまうのだと思うのです。
でも、大学生を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になった時に、躓くと、そこから先自分で修正することはかなり難しいと思うので、修正できないと思うのです。
人間の法則として、会社員になりその会社の中で、「これは自分にとって向いている気がする」 みたいに感じると、苦手意識はないと思うので、別に会社に行く事はストレスにはならない。
例えば、日曜日の朝7時とかに出かけて、「眠いなあ、ほんとはもっと寝ておきたいのに」 と根がグ~タラな人はそう思ってしまう。
何を意識していたの?
と訊かれたら、たぶん時間じゃないですか。
会社員になって、飲み会のあった翌朝に、「今日は二日酔いで頭が痛いなあ」 みたいなしんどい日があった時に、12時間とか集中力が途切れなようなもの。
車の良さと言うか、運転の良さというのは、同じ道路を走っても今日と明日では組み合わせが違っている事だと思う。
例えば、彼女がいて、その彼女がどこか行きたい所があって、休みの日に温泉旅行に行くとか遠出するとかのシュチュエーションだと、事前に計画を組み立てて行くとかすれば良いわけで、1回と2回であれば誰でも失敗しない気がする。
でも、いつも日曜日とかに彼女が「今日はあそこに行きたい」 とか言えば、それに付き合っていれば場数も増えていくわけで、天候が急に変わってザンザン降りの雨に遭うとか、交通事故で渋滞に巻き込まれるとか、人気がありすぎて渋滞するとか、いろいろ出てくる。
年に1回・2回とかであれば、事前に調べるとかもっと余裕もあったりして、今のようにネットがないとかの状況であっても、失敗とかしない気がする。
でも、毎週のようにお題を出され、それを地図本とかを見てサッと組み立てると、見落としたり何かあったりするので難易度はやればやる程上がっていくような感じがある。
もしも、自分がヘトヘトというしんどい時に彼女を乗せて運転して遠出して、土地勘もない道路を走っていれば、集中力が途切れるとそこで山道で崖から落ちるとかの事故に遭ったりしそうじゃないですか。
もしも自分が調子に乗っているだけで、「俺って車の運転は上手いので自信ある」 みたいに思っていただけだとしても、ある日崖から落下するとかの事故に遭えば、「そういう風に自分が思い込んでいただけなんだ」 と現実を見ることができると思う。
大学生から、まだ働いた事もない会社員の世界を想像した時に、「1年生はルーキーなのでそこで躓く事はないくらい楽勝ではないか。 あるとすれば、2年目になった時に次の新しい新入社員が入社した時に、その中から自分の部下みたいな女性が着いた時に失速するかなあ」 みたいなイメージ。
「会社員が退職理由の第1位は人間関係」 みたいに昔から言われている。
普通にその人間関係を想像した場合、年上の上司とうまく付き合うという事は簡単にできたとしても、男性の場合、異性となる女性の部下を着けられ、そこで「〇〇さんの仕事も見てあげてね」 みたいに言われた時に、難易度が上がると思うのです。
自分に与えらえた仕事だけを集中してやってください!
みたいに言われたらそれはそんなに難しくないと思うのです。
でも、女性の部下とかが新入社員で入ってきて、その人の面倒も見てね~ みたいに言われた場合、たぶんそこに何等かの難しい問題があって、失速していくのではないかなあ~ と思ったのです。
それまでずっと学生時代を過ごしてきたという人が、ある日を境に会社員となる。 当然そこでの経験はまったく何もない、真っ白な状態からのスタートになる。
そこで最初に躓く事が無くて、おそらく落とし穴のようなものとして、1年後に次の新入社員が入ってきた時に部下みたいな子が着いて、それで当然経験がまったくないわけなので失速するかなあ~ という想像。
例えば、新入社員の女性がいて、同じ女性同士で何か雑談をしていたとします。
その時に、「うわっ参ったなあ~、どのタイミングで声をかけようか」
みたいに悩むと思うのです。
小学生1年生くらいから大学4年生までの学生時代を振り返った時に、同じ同姓と過ごした時間とかの方が圧倒的に多いと思うので、女性で年下という組み合わせが1番弱い気がする。
彼女でもなければ、ガールフレンドみたいなものでもない。
そんな女性との距離感をどうするのか? というのが1番場数的に不足しているかなあ~ と思う。
そうするとね、「私は彼氏いないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれるワンデー彼氏を募集しますので、ドライブに連れて行ってください」 みたいなものに応募して場数を踏むのが1番かなあ~ と思った。
大学生になった時に周りの子がもうみんな免許を持っていて、普通車の中古車を買ったりして乗っていて、「それは4年後に役立つはず」 みたいに言っていた。
でも、具体的に詳細なカリキュラムみたいなものはみんな持っていないみたいで、漠然とやっていた感じに見えた。
誰も教えてはくれないという世界。
私三之橋の場合は、高校生時代の職業適性検査で、「あなたは人間に対して突出しているので精神科の医者になれば大成功間違いなし」 みたいに書いてあった。
そこに書いてあったのですが、あなたは自分が起用で何にでもできると錯覚すると思いますが、人間に関して強いだけなので、コンピュータプログラムのような相手が機械というのは人並みの力しか発揮できません。 そんな感じで書いてあった。
極端な言い方になるのかもしれませんが、人が大勢いるような世界だと無敵に近いくらい何かあるのかな、みたいに思った。
友達に、「これからはコンピュータの時代だと思うので、俺と一緒にコンピュータの専門学校に行こうぜ」 と言われた時に凹んでしまったのも、「機械が相手だと本領発揮できませんので気を付けてね」 みたいに職業的席検査の分析結果に書いてあったのです。
そもそも大学生になれたのも、そういう分野で評価された結果に過ぎないと思うので、「だったら自分でプランを組み立ててどこかの企業に就職が決まれば、4年で卒業できるくらいまではいくのではないか。
そう考えた。
未来の自分から今の自分に向かって、「その時代はこういう事をやるべき」 みたいなアドバイスをする感じ。
自分の直観のようなものだけで想像して、勝手に「車の運転はこういう風に攻略すれば良いかな」 みたいに組み立ててやっていただけの話なので、何かの書籍を読んで真似ているわけではない。
私三之橋の場合は、それまで学校で友達が、「今度の選択授業では、あれを一緒にっやろうぜ」 とか言われ、「わかった」 みたいに合わせていた。
友達はスーパー特待生という、ざっくり言えばもう天才じゃないですか。
とりあえずそういうのは友達に任せておけば良い。
でも、そういう習慣を繰り返した事で、ある日を境に大学生となり、その子と逸れてしまった事で自分が困る問題に遭遇した。
とりあえず、まずは入学式で友達を作る事を意識すべきかと考え、自分なりに行動したら、新車の高級車に乗っていた子に訊いてしまい、そこから同じクラスの子がもうみんな免許証を取得して、普通車の中古車などを買って乗っていた。
みんな同じように、車の運転もまともにできない人が会社で仕事なんてまともにできないと思う~、 みたいに話していた。
今大学生になったばかりなのに、もう4年後に向かって行動しているという、何か自分1人が大人になりきれていないかのような、取り残されているかのように見えた。
根がグ~たらな私三之橋なりに考えたのですが、車の運転というのは幼稚園生くらいのちびっこ時代から友達の家に行った時とか、どこか海に釣りに行って遅くなった時にそこにいたおじさんが、「俺の車で送ってあげよう」 とか乗せてくれたりする事があった。
普段温厚な人が運転していても、「なんだあいつ、あんな危ない運転しやがって~」 と運転席で大声を出すとかそういうシュチュエーションがあったりした。
「車の運転の問題って、難しさって何だろう?」 そう考えた時に、1人ぼっちで運転していて、その人自身は一生懸命に運転している気持ちだったりして、でも、その車の後ろを走る車の運転者から見た時に、「ねえ、あの前の車運転おかしいよね~」と運転席の彼氏が助手席の彼女に言って、「ほんとだ~」 と笑ったりする事にあると思ったのです。
人は早い人だと20歳くらいでもう1つの事しかできないという人がいて、2つ以上の事を同時にできないとかある。
車の運転をしていて、周りを俯瞰視で見るとかできない人だと、誰かが指摘でもしてあげない限り、おかしな運転を繰り返すだけの人生になる。
自分でなぜか自分が見えない、メタ認知みたいなものが構造上存在していて、その落とし穴に陥ってしまうと一生抜け出せない。
そういう風にイメージしたので、自動車学校に行き、1番の鬼教官に教えてもらえばその問題はクリアできると考えた。
人は負の感情で記憶した事って頭に焼き付くかのように覚えているので、鬼教官が怒鳴って、叱られるとさすが少しくらい記憶力が悪い人でも、その現実を受け止めるのではないか。
「我ながら、良いアイデアを浮かんだなあ」 と自分で思い、自動車学校で1番怖い鬼教官指名したいと言った。
その結果、5分に1回、助手席の補助ブレーキをガツンと踏まれ、MT車だったのでエンストし前のめりになり、「お前バカか~、さっき言ったことができないのか~~~」 と月光される。
教官の話は、難しいものだった。
「お前はこのシュチュエーションではこういうタイミングでここを見て、その後はこういう風になり、その時にはここを見るという事がきちんとできていない」 みたいなものだった。
次に怒られたのは、「こういうシュチュエーションではここをまず見る」 みたいに教えたら、いかにもやっています~ と目は動いてやっているかのように見せてはいるが、実際はやっているふりをしているだけだ というものだった。
物まね芸人が誰かを真似て、なんとなく似ていると言わればたしかにそう見えるが、何か違和感があり、ディティールがどうも違う。みたいな。
大学生になった時にヒアリング調査をした時に、みんなが同じ事を言っていた。
「自動車学校に通い、特に学科とかも勉強しなくても、誰でも免許証は取得できるじゃない? 頭の悪い大学生になれないような人でも合格できるシステムなんだよ。 お金を20万円も支払って、免許証がもらえない人が誰も行かないじゃないか。 それで免許証を習得して、初心者マークを貼って1人で公道を車を運転して、1年後とかにもう自分に無理だと感じればそこで運転やめるだろ? 車の運転免許証はただの紙切れに過ぎず、自分でそこに付加価値を乗せるという作業が重要なんだよ。 それでこんな風に普通車を中古でローンを組んでまで買って乗っているんんだよ~」 とそういう話でした。
それで、根がグ~たらな私三之橋は考えたのです。
その作業って難しいじゃないですか。
そもそも空気の読めないアスペルガーみたいな人がいた場合、空気を読めないくらいなので、自分で自分のどこを修正すれば良いとか、一生かかってもわかるはずないじゃん・・・ と考えた。
そこで考えたのが、”アザーアイシステム” みたいなもの。
他人の目、それも何十年も運転をし続け、教習生に教えていたというベテランの領域にあるような人が見て、「お前のここはこういう風でダメなんだよ~」 と叱ってくれる人を探し出し、その人の指摘したファーストインプレッションのような段階でダメな部分を最初の免許証取得できた時に、全部修正してしまえば、「もう俺ってベテランみたいに見えるよね?」 みたいな考え方。
”洗い出し” みたいな作業って相当賢い人でないと、自分で自分のできていない個所とかを見つけることは不可能に近いと思う。
要は、自分が運転免許証を取得した時点で、プロが洗い出した、「お前のここがダメなんだ」 という部分を宿題のように出してもらうような感じで、免許証を取得できると公道を自分1人で運転できる権利が得られるので、そこをまず修正する。
時間にすれば、1週間もかからないと思う。
それで遠出したりしても、「俺は後ろの車から見ても初心者マーク貼っている前の車ってほんとに初心者なの?」 と見える。
運転に自信がないとまず1人で走るとか怖いとか、あまり楽しいイメージではないのでモチベーションが4年も続かないと考えた。
何もわからない人が1人で中古車を買って大学に運転して通い続けても、課題もないとどういう風に練習すれば良いのかはわからないと思うので、結果が出ないと考えた。
車の運転は、”手続き記憶” と呼ばれる特殊なもので、脳の側頭脳に刻まれるような、行動を繰り返したことを記憶していると言われ、同じ動作を繰り返す事で、「生きていくのに必要な行動パターン」 みたいに記憶しているらしい。
そこから想像しますと、間違ったやり方をひたすら繰り返すと、その記憶が邪魔になって、修正しようとしてもなかなかうまくいかない。
片側3車線道路の真ん中の第2通行帯を走っている時に、左の第1通行帯を走っている軽自動車とかミニバンが、左折のウィンカーが点いているのが見え、曲がる際に右に寄せてから曲がるとかがあり、「うわっ、何だあいつ! 普通に曲がれるはずの道路でこっちに寄せて危ないじゃないか」 と思ったりするじゃないですか。
自動車学校とかで運転がへたくそな人が脱輪したりした事でそういう変な癖になったのが修正できないパターンだと思う。
幹線道路の片側3車線道路の真ん中の第2通行帯を走っている。 前の軽自動車がなぜか左に寄って走っているのを見ると、「あの人あれが中心に見えていたりするんだろうなあ」 と心配になるじゃないですか。
目がズレて見えていると、いろいろな障害が出ると思うのです。
私三之橋の場合は、大学生になり、「まずは友達を1人作らないと大学に行った時に1人でランチを食べる事になるよなあ」 と考え、入学式の日に何かのきっかけをつかまないといけないと考えました。
それでたまたま駐車場で見かけた国産某救急セダンに乗っていた子を見て、なぜか入学式の後のオリエンテーションでクラスに移動したら同じクラスだった。
そこから車の話題で、同じクラスの子に、「ねえねえ、あの人新車に乗って来ているよね? あなたももう免許持っていたり、車を買って乗っていたりするの?」 みたいなヒアリング調査が始まった。
大学生は、何か目標というか、研究テーマを決めて論文発表するというイメージだったので、「周りの子がもう免許も車も持っていて、私三之橋は出遅れている。 将来会社員になった時に運転で得た技術が役立つとか、俯瞰視がどうとか言っていたので、ニーズ的にはある。 だったら、県境テーマは、出遅れた人が車の運転技術を最短ルートで伸びしろの上限まで一気に上り詰め、それを応用して会社に入社していくというテーマにすれば、卒業くらいは楽勝ではないか」 と思ったのです。
根がグ~たらな人というのは、グ~たらなだけに、最短ルートを目指すものがあると思う。
飛行機に乗って、福岡空港から飛び立った飛行機が、離陸後に、ブ~~~~~ンという感じで音を出して一気に高度を上昇するシュチュエーションがあるじゃないですか。
多分早く安定させたいという感じで、あまりダラダラと上昇しないと思うのです。
そのようなイメージ。
車の運転というものでも、ダラダラとスタートしていると、初心者マークを貼った1年間とかあっという間に終わってしまうだろうし、自分がどういう上昇しているのか? みたいなものってよくわからないと思う。
人は18歳くらいの頃に何かターニングポイントがあると思うのです。
例えば、女性が高校を卒業して新社会人デビューして、どこかの会社にOL姉さんとして働く。
その時は、ピチピチなギャルみたいな感じで、あまり歓迎されない人もいない気がしますが、そこから4年も経てばもう22歳となる。
男性とかの場合、大学生になったという人でも、あまり誰か高校の頃からの友達と同じ大学に進み、そこでも一緒だったみたいな人っていない気がします。
どちらかといえば、1人ぼっちでその大学に行き、そこで同じ大学生の人と友達にならないといけない。
女性でも18歳とかの年齢である日を境にどこかの会社に1人ぼっちで行き、そこで誰かと知り合い仲良くなれないといけないし、男性でも大学にでも行けば同じように誰かと仲良くなれないといけない。
男性が大学で誰かと仲良くなれたとしても、それで終わりではなくて、車の運転とかでもやっていかないといけないし、講義を受けてそこでテストも受けていけない。
18歳で高校を卒業して新社会人デビューして、その会社で適用障害を起こして残念な結果となる人はいる。
でも、上手くいけば女性は結婚するまで、男性は一生その仕事を続ける可能性もある。
一方、大学生になると、そこで上手く友達が作れないとかで適用障害を起こす残念な結果もある。
後は上手くいってもいかなくても、4年後には卒業して新社会人デビューして、という感じになるので、またそこで同じ会社の中で誰かと仲良くなったりしないといけない。
考え方によると思いますが、大学生になり、「今までと同じ学生同士で仲良くなる」 みたいなものが1つの錯覚となり、それがある日社会人で会社員で、そういう環境が変わり、周りの人の年齢層まで変わるので社会人では失敗しやすいのかなあ~ と考えた。
後は、スーパー特待生という、まあ天才みたいな子といつも一緒にいたりして感じたのは、意外と才能ある人って失敗なんかした事がないので、1度躓くと自分で修正できずに終わるかなあ~ みたいなものを見てしまった。
その友達がもう大学でどこも受け入れてくれる先がみつからないという残念な結果だったのですが、なぜか私三之橋の場合は、受け入れ先の大学があったりした。
その差が何なのか? というのはよくわからないのですが、自分なりに考えた場合、失敗したりするところかなあ~ と思った。
そこで、大学生になった時に入学式の日にはもう新車を買って公道を運転し、それは4年後とか自分の未来の為に役立つのでやっていると言われ、自動車学校に行く時には、「1番厳しい鬼教官を指名したい」 と言ってしまった。
最初のスタート段階で、自分で考えたもっとも厳しいルートの山を登るみたいなもの。
そういうやり方が自分らしさがあるのかなあ~ と考えた。
才能があったりする人というのは、1度躓くと、そこから這い上がるというのは無理という感じだったりする。
でも、才能がない人というのは、いくら失敗しても何か失うようなものはない。
例えば、スーパー特待生という特殊な人だと、結果が出ないとそこで焦りとかあるので、余計に焦るとかあると思う。
でも、スーパー特待生でない人というのは、別に最初に躓いて、最終的に帳尻が合えば、結果オーライとなる。
大学生1年生で免許を取得して、車に乗り、そこで最初に躓きまくっても4年後の卒業までにどこかの企業に入社できれば、卒業も決まるだけの話かなあ~ と考えた。
大学生1年生、2年生、3年生まで立て続けに失敗しまくっても、4年生で画期的なやり方が見つかれば、そこで修正できるので、間に合う事になる。
後は、最初にガツンとしんどいなあ~ と感じると、自動車学校に通う期間って1年もないので、それを乗り越えると心理的に「やっと免許証が取得できたので、鬼教官ともお別れだなあ」 みたいになり、そのしんどさを振り返った時に、「これから1人で公道を運転していかないといけないという不安もあるが、今まで教官がそばで怒鳴りまくっていた方がしんどかったので、これから静化になるだけマシな環境に好転する事になるので、ハッピーではないだろうか」 と気持ちを切り替える事ができる。
教官が優しい人だったとします。
それでスタートすると1人で公道を自分でローンを組んで買った中古車を走らせる時に、最初の思い出が綺麗過ぎて、「こんな狭い道路を走って離合できずにこすって弁償させられるとかの結果になるのは嫌かなあ~」 そう思ったりしそうじゃないですか。
でも、最初に、「自動車学校選びからすでに失敗しまくった」 と言えば、最初の段階ですでに3万ポイントくらいのマイナスだったりするので、「今さらそんな失敗したところで、マイナス3万ポイントだったのが、マイナス1万ポイントになるような好転ではないか」 という感じがする。
友達の定義って、自分が恰好良い姿だけ見せられる相手ではなくて、、自分が恰好悪い姿を見らせられる相手だと思う。
「自動車学校に行ったら失敗しまくり教官に怒鳴られまくり」 と言うと、友達が安心するのです。
根幹にあるのは何か? と訊かれたら、スーパー特待生の友達との違いで、1点だけもしも自分が優れている点があるとすれば、修正できるスキルかなあ~ みたいに思ったのです。
友達だったら、入学式の日に知らない人にいきなり声かけして、「何だお前、そんな事も知らないで生きているのか」 とか言われる恥ずかしい真似はしないと思う。
「私彼氏がいないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になってドライブに連れて行ってくれる人募集しています」 とかに友達であれば絶対にやらないだろうなあ~ みたいな想像。
今の時代だと、”マッチングアプリ” とかで知り合った女性に、ぶっ飛ぶような高額な50万円とかの飲み代請求される失敗をしている若い男性が多いとニュースで報道されていたりする。
当時でも、”美人局” みたいなものはあったりしたので、「今大学生なので、1度、2度そういう失敗しても人生は修正できるだろうし、試しておくか」 という発想。
自分の直観で応募して、それで大金の50万円とかを失い、「お父さん、助けて」 みたいに自分が言う人であれば、それはその失敗経験により「俺は自分で思うより人を見る目がない」 みたいな自覚ができると思うので、50万円支払っても将来役立つ経験になるような気がする。
ちなみに、ワンデー彼氏とかに応募して、怖いお兄さんが出てきた事とかは1度もありませんでした。
自分がそんな感じで車に乗るというのはアクティブ路線だったので、大学に行き、いつも入り浸っていた友達のマンションがあるのですが、その人は車を買わない人でした。
「車の運転で俯瞰視をマスターすれば、その後人生は役立ちまくるぞ」 みたいな理論を聞いて、私三之橋は参戦したという感じになるのですが、「もしもそのようなことに参戦しない人の方が人生出世しまくるのかもしれない」 とも思ったので、いつも遊びに行ってそのマンションで過ごしまくるという人は、当然車の運転をしない人にした感じだったのです。
サンプリングの問題です。
ひょっとしたら自分が車にガンガンお金や時間を投じ、もしも真逆なタイプの人の方が出世しまくると後で修正しないといけなくなるじゃないですか。
でも、その友達は夏休みが終わった後で大学に行った時に家に行ったら、病院で処方されたという小さなビニール袋に8種類の薬が入っているのを毎食後に飲まないといけなくなったと言って、大学病院での治療代は無料だと言って、もう一生治らないと言っていました。
病名は言わなかったのですが、毎日1人暮らしで自分が好きな料理というか、弁当などを食べた結果そうなったと大学病院で言われたと話していました。
その友達は、1年生の終わりに私三之橋と同じように、「あなたたちはせっかく大学生になれたのに、おそらく4年で卒業できない残念な人です」 というパーティーの招待状が届き、お父さんが心配してもう大学を辞めて家に帰るとお別れを言われました。
そんな感じで、車の運転をしないとか車を買わないで普段乗っていないが免許証はあるという人がほかにもいたのですが、全員消えてしまったので、「車を買わずに、車の運転もしないとどうなるのか?」 がよくわからないところもあるのです。
大学生になるという年齢18歳というのは、生まれて初めて実家を出て1人暮らしをする人が多い。
その環境にうまく順応できない事で食事の面で自由に食べたいものを食べて病気となったり、いつも家で1人で居て精神を病むような人もいるし、就職活動のように自分1人で行動していくとうまくできずに、そんな感じで大学を辞めていく人が後を絶たない。
一方で私三之橋のような小学生くらいに塾とか行っていた子というのは、食事の摂り方みたいなリカバリー面みたいな訓練とかもあったので、あまり環境が変わったところで順応する事に対しては問題が起きないという人もいる。
塾の合宿とかってメチャあり得ないレベルの高額な料金なのに、食事とかは美味しいみたいな感じではない。 しかも食事を開始すると、どんなに嫌いであってもそれを食べ終わるまでは全員が席を立てない。
例えば、昼食にハンバーグが出た。 たまたま添えられている野菜が嫌いという子がいると、その子が涙を流して少しずつ食べているのを全員が見ていて、「あいついい加減にしてほしいよなあ、もう1時間過ぎたぜ」 とそんな感じで見ている。
お父さんやお母さんがそばにいなくなると途端にルーズになるという人がいたりする。
そういう人って、大抵の場合車とか買わないと思います。
車を買うと、洗車とか面倒くさい事って多いじゃないですか。
彼女とかがいて、彼氏が車とか買って乗っていると、「洗車とかもできているし、そんなにルーズな人でもなさそう」 と安心したり、結婚して「意外とルーズな面があった」 とか言ったりするじゃないですか。
大学生時代という学生最後の時代に、1つの目標に対してどういう行動プランを取ればその目的に到達できるのか? という部分で、彼女とかを乗せて彼女の行きたい目的地へのドライブルートプランを組み立てるとかする。
その後に、その彼女とかガールフレンドを隣の助手席に乗せて、会話もしながら、進捗具合を管理して、朝7時くらいから夜遅くまでずっとやり続け、彼女は、「三之橋君、運転疲れたら変わろうか?」 とか言わないので1人でやり切るしかない。
彼女や、ガールフレンドが、自分は何もしなかったのに、「今日はメチャ楽しかった」 と喜んでくれれば、また次回に続きがある。
それは例えるならば、自分が大学を卒業し、新社会人デビューして、そこで会社員1年生になった時に、OL姉さんと上手く会話ができるとか、自分が1年後にはOL姉さんの部下を持ち、業務の指導や管理ができるようになっているのを目指すようなものかなあ~ と思う。
大学生時代に、行動プランを組み立てるとか、その管理をするという繰り返しをして、その技術をマスターできれば、後は新社会人になった時に特に覚えないといけない技術が理論上存在していないと思うので、仕事に集中できると思うので、楽になるだけだと思うのです。
大学生時代に、「大学出たらたぶん異性の女性との会話が仕事をしながらだとうまくできないかな」 という想像などから、2つ以上の事を同時にやるというものって、車の運転が1番理論上合っているかなあ~ と思う。