前回は・・・私が子供のころ・・・実際に体験した事をお話しした。
前回も・・・500人程の人にブログを見て頂いた様だが・・・多分、そのタイトルから
多大な期待を抱いて・・・読んで頂いたのではないだろうか?
しかし・・・話の内容が・・・余りにも、そのタイトルと乖離していて、皆さんにとっては、
ツマラナイ話であったと思うが・・・私は、その時非常に重要な事を悟ったのである。
なんて・・・宗教家じゃないのだから・・・そんなに大それた事を悟った訳では・・・勿論ない。
ただ・・・その愚にも付かない悟りを開く為に・・・数々の製品が・・・廃棄処分になった事は
・・・言うまでもない。
問題の・・・2サイクルの250ccバイクも・・・危うく、廃棄処分になるところだった。
しかし、何故・・・2サイクルエンジンは・・・マフラーを装着しないと、まともに走らなかったのか?
昔の・・・模型用のエンジンには・・・最初から、マフラーなど付いていなかったではないか?
マフラーって・・・そもそも、排気音を小さくする為のモノでは無いのか・・・???
もし・・・そうだとすると・・・消音をする必要が無ければ・・・マフラーなど要らないのか?
その辺の事に付いて・・・今回は考えてみたい。
先ず・・・マフラーに付いて・・・基本的にその特性を整理してみる。
4サイクル用のマフラーと2サイクル用のマフラーでは、考えている事が正反対だと言う事だ。
この理由は・・・エンジンの構造にあるのだが・・・。
今回は4サイクル用のマフラーに付いて・・・考えてみたい。
一般的に市販されている車やバイクに・・・標準で装着されているマフラーは・・・まず例外なく
消音目的で作られている。
性能など・・・二の次なのだ・・・ただ、音が小さければそれでいい・・・現在では特にそうだと思う。
しかし・・・元来、4サイクルエンジン用のマフラーは・・・如何にスムーズに排気させるかが・・・
開発時の最大のポイントである。
今は・・・どうか?は、知らないが・・・昔のレース用のマフラーなどは・・・直缶タイプで、
サイレンサー部分などなかった。
何故・・・サイレンサーが無いのか?・・・それは、排気抵抗が増える事が・・・その最たる理由である。
だから・・・昔の4サイクルのレース用の車やバイクには、そんなモノは装着されていなかったのである。
それでも・・・苦情など出無い・・・古き良き時代のことである。
確か・・・昭和49年頃・・・画期的な750ccのバイクが販売された。
通称・・・Z2と、呼ばれる・・・カワサキのRS750である。
当時・・・その洗練されたデザインから・・・爆発的な人気を得た。
しかし・・・エンジンはともかく・・・キャブやフレームに問題が有って・・・その後、幾度となく改修の
憂き目にあった。
それでも・・・それまでは、ホンダのドリーム750Four(RS750が発売された頃は・・・K4だったかな?)
と言う、団子の様な形をしたバイクしか・・・このクラスには無かったのだから、無理も無かった。
エンジンのパワーや、排気音もRS750の方が勝っていたが・・・何より・・・格好が良かったのである。
スピードメーターやバックミラーなどのデザインも洗練されていた。
その証拠に・・・何年か前に・・・同じようなバイクが・・・また、リバイバルで発売されたと聞いている。
それに・・・そのころのホンダのバイクは・・・何を考えているのか?・・・理解に苦しむ様な安全対策?が
施されていた。
ワンアクションで、スロットルが全開にならないのである。
スロットルを全開にする為には・・・操作中にグリップを握り直す必要があった。
唯でさえ・・・前に進まない様なバイクに・・・そのことが拍車を掛けていたのである。
そんな訳で・・・スロットル操作も重かった事から・・・スタート時にタイヤがスキッドする事はなかった。
パワーも無かった事が原因だとは思うが・・・その反面・・・急激にスロットルが戻ってしまうので、
エンジンブレーキでタイヤが・・・泣いた(鳴いた:笑い)。
私も・・・御多分に漏れず・・・Z2を何台も買った。
その当時・・・ヨシムラと言うおじさんが作っていた・・・集合管なるものが販売された。
車にも・・・たこ足・・・と呼ばれる、似た様なモノがあったが・・・あくまでもマニホールドだけだった。
しかし・・・その集合管は・・・マフラー部分も一体で作られていた。
直ぐにでも購入したかったのだが・・・一体何処に売っているのか?・・・
最初は・・・判らなかったのである。
事実・・・日本中で数件しか代理店が無かったので・・・無理も無い。
今なら・・・インターネットで簡単に見つかるだろうが・・・その当時はそんな事も難しかったのである。
ヤガテ・・・苦労の末に・・それを、手に入れた。
当時、横浜の保土ヶ谷にあった(今も有るのだろうか?)横浜ライニングを、何とか探し当てて、
ワザワザ・・・そこまで買いにいったのである。
イザ買ったは良いが・・・持って帰るのに・・・苦労した。
それは・・・重かった。
買いたい一心で・・・後の事は全く考えていなかったのである。
それは・・・言わずと知れた、手曲げであったが・・・¥49,000円もしたのである。
他に・・・機械曲げも、10,000円程安く販売されていたが・・・当時の私の給料が
大体8万円位だったのだから・・・その値段は・・・当時からすれば・・・べらぼうな金額であった。
しかし、そのマフラーで・・・4サイクルのマフラーに付いて・・・学んだ。
ヤガテ・・・それを元に・・・自分で集合管を作ってみた。
当然・・・全てを自作する技術はないし・・・既にヨシムラおじさんに
お金を吸い取られているので財力もない。
従って、仕方がないので・・・材料は全て・・・廃品で賄った。
エキパイは・・・行きつけのバイク屋から・・・Z2のマフラーを鉄屑の中から調達した。
排気管の部分は・・・2トンや3トントラックのプロペラシャフトを車屋の鉄屑の中から拾ってきて使った。
それらを溶接して・・・製作したのである。
材料は・・・ふんだんにあったので・・・排気管の長さや形状を変更して・・・何本か試作した。
実際にシャーシダイナモで確認した訳では無いので・・・何ともいえないが・・・それらのエキゾーストノートは
明らかに・・・ヨシムラのそれとは異なっており・・・手前みそだが・・・性能は上の様に感じた。
単なる思い込みであるが・・・昔のF1のブラバムみたいな音がして・・・何とも言えない、その雰囲気を
醸し出していたのである。
その時・・・私のバイクを・・・ボロクソクーリー(わかるかな~)が乗ったら・・・なんと言っただろうか?
オット・・・今回も他愛のない昔話で・・・時が経ってしまった。
なかなか・・・本題に届かないが・・・文才の無さ故・・・ご勘弁を頂きたい。
次回も・・・読んでね~
前回も・・・500人程の人にブログを見て頂いた様だが・・・多分、そのタイトルから
多大な期待を抱いて・・・読んで頂いたのではないだろうか?
しかし・・・話の内容が・・・余りにも、そのタイトルと乖離していて、皆さんにとっては、
ツマラナイ話であったと思うが・・・私は、その時非常に重要な事を悟ったのである。
なんて・・・宗教家じゃないのだから・・・そんなに大それた事を悟った訳では・・・勿論ない。
ただ・・・その愚にも付かない悟りを開く為に・・・数々の製品が・・・廃棄処分になった事は
・・・言うまでもない。
問題の・・・2サイクルの250ccバイクも・・・危うく、廃棄処分になるところだった。
しかし、何故・・・2サイクルエンジンは・・・マフラーを装着しないと、まともに走らなかったのか?
昔の・・・模型用のエンジンには・・・最初から、マフラーなど付いていなかったではないか?
マフラーって・・・そもそも、排気音を小さくする為のモノでは無いのか・・・???
もし・・・そうだとすると・・・消音をする必要が無ければ・・・マフラーなど要らないのか?
その辺の事に付いて・・・今回は考えてみたい。
先ず・・・マフラーに付いて・・・基本的にその特性を整理してみる。
4サイクル用のマフラーと2サイクル用のマフラーでは、考えている事が正反対だと言う事だ。
この理由は・・・エンジンの構造にあるのだが・・・。
今回は4サイクル用のマフラーに付いて・・・考えてみたい。
一般的に市販されている車やバイクに・・・標準で装着されているマフラーは・・・まず例外なく
消音目的で作られている。
性能など・・・二の次なのだ・・・ただ、音が小さければそれでいい・・・現在では特にそうだと思う。
しかし・・・元来、4サイクルエンジン用のマフラーは・・・如何にスムーズに排気させるかが・・・
開発時の最大のポイントである。
今は・・・どうか?は、知らないが・・・昔のレース用のマフラーなどは・・・直缶タイプで、
サイレンサー部分などなかった。
何故・・・サイレンサーが無いのか?・・・それは、排気抵抗が増える事が・・・その最たる理由である。
だから・・・昔の4サイクルのレース用の車やバイクには、そんなモノは装着されていなかったのである。
それでも・・・苦情など出無い・・・古き良き時代のことである。
確か・・・昭和49年頃・・・画期的な750ccのバイクが販売された。
通称・・・Z2と、呼ばれる・・・カワサキのRS750である。
当時・・・その洗練されたデザインから・・・爆発的な人気を得た。
しかし・・・エンジンはともかく・・・キャブやフレームに問題が有って・・・その後、幾度となく改修の
憂き目にあった。
それでも・・・それまでは、ホンダのドリーム750Four(RS750が発売された頃は・・・K4だったかな?)
と言う、団子の様な形をしたバイクしか・・・このクラスには無かったのだから、無理も無かった。
エンジンのパワーや、排気音もRS750の方が勝っていたが・・・何より・・・格好が良かったのである。
スピードメーターやバックミラーなどのデザインも洗練されていた。
その証拠に・・・何年か前に・・・同じようなバイクが・・・また、リバイバルで発売されたと聞いている。
それに・・・そのころのホンダのバイクは・・・何を考えているのか?・・・理解に苦しむ様な安全対策?が
施されていた。
ワンアクションで、スロットルが全開にならないのである。
スロットルを全開にする為には・・・操作中にグリップを握り直す必要があった。
唯でさえ・・・前に進まない様なバイクに・・・そのことが拍車を掛けていたのである。
そんな訳で・・・スロットル操作も重かった事から・・・スタート時にタイヤがスキッドする事はなかった。
パワーも無かった事が原因だとは思うが・・・その反面・・・急激にスロットルが戻ってしまうので、
エンジンブレーキでタイヤが・・・泣いた(鳴いた:笑い)。
私も・・・御多分に漏れず・・・Z2を何台も買った。
その当時・・・ヨシムラと言うおじさんが作っていた・・・集合管なるものが販売された。
車にも・・・たこ足・・・と呼ばれる、似た様なモノがあったが・・・あくまでもマニホールドだけだった。
しかし・・・その集合管は・・・マフラー部分も一体で作られていた。
直ぐにでも購入したかったのだが・・・一体何処に売っているのか?・・・
最初は・・・判らなかったのである。
事実・・・日本中で数件しか代理店が無かったので・・・無理も無い。
今なら・・・インターネットで簡単に見つかるだろうが・・・その当時はそんな事も難しかったのである。
ヤガテ・・・苦労の末に・・それを、手に入れた。
当時、横浜の保土ヶ谷にあった(今も有るのだろうか?)横浜ライニングを、何とか探し当てて、
ワザワザ・・・そこまで買いにいったのである。
イザ買ったは良いが・・・持って帰るのに・・・苦労した。
それは・・・重かった。
買いたい一心で・・・後の事は全く考えていなかったのである。
それは・・・言わずと知れた、手曲げであったが・・・¥49,000円もしたのである。
他に・・・機械曲げも、10,000円程安く販売されていたが・・・当時の私の給料が
大体8万円位だったのだから・・・その値段は・・・当時からすれば・・・べらぼうな金額であった。
しかし、そのマフラーで・・・4サイクルのマフラーに付いて・・・学んだ。
ヤガテ・・・それを元に・・・自分で集合管を作ってみた。
当然・・・全てを自作する技術はないし・・・既にヨシムラおじさんに
お金を吸い取られているので財力もない。
従って、仕方がないので・・・材料は全て・・・廃品で賄った。
エキパイは・・・行きつけのバイク屋から・・・Z2のマフラーを鉄屑の中から調達した。
排気管の部分は・・・2トンや3トントラックのプロペラシャフトを車屋の鉄屑の中から拾ってきて使った。
それらを溶接して・・・製作したのである。
材料は・・・ふんだんにあったので・・・排気管の長さや形状を変更して・・・何本か試作した。
実際にシャーシダイナモで確認した訳では無いので・・・何ともいえないが・・・それらのエキゾーストノートは
明らかに・・・ヨシムラのそれとは異なっており・・・手前みそだが・・・性能は上の様に感じた。
単なる思い込みであるが・・・昔のF1のブラバムみたいな音がして・・・何とも言えない、その雰囲気を
醸し出していたのである。
その時・・・私のバイクを・・・ボロクソクーリー(わかるかな~)が乗ったら・・・なんと言っただろうか?
オット・・・今回も他愛のない昔話で・・・時が経ってしまった。
なかなか・・・本題に届かないが・・・文才の無さ故・・・ご勘弁を頂きたい。
次回も・・・読んでね~
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