今回は、YOUTUBEを始めるのに、高性能なゲーミングノートを買ってやる方が良いのか? に関しての考え方です。
まず、価格ドットコムとかで、ゲーミングノートを見れば、売れているランキング順に表示されるので、後は20万円くらいのものを買ってスタートするのが良いかなあ~、と思います。
奥さんのいる人であれば、「今度俺はYOUTUBEで稼ぐんだ」 と宣言すれば、もう後には引けないと思うのです。
私三之橋の場合は、始めたのが7月4日で、ちょうど梅雨の時期だったので、「ネタは車ネタにすれば、雨が降っても撮影はできるだろうし、半月で10本くらいまず撮影してみるか」 というスタートダッシュキャンペーンでやりました。
最初の動画では、日曜日にホームセンターのお客様駐車場に駐車した際に、「今はお客さんが駐車場にいないので、チャンスか」 と考え、スマホで撮影しました。
都市高速がそばにあるので、うるさいかなあ~ と考え、窓を閉め、エアコンも止めていたので暑かったです。
撮影開始したら、すぐに、そばに車が停まり、どうも職人さんが休憩するという感じで、こちらを見ていた。
「何だあいつ、頭おかしいのか? 1人しかいないのに車内でしゃべっているぞ」 みたいな空気感。
ワンマンオペレーションという、一人親方みたいな世界ですので、まずは撮影に慣れると言いますか、撮影してみて、後でそれをYOUTUBEにアップして、自宅のリビングのテレビで観て、「ここはイメージではこんな風にしたかったのに、実際はこうなった」 みたいな、見るのとやるのとでは違うという、経験をしないといけない。
例えば、YOUTUBEを観て、1人で自分を撮影している動画を観てもそれは簡単そうに見えてしまい、実際にカメラを持って真似ると、「うわっ、これはちょっと想像したより難しいぞ」 と感じることがある。
最初の段階で、その差を洗い出さないといけない。
次に、撮影に少し慣れたら、動画編集ソフトでの編集にも挑戦していかないといけない。
3カ月後とかに、躓きまくりのスタートから、ちょっと成長できていないといけない。
3カ月後の動画は、下記となります。
30プリウス冬支度、ラジエーターグリル塞ぎで燃費向上。 後はヒーターの効きも向上。
想定は、とある会社に勤める会社員が、会社で上司に、「今度俺の娘が結婚することになったので、三之橋、お前にビデオ撮影してもらいたいんだ」 と言われ、「やったこともない素人ですが、それで良ければ」 と答える。
例えば、上司はお金を持っていても、娘さんの結婚式に、良く知らないカメラマンを雇いたいと思わず、部下にやらせた方が、結婚するご主人のご両親とかが見ても、「部下の人が撮影するの」 みたいにちょっとした自慢となることがある。
「部下が多いみたいだったね」 となれば、変な家の娘さんと結婚したのと違うということで姑さんに虐められないでかわいがってもらえることもある。
そんな場合、やはり本人にとっては大切なものとなると思うので、結婚式がくる前の3か月くらい経った頃に、上司に、「スタートはこんな感じでした。 次に3カ月わけもわからずやったのがこちらの動画になります。 こんな感じなのですが、娘さんの結婚式に撮影しても大丈夫ですか?」 と見てもらうと思うのです。
後は、ノートPCを開いて、「これがハリウッド映画でも使用されている動画編集ソフトのダヴィンチリゾルブの無償版です。一応プロが使うものを使っています」 と見てもらうと思うのです。
例えば、わざわざ、「○○さん、私はこの為に4万5千円の動画編集ソフトを買いましたよ」 と言えば、「恩着せがましい奴だ」 みたいに思われてしまうと思う。
かと言って、超簡単に見えるフリーソフトでやっているとなれば、「俺の娘のイベントなのに、空気読めないなあ」 みたいになると思う。
落としどころとして、「ちょっと頭を使いまして、なるべくお金もかからないやり方で、かつ、結婚されるご主人やそのご両親や兄弟が見ても、変なものと感じないようにもので考えていますよ」 みたいなものになると思う。
あくまでも、想定という、空想のお話ですよ。
なぜ想定が必要なのか?
闇雲に挑戦したりすると、誰か管理する人がいないわけで、そんな習慣となると、普段の仕事に影響出ると思うのです。
大学生だった人が、新社会人になって、どこかの上場企業に入社できたとしても、試用期間は3カ月くらいだったりするので、さすがに3カ月とか時間だけが過ぎて、仕事が覚えられないとかの結果があると、マズイ。
時間は意識した方が良いので、3カ月くらいたった時に、何もわからず、誰かが教えてくれるわけでもなく、自分なりにやた結果を自分でどこか判断しないといけないと考えます。
それは、高校生でアルバイトに行った時でも、「俺はもう3カ月になるので、これがこんな風ではマズイな」 と自己分析できないといけない。
「三之橋君、もう半年くらいになると思うんだけど、仕事を覚えるのが遅いので、ちょっとね」 と言われると、トラウマになりそうじゃないですか
わざわざ、言いにくそうな事を言いづらそうに、言う。 それってたぶん、アスペルガーの様に空気が読めない人に言うシュチュエーションになると思うので、何度も言うべきか、言わないでおくか、悩んだ挙句の最終局面かなあ~ と思うのです。
もしもどこかで働いた時にそんなことがあれば、1度でその癖は直しておかないと、将来自分が困りそうなイメージ。
そんな考え方をしている人は、何か新しいことに挑戦する時には、想定として、会社の上司に頼まれたみたいなシュチュエーションにしてやると、大きく外すことはないかなあ~ と考えるのです。
じゃあ、実際にそんな想定でやったYOUTUBEで3カ月後に新しいゲーミングノートとかを買っていたのか?
と訊かれたら、実は買っていない。
そんな感じなので、手持ちのノートPCでもできるのだとは思います。
ただ、苦手なことをやった時に、その苦手なことの為にお金を出せるかどうか? も重要だったりすると思うのです。
例えば、お宝鑑定団というテレビ番組を観た時に、「骨とう品が好きで好きで、もう〇千万円も使って、家は骨とう品だらけ」 という自慢する男性が出た時に、奥さんが飽きれているとかあると思うのです。
テレビで実際に見たことのあるのは、掛け軸が好きで3千万円とか買った。 たしかに自分で稼いだお金であるので好きに使うという自由もあるとは思う。
でも、奥さんが、「ちょっとあの温泉に行きたい」 と言っても、「俺は興味ないし1人で行ってくれば」 と言って行かない。
たぶん、そうなってしまうのは、「その人が興味を持つことが少なすぎることが原因で、唯一興味のあることだけやりたいとなって、バランスが悪いだけかな」 と思うのです。
例えば、大学を出て、新社会人デビューをした会社で、私三之橋の場合は、上司の高級車に乗って銀行に大金運んだり、黒塗りのピッカピッカの新車に1人乗って銀行頭取の自宅にお中元とか配達していました。
デパートで買って、直送して、佐川急便とかの宅配便でお届けするというのは普通の人の感覚。
高級百貨店で買い、自社内でのし紙とか付けて、わざわざ役員の乗る黒塗りの車でお届けする。
頭取の自宅とかって、全国に支店のある都市銀行の支店長の家と違い、高台の昔から住んでいる家だったりする。 デカい車だと行きづらい狭い山道というか坂だったりする。
初めて行った家となるわけですが、ドローンでも飛ばす感じで地形とか、防犯カメラとかの位置を一瞬でチェックして、「この辺かな」 とインターフォンを押す。
お手伝いさんが来たので、渡して帰ろうとすると、「奥さんがお会いになるそうです」 と言われ、エンジン掛けたままデカい黒塗りの車を置いて入っていく。
「ちょっと土いじりしていたので、こんな格好ですみませんね」 とおばあさんが言われる。 普通に考えたら銀行の頂点の頭取の奥さんなのでそんな感じかなと考える。
たぶんね、ちょっとバカな振りをして、大学を卒業したばかりの、「その人には何の興味もないだろなあ」 みたいな話、あくまでも頭取の奥さんの趣味の話を振った時に、どんな会話をしてくるのか? をチェックしたいのだと思うのです。
「ふんふん、なるほど」 と相手の機嫌を損ねないように適当に話を合わせるという人も少なくない。
ことわざのようなものに、「人は誰もが普通に見えるけれど、15分超えると会話は持たない」 というものがあります。
でも、私三之橋のように、「ちょっとお借りしますね」 と言ってそこに置いてあるジョロを手に取り、「私の母もこんな風にいつも、”大きくなれ、大きくなれ” と言って水をあげていますよ。 アメリカの科学者であるバクスター博士も植物には感情があり、恐怖などを感じると言っています。 大切に育てようとする心がけがあれば、きっとそれに応えてくれるかなあ~ とそう希望しているのだと思いますよ」 と言う。
植物には興味がない。 花の名前とかもよく知らない。 知らない世界なので、それを無理に会話にするというのは難しいと思うので、黙って、できるだけしゃべらないようにして、適当に相槌でも打つ方が断然楽。
でも、人の趣味という世界は、人がやることに限定されるので、「たぶんこんな世界かな」 という推察はできるので、植物の気持ちになれるのかなあ~ と適当にやってしまう。
1時間くらい話して、お中元のお礼にと大切に育てている鉢植えをもらい、「10万円くらいはしそうだな」 と思い、「こんなのをもらっても帰りが心配だな」 と思うのですが、「これは大切に育ててられているものをありがとうございます」 と笑顔で受け取り、車に戻る。
公道上にエンジン掛けたまま置いた車も、一瞬で狭い道路で「ここなら大丈夫か」 と置いているので、誰かの迷惑になっていない感じ。
ドイツでは、自動車学校に行くと、「車の運転はね、常に俯瞰視(ふかんし)で周りの車や人を見て事故にならないように気を付け、誰かの迷惑にならないことを意識する」 と最初に運転哲学を教えている感じ。
たぶん、頭取の奥さんとかが見れば、「大学を出たばかりの新社会人というまだ会社に慣れてもいない年齢なのに、短い時間で初めてきた家の前の地形とか読み車を置き、1時間後も誰かの迷惑になっていない。 私が興味ないと思ってわざと植物の話をしたら、一瞬で合わせてきたので、たぶん育ちは良いと見えた」 みたいに何か評価されたのかなあ~ と思いました。
学生時代は、自分と年齢が一緒の子と過ごす。 その為、大人になった時に、おばあさんくらい年齢が離れている人と会話ができないことは珍しくない。 都市部では、おじいさんとかおばあさんと一緒に暮らしていることの方が少ない。
男性で22歳とかに見えると、さすがに花とか、植木とか、おばあさんやおじいさんがやりそうな事はまったく興味もないだろうなあ~ と予想ができる。
田舎のおばあさんの家に行った時に、おばあさんがお水をあげていたというかすかな記憶で話をすると、「うちのおばあちゃんもこんな感じでした」 と言ってしまう。
自分の口で、目の前にいるのは、ただのおばあさんで、たぶん暇で時間を持て余しているからそんなことをやっているのだろうと思っているという意味をしゃべってしまうと思うのです。
人間には法則があって、自分がその人に話しても理解してもらえないと考えると、話さなくなる。 それで、ハブられていくのだと思います。
「こんな話は退屈でしょ?」 みたいに振られた時に、「そんなお話は大好きですよ~」 みたいにリアクションで返すと、さすがに「あれはうそです」 とは言いづらくなるので、その人の話を聞いていかないといけなくなる。
お手伝いさんが、茶菓子を持ってきて、話も盛り上がったところで腕時計を見て、「おっ、もうこんな時間になってしまいましたので、続きはまた今度」 と言って、高そうな鉢植えをもらって帰る。 どんなに話が盛り上がったとしても、適当な時間でエンディングの幕引きは自分でする感じ。
会社に返ると、「ちょっと遅かったな、配達にしては」 と上司も思っているので、黒塗りの車を横づけして、まず鉢植えを持ってデスクに戻り、上司に、「頭取の奥様から、是非会長にとこんなものをいただきました」 と渡しておく。
「えっ、家に入ったの?」 みたいに驚かれるので、「家に行ったらお手伝いさんに、奥様がお会いになると連れていかれ適当に合わせたら、お友達になった御礼にこんなものをもらえました」 と言っておく。
よく、私三之橋の事を「他人の家に上がり込む技術は凄いよなあ」 と言う人がいるのですが、最初に社会人になって、その会社の社長の家にもよく昼間とか呼ばれていました。
家に入るとすぐの和室に布団が敷いてあって、そこの壁に仕立てたスーツがかけてあり、ステテコ姿の社長が寝ていて、「俺はあまり働くの好きじゃないし」 と言っていた。
お手伝いさんには、たぶん、「あの人達は身内なので放っておいて」 みたいに言っていたみたいで、お茶すら出ない。
会社に入社して20年くらい頑張って、やっと部長になったみたいな人がいて、「えっ、あいつはもう社長の家に呼ばれているのか?」 みたいに驚かれるのですが、そもそも自分から行きたいとか考えたわけでもなくて、ただ呼ばれるから仕方なく行くのです。
全然血縁関係でもなくて、親戚でも何でもない。
テレビドラマとか、映画とかでも、そんな人が会社に集まり、身内と呼ばれたりするようになることがあると思います。
強盗ではないので、家の中にいる人が、「どうぞ、中に」 と言われるので仕方なく入っているだけなのです。
大学生の人は想像できないと思いますが、新社会人となって会社員ゲームみたいなものに参加すると、上司が自宅に来いと言うから仕方なく行く。 自分から、「○○さんの家に今度呼んでもらえないですか」 とか部下がリクエストするわけないじゃないですか。
そうすると同じ社内の人に、「いったいどうやれば、あんなに仲良くなれるの?」 とか、訊かれるのです。
私の個人的な考えとしては、たぶん、普通の人は自分に興味のない話でもされた時に、先に結論があって、「その話は聞きたくない」 と思ってしまうので、顔に出るのだと思うのです。
「ゲッ」 と思ってしまう。 たぶん、電車である日痴漢にでも遭遇したOL姉さんのような、困惑しまくりの顔をしてしまい、相手に伝わる。
自分が得意なことにどこかこだわりがあるのだと思うのです。
でも、私三之橋は、高校生が終わる頃にそれまでいつも一緒だった友達に、「これからはコンピュータの時代だと思うので、俺と一緒にコンピュータの専門学校に行こうぜ」 と誘われた。
当時、「ゲッ」 と思ったわけですが、「仕方ないなあ、小ズルい作戦だけど、コンピュータの専門学校に入学する前にデスクトップPCを買ってしまい、キーボードのキーの位置を覚えてしまえば、なんとかなるか」 と実行してしまった。
たぶん2種類しかない。
友達に「どうしても自分にはコンピュータができそうにないので、無理」 と正直に断る。
「ここで断ると、友達と逸れてしまい、その後1人で人生を突き進まないといけないので、路頭に迷う」 と仕方なく前に進む。
どちらが楽なのか?
という、チョイス。 二者択一なので、どちらかを選ばないといけない。
18歳という年齢、友達はスーパー特待生だったので頭も賢いわけで、付き合う方が楽だと考えたのだと思うのです。
苦手なことに対してのリアクションみたいなものとして、最初にそういう選択をしますと、たぶん、”手続き記憶” となるので、それをひたすら繰り返すのだと思うのです。
例えば、大学を出て新社会人デビューした会社で、上司が「俺の車に乗って銀行に行ってきてくれ」 と言うので仕方なく「わかりました」 と言っていたのだと思うのです。
会社で、OL先輩姉さんという少し年上の先輩が、「大金持って運んでいると強盗に遭って、軽く見積もっても瀕死の重傷になるんだよ。 そうでなくても、普通の人が触らないような大金触っていると頭おかしくなっちゃうんだよ。 仕事変えてもらうように私が言ってあげようか。」 と心配してくれました。
でも、強盗の技術より上回っていれば、そもそも追いつかれないと思ったりしますし、強盗に遭う人って余程の人かなあ~ という確率だと思ったのです。
どうしても大学生だった人は、採用されてもほんとに仕事できるのかな? と試されるのは仕方がない。
そんな感じで、上司がシステム系の部長に、「こんなのを作ってほしい」 と相談した時に、システム系の部長が、「おい、三之橋君、そのくらい君でもできるよね?」 と私に振ってしまった。
小学生3年生の子供でも、「できないです」 と答えると思う。
でも、大人の場合はちょっとそこが違っていて、「これはわざとやったこともない仕事を目標に与え、それをどのように攻略しようと頑張るのか? という結果ではなくて、工程が重要だと考えていて、それを見たいだけなのかもしれない。 適当にやっていれば、助け船が出てくるんじゃないかな、サプライズとして」 と楽観的に考え、「わかりました」 と答えていたと思うのです。
もしも、何かやったこともない仕事をもらえた時に、いちいち、「もしもその業務を私がうまく出来なった場合のお話なんですが、それはどうなりますか? 私三之橋は配属換えとなるのですか?」 と細かく訊いてもしょうがないと思うのです。
ことわざのようなものに、「考えるには2種類ある。 自分ができない理由を考える人がいる。 でも、どうすればそれが上手くいくのかを考える人もいる」 と。
失敗することを前提にやると、もう仕事させる方も面白くないと思うので、「わかりました~」 と軽く答える感じ。
私三之橋は、よく社内の人から、「まるで蕎麦屋の出前の注文でも請けるかのように軽く言っている」 と言われるのですが、「蕎麦屋で働いた事がないので、わかりません」 と答えている。
例えば、コンピュータが苦手と感じ、適当にデスクトップPCを買った。 18歳の大学1年生になったら周りの子はみんな免許取って、「俺は4年後にどこかの企業で営業車に乗るつもりなのでその時に困らないようにこういう風に車を買って実践練習をしているだけ」 と言っていた。 真似たところ、私三之橋も会社に就職できて、上司の高級車に乗っていた。
最初は車の運転でも難しく感じたスタートだったが、今では乗れていると考える。
そんな感じなので、「これは今錯視が起きて、メチャメチャ難しい仕事を与えられたように見え、人によっては自殺するのかなあ~ と思うが、実際にやっていれば、”意外と楽にできちゃった” というオチではないかな」 と考えている感じ。
私三之橋の場合は、3歳くらいの頃に自転車に乗れるようになりました。 近所に2つ、3つ年上の先輩がいて、「何だ三の橋、お前自転車に乗れないのか、俺が教えてあげるよ」 と言われてしまいました。
別に自転車に乗りたいとか思ってもいないのに、先輩が押して、手を放して、ふらふらして転倒し、運が悪くそこには解体した廃材が置いてあり、五寸釘が出ていて、転んだ際に右の手のひらに突き刺さりました。
サビたあの抜く時に痛いやつです。
ちびっ子でしたので、寝る前に布団の中で手が痛い。 「先輩に付き合ってこんなことを続けていたらそのうち死にそうな気がしますので、”神様、明日には自転車に乗れるようにお願いします” 」 と布団の中で手を合わせて願っていた。
そんなひっ迫感から自転車に乗れるようにすぐになった感じでした。
人は誰でもたぶんですが、「自分にはどうしてもこれは無理」 と自転車に乗る練習をした時とかに、そう感じたりして、でも、いつまで経っても乗れないと友達が自転車に乗って遊びに行く時に自分だけ仲間外れになると考え、どうにか乗り越えたりしていると思うのです。
最初のスタートでは難しさを感じ、そこからのスタートでできるように変わったという事は記憶を辿ればいくつか思い出すと思うのです。
そんな考え方をしているだけですので、「システムを組んでみろよ」 と振られた時に「わかりました」 と言っていた感じ。
たぶんね、その時に私が、「私三之橋はこれまでにそんなことをやったことがありません。 大学を出てまだ会社の事もわからないことが多いので自分には無理だと思うので、○○さん、勘弁してください」 と言っていれば、そこで私の開始社員ゲームは終わっていたと思うのです。
第1に、デスクが隣にある上司は、たぶん忙しい自分が、仕事の合間に新入社員が困ってボーっとしていないかを見られるようにそうしていると思う。
そばで部下が、「上司に嫌々やらされています」 みたいな感じだと、もう見たくないと思うのです。
まるで自分が虐めているように見えてしまう。
第2に、会社員って、自分1人だけ仕事がどんなにできてもあまり意味がない。 チーム制という中で共生できるかどうか? という感じになるので、わからないことがあれば、社内で、社外で、援軍を呼ぶというスキルがないとたぶん生きていけない。
例えば、その会社の営業マンをしている人で、以前勤めた会社でシステム系の仕事をしていたり、専門学校や大学で勉強していた人がいるのかもしれない。
やはりそのくらいは自分で動いて、調べたりして、何か協力を求めて結果に結びつけていくとかすることができないと、もう22歳とかの年齢なので、そこから伸びしろがないことになってしまう。
社内に誰か1人協力者を捜し出すことができれば、「俺の友達にコンピュータの仕事をしている奴がいるので、訊いてみようか」 と次につなげることができる。
会社ってそんな世界なので、「三之橋はそんなこともわからないでうちの会社で働いていたのか」 となってしまう。
第3に、ネガティブな性格はビジネスに向かないと思う。 建売の家を売る人は、それを買う人が、「もしも、もしもですが、私〇〇が今は会社員ですが、将来いつかリストラに遭い、ローンを支払えなくなったらどうなりますかね?」 とか質問されれば、「家を買う前に失敗することを前提に買う人は少ないと思いますし、そうなれば、売却処分するんじゃないですかね。 私もリストラされた経験ないので何とも言えませんが」 と言うと思う。
世の中の多くのことは失敗をする前提では動いてはいないので、さすがに22歳とかになって、後ろ向きな性格だと続かないだろうなあ~ となると思う。
私三之橋の場合は、たまたま大学生となった時に、周りの子がみんな、「4年後にはどこかの企業に入社して働いているつもり」 という感じの目標に向かっていて、それはまるで地上に存在している中でもっとも難易度の高いゲームのようなものに見えた。
車の運店でもローンで中古車の普通サイズの車を買い、アルバイトして返済しながら頑張っている人が多かった。
「とりあえず参戦するか、人の10倍くらいやっておけば良いだろう」 と10倍の距離を走っていたりして、ほんとに卒業して新社会人デビューしたら、会社員になっていた。
まあ、周りにOL姉さんがいて、それは悪くなかった。
大学生の頃、周りの子の言っていた話が真実だったなあ~ と感じた。
学生が社会人となれば、ほんとに仕事できるのかな? という篩(ふるい) に掛けられらることになるので、「おい、三之橋くん、君でもそのくらいできるよね?」 と言われた時に、「わかりました」 と答えていただけなのだと思う。
「この地上に存在するもっとも難易度の高いゲームの1つが会社員ゲーム」 みたいに大学生が言っていた感じだったので、「まあ、いつかは失敗してしまうのかなあ」 と思いながらやっていく感じで、失敗したことは運が良かったのだろううが、1度もないと思う。
そんな成功体験から、「苦手意識のある動画の撮影とか動画編集は、こんな風にやっていくかなあ」 と考えて、会社員が上司に娘さんの結婚式での動画撮影や編集を頼まれたという想定でやっていたと思う。
やってみて、逃げ出すこともなく、とりあえず前に前にと進めたので、次は、「こんなPCを使うとどうなのだろうか?」 と興味を掘り下げていった感じなので、PCを買ったりしているだけだと思うのです。
社会人になって転職とかしたりすると、どこかの上場企業で、「最初は面白くないところがスタートとなる。 その業界の事も知識がないわけだし、取引先の会社名を覚えるだけも大変だし、同じ会社に知り合いもいないし、名前を覚えるだけも大変だったりする。 そこは全員もれなく平等なわけで、でも半年後とかにそこの会社でもう何年も働いているように見えるまで努力するというのは、本人の問題なんだ。 面白くないからスタートして、半年後にはそれを自分で面白いと変えることができないのであれば、最初から転職なんかしなければ良い。 三之橋もそうだったろう」 と言われたことがありました。
どこかの上場企業とかに転職し、うまくいかないことがあると辞めていく。
大人の世界というのは意外と厳しくて、1年とか2年時間を与えられる感じでもなくて、半年くらいは猶予がもらえる感じで、その猶予期間内だと、失敗したとしてもあまり注意もされない。 「まだ慣れていないし」 みたいな感じ。
でも、半年とか経ってスタートして伸びたように見えないと、そこで警告されたり、そのまま辞めてもらうという話になったりする。
とある会社での事例を書いておくと下記のような感じ。
ある支店で、「1人採用しないと仕事が追い付かない」 となり新聞広告を出し、1人を採用した。 年齢でいえば30代で、配属された課では1番年上となった。 物覚えがあまり良くないのか、仕事が遅い感じ。 ただ、年齢が上なので誰も注意できない。
2年とか経った頃に、別の支店に転勤となった。 はっきりとは知りませんが、年齢が上なのに、年下に甘えているように見えたので、少し人数の少ない支店に転勤させれば、そこでリーダーシップでも出すのかと期待したような気がする。
でも、そこの支店でも働きが悪く、ある日代表取締役社長が出張で来てしまった。 昼間支店に帰ったりした時に社長がその人の仕事ぶりを見てしまった。
夜には支店全員が社長との会食に出ないといけない。 宴会が開始された途端に、社長がその人のところに行き、「あなたが僕の会社に必要ないと思う理由」 みたいに言い出した。 ほかの社員はそれが見えないかのように普通の飲み会となった。
翌日には朝出社すると、人事の人から全国の支店に電話がかかってきて、「昨日○○支店で社長がXXを辞めさせる話を3時間したので、会社としてその方向で動くので、仲裁しようとした人は辞めてもらいます」 という内容でした。 そのまま対象となったXXさんは即日退職したらしい。
「空気の読めないアスペルガーみたいな奴が俺の会社にいたぞ」 みたいに社長が激怒してしまい、最初の1次会の食事のお店で、社長が大声で怒鳴りまくっていたらしい。
たぶんね、その言われた人が、嫌な気持ち、不快な思いをして記憶すると、忘れられないようになり、次にどこかの会社ではもっと真剣に働くだろうと考えたので、大声で叱ったのだと思うのです。
普通説教をする場合でも、10分とかで疲れてしまう。 でも、3時間くらい、疲れるくらい叱ったというのは、たぶん周りの人が言えないで放置していたように見え、「俺の会社なので、言いにくいとかあれば、それは俺の仕事だと思う」 みたいになったのだと思う。
まあ、人として接したのだと思う。
ただ、そこまで言われたら、人格が崩壊するとかトラウマになるとか考えられるわけで、そうなる前に注意してあげる人がいなかったというのもミステリーだったのです。
大学生の頃に想像できなかったものに、会社員となるとそこには、”社内失業者” と呼ばれている人がいるという、トラップがあったのです。
自分の適切に見える眼、俯瞰視できる眼、後は論理的に考えて、その落とし穴に落ちないようにしている。 どうしても落とし穴に落ちてしまうと、そうでない時の4倍・5倍の努力をしないと抜け出せなくなるので、最初から落ちない方が良いという考え方。
ダツラクしていく者がいれば、それはダツラクせずに残った人が、「見通しが甘いよね。 面白くないところから誰でもスタートしているわけで、それを面白くするかしないかは本人の腕次第」 と言ったりする。
何と言うか、「野球をやるのに、野球のルールも知らないで野球をやっている」 みたいにどこか笑って言う感じ。
大人になった時には、そんな台詞をよく耳にする。
そんなイメージと言えば良いのかもしれません。
後は、想定として、私三之橋がどこかのIT企業とかに管理職として働くことになった時に、お昼ごはんでも食べている時とかに、周りの人に、「三之橋さんって、どういう風に動画とかを学んだのですか?」 と訊かれる。
そんなシュチュエーションで、「僕はね、YOUTUBE組だよ。 ある時にブログをやっていて、動画とかに苦手意識があってずっとやってこなかった。 新型コロナウィルスって昔あったじゃない? その頃にね、NAVERまとめサービスというのをやっていたら、ある日突然3カ月後に廃止になります~ という案内が届いたの。 感染症というものが流行し、これから世界がどうなるのだろう? と飲食店がつぶれたりした。 そんなことがきっかけで、YOUTUBEを始めた。 誰かが教えてくれるわけじゃないからね、それはもう何もわからないところからスタートして、最初はね、こんなPCでやっていた・・・」 と話すと思う。
管理職とか、あるいは年齢が上になるという場合、その会社の中でちょっと年齢が下になるような人達が働いていて、そこにある日三之橋みたいな人がやってくる。
転職したりするとわかると思いますが、どこかの会社に就職して働きだすと、同じ課で働いている人に、「三之橋さん、今日良かったらみんなでちょっとランチに行きませんか」 と誘われる。
新しい仕事を覚えたり、社員の名前や顔を覚えるとか、少しバタバタしているので、入社して、少し経った頃に誘われる感じ。
「会社に慣れましたか?」 みたいな話をして、「三之橋さんてどんな仕事をしていたの?」 とか訊かれる。
一緒に働く同じチームとして、どこかで一席設けるとかしないと、仕事中にプライベートな話をして、それで機嫌悪くなる人もいるので、「みんなでちょっとご飯でも食べながら、自己紹介とかしませんか」 というニュアンス。
「へえ~、そうなんですか」 と言われるものがないと、管理職であってもたぶん誰も私の言うことは聞かないと思う。
20歳、22歳とかそんな若い人がいて、「えっ、三之橋さんってYOUTUBEをやっているの? チャンネル名は何て言うの?」 と訊いたりする。
そうするとね、その子はその日の午後には、「ねえねえ、三之橋さんてYOUTUBEやっているって知ってます?」 と歩くスピーカーとして言い歩く。 わざわざお願いしなくてもそうなる。
20歳とか若い人だと、年齢が自分と離れている人のことを怖いと感じて、しゃべれなくなっているとかある。
どこか抜けているような、ちょっと間抜けに見えるようなものがあると、距離感が身近に感じたりする
自分がもしもこんなことを言って、機嫌悪くされると明日から自分が社内で居づらくなると考えたりすると、しゃべらないのが1番となることは少なくない。
でも、間抜けな感じであったりする動画でもみつけると、「あの人はこんな感じの人なんだ」 と共通の話題でも探そうという風にこっそり動画を観たりできる。
FBI行動分析課の人は言う。 人には3つの顔がある。 1つは誰でも見られる顔。 2つ目は家族とか友人が見られる顔。 3つ目は家族とかが見たことない顔。
「三之橋さんって、ちょっと想像と違ったね」 とご飯を誘ってくれた人にそう思ってもらえればそれで良い。
例えば、会社にお客さんが訪ねてくる。 「三之橋さんをお願いします」 と若い女性に言った時に、その女性が苦手だと思っていると、「ゲッ」 と思って、それはある日突然電車の中で痴漢に遭ったような困惑した顔となる。 あるいは電話を取って「三之橋さんに○○○のお客様が来ています」 と言う時に緊張感が出てしまう。
それを見たお客さんも伝搬してしまうと思うので、仕事に影響出てしまう。 営業マンってそこが楽しいと思うからわざわざ会社に訪問したりしている。
転職した時に、社長とかがお客さんを見て、「前任者の頃と雰囲気変わったね」 と見えて、初めて採用して良かったと感じたりする。
よく大学生の人とかが、新卒採用で社会人となったら、もう転職だけはしないぞ! と考えたりする。
なぜか?
それは私三之橋のように、調子に乗って転職していると、ある日地雷を踏んでしまうからです。
とある企業の事例を書いておくと、前任者が長く勤め、その過程で悪霊にでも憑りつかれた感じで、おかしくなっていき、重度の精神病となり、なかなか辞めてくれなったらしい。
最初は、ちょっと精神的な病気だと思って周りもあまり何か言わないようにしていたら悪化の一途という感じになり、ある日責任者が辞めてもらう話をしたらしい。
転職というのは、前任者のお父さんが急死して会社経営者とかお店の経営者だったことで、その人が急に辞めたり、結婚とかで辞めるとかある。
それ以外では、何か前任者がおかしくなったとかで辞めてしまったことでポストが空くことで急遽募集されることもある。
前任者が悪霊にでも憑りつかれたようにしか見えないという最悪なパターンもある。
そんな時、調子に乗った感じで私三之橋のような人が入社すると、「前任者の話は一切してはいけない」 となる。
例えば、新しく入った私三之橋が、「前任者の〇〇さんって、どんな風だったの?」 と訊くと、「私はまだ入社して間もないので良く知りません」 と逃げられる。
うっかりしゃべってしまうと、それを聞いて私三之橋がもしも辞めてしまうとかの結果になると、社長に、「てめえ~、空気も読めねえのかよ~~~」 と叱られてしまい、たぶん今気にいっている仕事を手放さないといけなくなるイメージ。
そんなピンチとなった私三之橋の場合は、「なんだそうか、まあそれも想定内」 となり、ネットに働いてもらうだけ。
高校を卒業して若い女性が入社し、女性同士でおしゃべりしていて、急に頭の壊れた人がキレてしまい、「うるさい」 と怒ったりして、思わず怖くて泣いてしまった。
そんな人がYOUTUBEでも見れば、「何だ、あの人とは違う」 と感じてくれ、距離感が縮まる。
例えば、映画の中で主人公が戦闘機に乗って、いつものように操縦して飛んでいると、敵に見つかり、必要以上に追い回され、ミサイルを打たれ、戦闘機の後尾からフレアの囮が飛んで、ミサイルで撃墜されるのを防ぐ。そんなシーンが映ったして、ヒヤヒヤして見たりすることがあると思う。
大学を出て、会社員ゲームに参戦すると、たぶんそんな感じ。
仕事で頭がおかしくなったような精神病の人とか、そんな人は何人も見たりする。 悪霊に憑りつかれたような人とか、自殺する人とか、ストレスから病気になった人とか珍しくもなかったりする。
ある日、それまでの人生が180度ひっくり返るようなことに遭遇するとかあるので、そんな時に「想定内」 と言えるようにしていたりする感じ。
例えば、会社とか仕事に行って、夜帰宅して、家族が、「こんな人が訪ねてきたの」 と名刺を渡す。 そこに福岡市議会議員とかの名刺だったりすることもある。
全然会ったこともない人の家を訪ね、名刺を置いていくというのは、不安もあると思うので、その名刺に書いてあるメールアドレスに名刺を受け取りました。 こんな感じで社会貢献活動もしていますとYOUTUBEとかをリンクして送る。
ブログをやる人でも、たぶんそんな使い方をしていると思う。
YOUTUBEを始める時にちょっとだけ、1時間くらいかな。 何かこんな風にやっていくかと考える。
設計するようなもので、私三之橋の場合は7月4日にスタートしたわけで、7月1日とかにNAVERまとめサービス終了しますと案内きたので、それは梅雨の時期でもあった。
「雨が降ると撮影予定立てていても、その予定が上手くいかないで躓くだろうなあ」 と考え、「そこは車ネタにしておけば雨が降ってもできるか」 とネタという撮影するテーマを決めた感じ
動画の撮影は普段しないので、頭の中のイメージと実際に撮影できた動画を見て、「ここがイメージと違うので、こういう風に意識を変えないといけないあ」 というのが出ると思うので、まずは2週間で10本撮影し、それは都度YOTUBEにアップして置き、まとめて見て比較して、反省点を考えるとした感じ。
動画の編集は、動画編集ソフトを使うわけで、それも撮影をまずやった後で、その後にプロが使うという動画編集ソフトでやると決めた。
人はたぶん、それまでの人生経験で、苦手なものはこんな風に攻略していったな、という成功体験のようなものがあり、それを次回にフィードバックしていると思うので、「こんな風にやっていき、やるペース配分はこのくらいで」 みたいに何かザックリとした大枠でプランニングして、後はその全体像を見て、論理的におかしくないかとチェックしていると思うのです。
最初に考えたのが、プランAだとすれば、「うまくいかない時にはプランBにする」 みたいに何か考えていると思う。
ほんとは紙に企画書みたいなものを書いて、”手に考えさせる方法” をとった方が良いと思うのですが、会社員の人って普段から予定表も書かないですし、デスクに付箋を貼り付けるとかもしていない。
たぶん全部頭の中にあるんですよ。
いちいち予定表を時間かけて書いても予定が変わるとかざらにある。 朝上司が「俺は今日はゴルフで」 とか予定を言うとそれも覚えないといけない。
1カ月は1日から31日となるわけで、月間の仕事量の総量を考え、「今日はこれとあれをやるか」 と自分で今日の予定を考え管理しないといけない。
まさか月末とかになって、上司とかに、「今月忙しかったので、こんなに仕事溜まっていて、終わりそうにないのDサポートお願いします」 とでも言えば、自分の事を自分でできない人となってしまう。
頭の中で管理しているので、それを説明するのは難しい。
YOUTUBEで使うPCを買うというのも、たぶん最初の計画で、「こんなPCから始めていき、チョイグレードアップして確認する」 みたいなものだと思う。
後はお金の話。
「三之橋さんはPCを買って、また買って、無駄にお金を使っているのではないのですか?」 という部分です。
例えば、ファッションが趣味という人がいる。 友達と会う時に「あの格好で会う」 という感じで、数回しか着ない高そうでお洒落なデザイン洋服を買って着ているとします。
その場合、将来的に破産することもあると思うし、そうでなくても年を取った時に、「あの若い頃にあんなに洋服をお金をかけないでおけば今頃はもっと余裕あったはず」 みたいに思うことはあると思う。
でも、私三之橋の場合は、趣味にお金をかけているというわけでもなくて、PCに関して言えば、最初は高校生を卒業する頃に友達が、「これからはコンピュータの時代だと思うので俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか。 俺はお前とは一生付き合っても良いと考えているし」 と誘われた。
断る雰囲気でもなかったので、追従する為のデスクトップPCを自分で選んで買ってしまった。
でも、その後大学に行くことになり、大学生になった途端に周りの子が、「俺は4年後にはどこかの企業に入って営業車に乗っているつもりなので、その時に自分が困らないように今こうやってバイトしたお金で車に乗っている」 と言っていた。
「なるほど」 と思ってしまい、それ追従した。 周りの子はみんな「バイトもあるし講義もあるので年間5,000km走るつもり」 と言っていたので、私三之橋の場合は、「人の10倍やっておき、総当たりにしておけば良いかな」 と人の10倍は走ったので、ガソリン代でも10倍は使ってしまっている。
でも、4年後に新社会人デビューした会社で入社できたというのは、結果的に言えば、”投資” になっていた。
コンピュータが操作できないと、そこから覚えるということになり、躓いていたのかもしれないし、そもそもできないと入社もできずに引きこもりになっていたのかもしれない。
そんな感じなので、「YOUTUBE用にゲーミングノートを買ったので、明日宅配便がくると思うので受け取りだけしておいて」 と家族に言っても、「また買ったの?」 とか言われないんですよ。
後は、ノートPCって空冷式なので、分解して、ヒートシンクとCPUのグリスの塗り替えとかしないといけません。
普通の人は、「大切な10万円も出して買っているので、初めて分解して、もしも壊れたりすれば勿体ない」 と考えたりして、新品でゲーミングノートを買い、1年間ゲームしまくり、メルカリ送りにしてまた新品のゲーミングノートを買ったりするループだったりする。
私三之橋の場合は、そこも違うんですよ。
メンテナンスの1つにCPUグリス塗り替えがあると考えているので、「やってみるか」 と考える。
「もしも失敗したら」 というプランBでは、「近所のPC修理屋さんと看板があるお店に出せば、もしも組み立てできなかったら、持ち込み組み立ててもらい、また1カ月後に自分でトライしよう」 と考えるので、実戦する前に夜ウォーキングで歩いてそこのお店がまだ営業しているのかを目視確認してから分解をするのです。
自分が分解し、組み立てができなければそれ一式を近所のPC修理屋さんに持ち込む。 お金を1万円とか出して組み立ててもらえば、1カ月に自分がまた分解に挑戦する時に、「また失敗したら1万円飛ぶな」 とちょっと用心すると思うのです。
もしも、その1万円とかのお金が惜しくて、分解をしないとどうなると思います?
分解して組み立てがうまくできないということは、ひょっとしたら空間認識障害があるのかもしれない。 そのまま放置したら、生涯で莫大な損失出ると思うのです。
仮に1回分解してダメで、近所のPC修理屋さんに持ち込み、1万円支払ったとします。
また分解して、失敗したら、それを10回繰り返して11回目で分解したのを組み立てることができるように変われば、損失はその10万円で済むと考えるのです。
動画編集ソフトは、一般のソフトと違っている点がある。 例えば、マシンに高スペックなものを要求するとかあるので、作業中に落ちる可能性やクラッシュする可能性がある。
その為、普段仕事で使っているノートPCのAというマシンがあれば、そのマシンには動画編集ソフトを入れず、作業しないようにした方が良いと考える。
万が一、クラッシュして仕事などのデータが吹き飛んでしまうと、膨大な損害が予想されるし、復旧できても時間がかかるし、その間仕事もできないとそれも困る。
理論上、①普段の仕事用のノートPCのマシンAと、②動画編集のノートPCのマシンBを用意するのが、安全確実かなあ~ と考える。
動画編集ソフトは、そのソフトがインストールされたPCの中で起動し、そこに撮影した動画をエンコードで取り込み、一時的に編集できるモードで保存してあり、最終的に出来上がるとそれをデコードという処理でPCとかで見られるファイル形式を作り出している。
例えば、ワードやエクセルだと、それをちょっと作成し、マシンAで作ったファイルをSDカードにコピーし、翌日に会社のノートPCでさらに編集するというのは簡単にできる。
でも、動画編集ソフトの場合は、一旦動画を取り込んだマシンAの中で編集しているものを別のマシンBに簡単に移動してそこで編集するというのは面倒な作業が必要になる感じがある
持っていたマシンBとなるCORE i7のコアの数が4個のSSDに換装させてあるものでまず動画編集をやってみた。
次に持っていたマシンÇとなるCORE I-5のコアの数が2個のSSDに換装させたあるものでも動画編集をやってみた。
比較した結果から、今度は手のひらPCを買って試してみた。
その結果から、今度は、dGPUを持つ、コアの数が6個となるゲーミングノートを買って試してみた。
その結果から、今度はdGPUを持つ、コアの数が8個となるゲーミングノートを買って試してみた。
すべての動画をノートPC内の動画編集ソフトの中に保存したままというわけにもいかないのですが、「あのマシンで編集していた時にはあそこはどうだったのか」 とマシンを起動して確認することができる感じがある。
そんな感じです。
まずは、普段の仕事とかにデータのPCで動画編集して、万が一クラッシュすると困ることになるので、ゲームをしまくる人が仕事用と別にしているのと同じように、PCを別途用意するという感じになる。(そこは普通の人でもやるような気がします)
それじゃあ、1台20万円とかのお金を出して、人気のゲーミングノートを買い、それで動画撮影や編集に挑戦した場合、「マシンが凄すぎて、実際のところよくわからないまま」 となると考えるのです。
「仕事はね、結果ではなくて、過程が重要なんだ」 と言ったりするように、過程が抜けちゃうのが怖い感じ。
例えば、YOUTUBEを10年やっているという人であれば、3年に1度、ノートPCを買い換えたとしても最低3台くらいは使った経験で学んだノウハウみたいなものがあると思う。
「最初は収益化できないとかあって、結構ボロいマシンを使っていたので、書き出しも遅かったし、いろいろあった」 と語ることができる。
でも、「YOUTUBEを始めようと考えた時に、なんとなく高性能なゲーミングノートを1台買えば良いと考えたので、何の苦労もなく最初から上手くいきましたので、そんな質問されても答えられません」 となると考えた感じ。
私三之橋の場合は、最初の動画は、ブログネタで買った感じの中華製アクションカメラでした。 しかも専用マイクとかなかったので車内でマイクなしで撮影しています。
たぶん、YOUTUBEとかをされている先輩から見れば、「うわっ、それ素人がいかにもやっちゃう、ほんとはやっちゃダメなパターン」 と笑うと思う。
「うわっ、コイツほんとに素人じゃん、音の反響とか知らずに車内で撮影している」
「うわっ、コイツ頭悪いのか? 車内で運転してマイクでしゃべっている。 そこはナレーション録音にしないと声に高揚感出るって知らないのだろうな」
「うわっ、またカメラを替えている。 何か素人過ぎて何もわからずにやっているんだろうねえ」
そんな感じではないだろうか。
私三之橋の場合は、動画の撮影や、動画編集ソフトって、たぶん小学生3年生くらいの子でもできると考えていたりする。
まず、YOUTUBEを見たことのある人だと、小学生YouTuberという感じの人が、ゴキブリのどの殺虫剤が効くとかの実験を披露しているとか見たことがあると思う。
まさか小学生3年生とかになって、お父さんが撮影や動画編集を手伝っているとは見えないし、後はワイドショーでも小学生用のYouTuber教室が人気だと言っていたりする。
10歳の知能で動画編集できるってことは、大人が直感で操作できると考えるので、わざわざ動画編集方法とか学ぶ人は少ない気がする。
そうするとね、1台のゲーミングノートを買い、1台高級なカメラで同じパターンで撮影して場数を稼ぐよりも、複数の素人目線でいろいろやると複雑になるので最初はしんどさが増すと思うのですが、後でパターン解析すれば、場数を減らして習得できる技術のような気がするのです。
1つは、時短という技術。
学生時代と違って、大人になるとそんなに回せる時間も無かったりするので、短い時間で効率良く技術を習得した方が良いと思う。
2つ目は、自分で考えるという技術。
例えば、福岡市内で、「私xx xxは、YOUTUBEをもう10年やっていて稼げましたので、誰でもできるYouTuber教室を運営しています」 というのがあり、それに参加して動画撮影や動画編集を学んだ方が効率的だと思う。
まず、自分で考えてみて、実戦してみる。 うまくいかなくてもそれは素人なので別に恥ずかしいことでもないと思う。
1年後・3年後・5年後・10年後とか、場数をそれなりにやってみた後で、そこで、「あなたでもできちゃうYouTuber教室」 に行けば、講師のやり方を聞いて、「なるほど、自分はそこがダメだったのか」 とわかりやすいと思う。
「三之橋さんは、何か質問ありませんか」 と講師に訊かれたら、「私三之橋のこの動画は、ここがこういう風にした方が良いってことですか?」 みたいに具体的に訊けると思うのです。
お金を出して習いに行くのであれば、たたき台を持参した方が効率はもっと良くなると思うのです。
ただ、私のやり方が必ずしも良いとも言えないと思います。
例えば、研究の為にノートPCを書い足していくと部屋が散らかるわけで、「少し片づける為に要らないノートPCをメルカリ送りにして処分したらどうですか?」 と言われた時に、「売れない」 となる。
「私はこういうものを撮影するんだ」 と決めていなくて、「この高級なカメラ1台で撮影する」 と決めていない。 ランダムにやっていると、偶然というか、「えっ、何でこうなったのだろうか」 という摩訶不思議な失敗も遭遇する。
YOUTUBEに関しては、「こんな風に対処してアップしておくか」 と一時的な問題解決をしてアップロードしている。
でも、後で、「あの時どうしてあんな風になってしまったのだろうか?」 という失敗に遭遇した原因みたいなものであったり、「あの時にはほんとはこういう風に対処した方が良かったのではないか」 と、再度動画編集をちょっと弄ってという実験もすることがある。
厭らしい話になってしまうのですが、私三之橋の場合は、苦手なものに挑戦したら、それはどこかの企業で通用するというものを目指しているようなところがあると思う。
例えば、高校生を卒業する頃に友達に、「これからはコンピュータの時代だぜ。 コンピュータを触れないとそれはもう恥ずかしいぜ」 みたいに言われ、やることになってしまった。
あるいは、大学生となった時に、「車の運転もまともにできないとどこかの企業に就職することもできず、彼女もできず、自分で自分の首を絞めるんだぜ」 みたいに言われてしまい、やることになってしまった。
苦手なんだけど、最終的には大学を卒業して会社員になれて、システムの設計とかもしてしまった。
そんな感じなので、何か同じような感じのものを目指しているような気もする。
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