「平成教育予備校」で「ビー玉工場」の様子を流していた。
ふと、子供の頃を思い出した・・・。
と言っても、ビー玉で遊んだ記憶ではなく、掘り起こした記憶である・・・。
祖父母は産めよ増やせよの時代に、まさしく「産めよ増やせよ」した人だった。
子供の数は10人。決して裕福ではないくせに「貧乏人の子沢山」で祖父の洋服を仕立てる収入と、祖母が子守をしての収入で生活していた。
子守って、自分の子供も多いのに更に他人の子供の面倒まで見るとは、本当に子供が好きだったんだろうなぁ・・・。
祖父の仕立ての腕は一流だったらしく、下請けの様な感じで行なっていたのだが、指名も多かったようだ・・・。
そんな祖父母の子供の10番目が私の母だ。
年を取ってからの子供なだけあって、かわいかったらしく、おまけに、その可愛い娘が嫁に行って1年位で子連れで戻ってきたものだから、その孫である私の事は可哀相で可哀相で仕方がなかった様だ・・・。
とにかく溺愛されて育った。
母が仕事に行ってる間は祖父母の家で過ごす事になる。
保育園、小学校から帰ると祖父母の家で我が儘言いたい放題で過ごしていた。
祖父は植木など盆栽が大好きで恐ろしい数の盆栽やら鉢植えをもっていた。
家の前には川の様な「お堀」がある。二本松は城下町だからねん。
道路と家の間のお堀には勿論橋がかかっていた。2mもないかな?小さな橋だ。
その橋の上にも棚、橋をさらに延長(横に)させてハウスの様なものを作り、棚も作り、鉢植えがズラッと並んでいた。
道路から橋を渡って家の前に立つと、右手に裏庭に周る細い道がある。
右手に祖父の植木を眺め、ふと足元に目をやると光るものがある・・・。
子供心に好奇心にかられ、硬い土を掘り起こすと・・・。
出てきたのがビー玉だった・・・。
何故か、その通路に沢山ビー玉が埋められてて、せっせと掘り起こしてみた・・・。
祖父母に聞いてみると、叔父さんが子供の頃に埋めたものだと言ったが、その叔父さんに聞いてみると、従兄が小さい時に埋めたものだと言う・・・。
結局、だれが埋めたか解らないままだが、叔父さんでも従兄でも私の知らない彼らの子供の頃が垣間見えた気がした・・・。
沢山の思い出があった祖父母の家も、貸家だった為、随分前に取り壊され、今は駐車場になっている・・・。
ふと、子供の頃を思い出した・・・。
と言っても、ビー玉で遊んだ記憶ではなく、掘り起こした記憶である・・・。
祖父母は産めよ増やせよの時代に、まさしく「産めよ増やせよ」した人だった。
子供の数は10人。決して裕福ではないくせに「貧乏人の子沢山」で祖父の洋服を仕立てる収入と、祖母が子守をしての収入で生活していた。
子守って、自分の子供も多いのに更に他人の子供の面倒まで見るとは、本当に子供が好きだったんだろうなぁ・・・。
祖父の仕立ての腕は一流だったらしく、下請けの様な感じで行なっていたのだが、指名も多かったようだ・・・。
そんな祖父母の子供の10番目が私の母だ。
年を取ってからの子供なだけあって、かわいかったらしく、おまけに、その可愛い娘が嫁に行って1年位で子連れで戻ってきたものだから、その孫である私の事は可哀相で可哀相で仕方がなかった様だ・・・。
とにかく溺愛されて育った。
母が仕事に行ってる間は祖父母の家で過ごす事になる。
保育園、小学校から帰ると祖父母の家で我が儘言いたい放題で過ごしていた。
祖父は植木など盆栽が大好きで恐ろしい数の盆栽やら鉢植えをもっていた。
家の前には川の様な「お堀」がある。二本松は城下町だからねん。
道路と家の間のお堀には勿論橋がかかっていた。2mもないかな?小さな橋だ。
その橋の上にも棚、橋をさらに延長(横に)させてハウスの様なものを作り、棚も作り、鉢植えがズラッと並んでいた。
道路から橋を渡って家の前に立つと、右手に裏庭に周る細い道がある。
右手に祖父の植木を眺め、ふと足元に目をやると光るものがある・・・。
子供心に好奇心にかられ、硬い土を掘り起こすと・・・。
出てきたのがビー玉だった・・・。
何故か、その通路に沢山ビー玉が埋められてて、せっせと掘り起こしてみた・・・。
祖父母に聞いてみると、叔父さんが子供の頃に埋めたものだと言ったが、その叔父さんに聞いてみると、従兄が小さい時に埋めたものだと言う・・・。
結局、だれが埋めたか解らないままだが、叔父さんでも従兄でも私の知らない彼らの子供の頃が垣間見えた気がした・・・。
沢山の思い出があった祖父母の家も、貸家だった為、随分前に取り壊され、今は駐車場になっている・・・。