クリスマスの度に思い出すのは、私が小学1年生の時のクリスマス。
もう、冬休みに入っていて母子家庭の私は、母が仕事から帰るまで祖父母の家で過ごすのが毎日の習慣でした。
その日も朝からシンシンと雪が降っていました。
お昼頃、テレビを見ていた私は、当時のCMで「ろうそくの火を揺らさずに歌う演歌歌手(名前忘れました、民謡歌手から演歌に移った方だったと思います)」のACか何かのCMを見ていた時でした。
いきなりテレビがプッツリ消えてしまいまして、それでなくても、祖父母の家はよくブレーカーが落ちるので今回もそうだろうと思っていたら、ブレーカーは落ちてなく、停電になってる事に気付きました。
まだ昼時でしたので、どこの家もそのうち電気が点くだろうと、ご近所同士でも「いや~停電だない」などと話してました。
それから1時間、2時間たっても回復せず、あっと言う間に夕方になり、事の重大さに家々が気付きはじめます・・・。
おりしもその日はクリスマスイブ・・・。
朝から降る大雪のせいで、祖父の植木小屋は潰れ、中に入っていた鶏小屋も危険になり、イブということも手伝って、今夜はその鶏を食べる事になりました。
この鶏、元は学校の校門前で100円で売っていたヒヨコが大きくなったもので、もはや大きくなりすぎて、自分の足では立てないほど太っていました。
小屋から祖父が出してくると、裏庭でさばいて、後は夜のから揚げを待つばかりとなりました・・・が・・・。
一向に電気は戻らず・・・市民も徐々に不安の色を露わにしていきます・・・。
それでなくても、二本松という田舎です。町中が真っ暗になりました。
幸い、祖父母の家はコタツが豆炭あんか。ストーブも石油ストーブで暖をとることに不自由はしませんでしたが、真っ暗な部屋にろうそくを灯し、飼っていた鶏を食べるという何とも悪魔の儀式の様になってしまいました・・・。
祖父母の家でクリスマスを楽しみ、当時隣に住んでいたので、母と自分達の家に戻ると、あまりの寒さに即行で布団に入ったのを覚えています。
結局電気が戻ったのは翌日の夕方でした。
私の中ではこれはこれで、楽しい思い出だったなぁ・・・と思っています。
もう、冬休みに入っていて母子家庭の私は、母が仕事から帰るまで祖父母の家で過ごすのが毎日の習慣でした。
その日も朝からシンシンと雪が降っていました。
お昼頃、テレビを見ていた私は、当時のCMで「ろうそくの火を揺らさずに歌う演歌歌手(名前忘れました、民謡歌手から演歌に移った方だったと思います)」のACか何かのCMを見ていた時でした。
いきなりテレビがプッツリ消えてしまいまして、それでなくても、祖父母の家はよくブレーカーが落ちるので今回もそうだろうと思っていたら、ブレーカーは落ちてなく、停電になってる事に気付きました。
まだ昼時でしたので、どこの家もそのうち電気が点くだろうと、ご近所同士でも「いや~停電だない」などと話してました。
それから1時間、2時間たっても回復せず、あっと言う間に夕方になり、事の重大さに家々が気付きはじめます・・・。
おりしもその日はクリスマスイブ・・・。
朝から降る大雪のせいで、祖父の植木小屋は潰れ、中に入っていた鶏小屋も危険になり、イブということも手伝って、今夜はその鶏を食べる事になりました。
この鶏、元は学校の校門前で100円で売っていたヒヨコが大きくなったもので、もはや大きくなりすぎて、自分の足では立てないほど太っていました。
小屋から祖父が出してくると、裏庭でさばいて、後は夜のから揚げを待つばかりとなりました・・・が・・・。
一向に電気は戻らず・・・市民も徐々に不安の色を露わにしていきます・・・。
それでなくても、二本松という田舎です。町中が真っ暗になりました。
幸い、祖父母の家はコタツが豆炭あんか。ストーブも石油ストーブで暖をとることに不自由はしませんでしたが、真っ暗な部屋にろうそくを灯し、飼っていた鶏を食べるという何とも悪魔の儀式の様になってしまいました・・・。
祖父母の家でクリスマスを楽しみ、当時隣に住んでいたので、母と自分達の家に戻ると、あまりの寒さに即行で布団に入ったのを覚えています。
結局電気が戻ったのは翌日の夕方でした。
私の中ではこれはこれで、楽しい思い出だったなぁ・・・と思っています。