さて、宗教シリーズ、今回は曹洞宗についてです。
前回の臨済宗に続いて禅つながりです・・・。
まずは、特徴から・・・。
・・・曹洞宗の宗祖は・・・
曹洞宗では、他宗で宗祖にあたる祖師を「両祖」といって二人たてている。一人は、高祖の承陽大師・道元、もう一人は、太祖の常済大師・瑩山紹瑾。高祖は父、太祖は母にたとえられている。高祖道元は、入宋して天童山の如浄に師事し、印可を得て帰国すると、当時、建仁寺(京都市)で行なわれていた天台・真言との兼修禅を否定して、ひたすら坐禅にうちこむ純粋禅を「普勧坐禅儀」「正法眼蔵」などによってとなえ、禅の専修道場として興聖寺(京都府)や永平寺(福井県)を建て、厳しく教えた。そのため「法統の(宗旨)の祖」といわれる。
太祖瑩山は、道元から四代目にあたるが、能登(石川県)の永光寺や總持寺を中心に教団としての曹洞宗を確立し、「伝光録」「瑩山清規」などによって下級武士や商人、農民の教化につとめ、密教や修験道、民間信仰を吸収しながら飛躍的に教勢を伸ばして一万五千ヶ寺といわれる今日の教団の礎を築いた。そのため「地統(教団)の祖」といわれる。
・・・宗名の由来・・・
道元は曹洞宗という宗派名をたてることも禅宗という呼称も嫌った。自分は入宋して如浄から直接伝授されたものは「釈尊正伝の仏法」で、一宗派の教えなどではないとの主張からだ。当時、中国禅宗は雲門・法眼・潙仰・臨済・曹洞の各宗が「五家」と呼ばれ、如浄も曹洞宗の禅師だったが、道元は名利や権勢を嫌う傑出した如禅に、宗派を超えた教えの真髄を見ていた。
曹洞宗という宗名を用いるようになったのは、四代目の瑩山あたりからである。これは全国的に寺院が建立され、教団が急速に庶民大衆のあいだに拡大されるに従い、他宗と区別する必要があったからだ。
「曹洞」の二文字は、どちらも中国の禅者からとられている。
「曹」は中国禅宗の六祖曹渓山大鑑慧能の頭文字。五家はすべて慧能の門下より生まれている。「洞」は中国曹洞宗の祖師、洞山良价の頭文字。両者の宗風を敬慕した道元の宗旨を表している。
・・・本尊は・・・
釈迦牟尼仏をまつることが多い。これは教えの根源を、菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦さまの瞑想体験そのものに求めるため。
また、両祖である道元と瑩山をお釈迦さまとともに尊崇し「一仏両祖」として尊んでいる。
しかし、他の禅宗同様、本尊にこだわりはない。永平寺の仏殿には、三世仏として釈迦牟尼仏と弥勒仏・阿弥陀仏がまつられ、總持寺の仏殿には、釈迦牟尼仏と迦葉尊者・阿難尊者がまつられている。大乗寺(石川県)では釈迦牟尼と文殊・普賢の両菩薩、永光寺では釈迦牟尼仏と観音・虚空蔵の両菩薩である。
曹洞宗が全国にひろまり、多くの既成仏教の寺院が曹洞宗に改宗したとき、すでにその寺でまつられていた諸仏はそのまま本尊とし、諸神もそのまままつられたのである。
・・・経典は・・・
曹洞宗の宗典は「修証義」である。道元の著書「正法眼蔵」から抜粋して明治時代につくられた。仏事法要などでもっとも多く読誦される。また「法華経」「大悲心陀羅尼」「般若心経」などが日常よく読まれる。
「法華経」は各宗派で尊崇される「諸経の王」だが、道元も比叡山での修行中「法華経」を学び、「正法眼蔵」のなかでも随所に引用して自らの宗旨を述べている。「大悲心陀羅尼」は「大悲咒」ともいわれ、一切衆生を救い、病を治し、悪鬼を除く功徳がある。「般若心経」は唐の時代から用いられ「すべては空なり」と悟るまでの要旨が二六二文字のなかに示されている。
前回の臨済宗に続いて禅つながりです・・・。
まずは、特徴から・・・。
・・・曹洞宗の宗祖は・・・
曹洞宗では、他宗で宗祖にあたる祖師を「両祖」といって二人たてている。一人は、高祖の承陽大師・道元、もう一人は、太祖の常済大師・瑩山紹瑾。高祖は父、太祖は母にたとえられている。高祖道元は、入宋して天童山の如浄に師事し、印可を得て帰国すると、当時、建仁寺(京都市)で行なわれていた天台・真言との兼修禅を否定して、ひたすら坐禅にうちこむ純粋禅を「普勧坐禅儀」「正法眼蔵」などによってとなえ、禅の専修道場として興聖寺(京都府)や永平寺(福井県)を建て、厳しく教えた。そのため「法統の(宗旨)の祖」といわれる。
太祖瑩山は、道元から四代目にあたるが、能登(石川県)の永光寺や總持寺を中心に教団としての曹洞宗を確立し、「伝光録」「瑩山清規」などによって下級武士や商人、農民の教化につとめ、密教や修験道、民間信仰を吸収しながら飛躍的に教勢を伸ばして一万五千ヶ寺といわれる今日の教団の礎を築いた。そのため「地統(教団)の祖」といわれる。
・・・宗名の由来・・・
道元は曹洞宗という宗派名をたてることも禅宗という呼称も嫌った。自分は入宋して如浄から直接伝授されたものは「釈尊正伝の仏法」で、一宗派の教えなどではないとの主張からだ。当時、中国禅宗は雲門・法眼・潙仰・臨済・曹洞の各宗が「五家」と呼ばれ、如浄も曹洞宗の禅師だったが、道元は名利や権勢を嫌う傑出した如禅に、宗派を超えた教えの真髄を見ていた。
曹洞宗という宗名を用いるようになったのは、四代目の瑩山あたりからである。これは全国的に寺院が建立され、教団が急速に庶民大衆のあいだに拡大されるに従い、他宗と区別する必要があったからだ。
「曹洞」の二文字は、どちらも中国の禅者からとられている。
「曹」は中国禅宗の六祖曹渓山大鑑慧能の頭文字。五家はすべて慧能の門下より生まれている。「洞」は中国曹洞宗の祖師、洞山良价の頭文字。両者の宗風を敬慕した道元の宗旨を表している。
・・・本尊は・・・
釈迦牟尼仏をまつることが多い。これは教えの根源を、菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦さまの瞑想体験そのものに求めるため。
また、両祖である道元と瑩山をお釈迦さまとともに尊崇し「一仏両祖」として尊んでいる。
しかし、他の禅宗同様、本尊にこだわりはない。永平寺の仏殿には、三世仏として釈迦牟尼仏と弥勒仏・阿弥陀仏がまつられ、總持寺の仏殿には、釈迦牟尼仏と迦葉尊者・阿難尊者がまつられている。大乗寺(石川県)では釈迦牟尼と文殊・普賢の両菩薩、永光寺では釈迦牟尼仏と観音・虚空蔵の両菩薩である。
曹洞宗が全国にひろまり、多くの既成仏教の寺院が曹洞宗に改宗したとき、すでにその寺でまつられていた諸仏はそのまま本尊とし、諸神もそのまままつられたのである。
・・・経典は・・・
曹洞宗の宗典は「修証義」である。道元の著書「正法眼蔵」から抜粋して明治時代につくられた。仏事法要などでもっとも多く読誦される。また「法華経」「大悲心陀羅尼」「般若心経」などが日常よく読まれる。
「法華経」は各宗派で尊崇される「諸経の王」だが、道元も比叡山での修行中「法華経」を学び、「正法眼蔵」のなかでも随所に引用して自らの宗旨を述べている。「大悲心陀羅尼」は「大悲咒」ともいわれ、一切衆生を救い、病を治し、悪鬼を除く功徳がある。「般若心経」は唐の時代から用いられ「すべては空なり」と悟るまでの要旨が二六二文字のなかに示されている。