1 31日はハローウィ-ン。収穫祭。アイルランドが発祥。イギリス・アメリカへ、だそうである。南伊那3ヶ所で農業について話を聞いた。農家の時給が約150円は有名。伊那米は銘柄。広く作られている。しかし儲からない。1人が目一杯の稲作で年間10万円位の儲け。精米は道路の自動機。といって家族でやっても採算ベースでない。脱穀にも8万円かかる。経費など引いて手元に残るのは一家分に足る量。果実はどうか?リンゴフジを栽培するのに朝4時に起きて手入れをする。それが今年は、市場で半額。観光農園は何とかやっていけるが、そうでない所は廃業寸前。1個100円は高級品で買ってくれない。無人販売といっても近所が買うだけ、地元の小売が頼みとか。柿はもっと大変、市田は世界的ブランド。ところが、何年か前にクレームが出た。機械の所為で黴が出てしまう。100万円の機械。買い替えを求められている。2・3年以内に200万円の機械を導入しなければいけない。クリーンルーム並みの綺麗な部屋で乾かさなければならない。細心の注意がいる。氷屋さんの始めた売り出し中の工場が市場の柿を独占している。でも、そこのは大変高いそうである。広く農業の現状をジャーナルするメディアを求める。収穫惨の現状を。日本のウイーンの美しく赤き土納。それに今日は、している現状。赤字は銀行経済ばかりでない。
死者の日祭日
表紙
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである」
入祭唱
「イエスが死んで復活されたように、神は、イエスのうちに眠った人々をイエスとともに連れて来られる。アダムによってすべての人が死ぬ者となったように、キリストによってすべての人が生きる者となる」
第一朗読(哀歌)
「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」
答唱詩編
「主は豊かなあがないに満ちいつくしみ深い」
第二朗読(使徒パウロのコリントの教会への手紙)
「見えるものは過ぎ去るが、見えないものは永遠に存続する」
アレルヤ唱
「わたしをつかわしたかたの意志は、わたしが受けたすべての者を終わりの日に復活させることである」
福音説教(ヨハネによる、6・37-40)
「子を見て信じる者が永遠の命を得、わたしがその人を終わりの日に復活させる」
「
1 死んだ人は、わたしたちに死ぬことの意味を考えさせる切っ掛けとなる
2 死は汚れたもの。小乗仏教の輪廻転生。僧侶に生まれ初めて成仏できる
3 キリスト教の生は輪廻でない。ある時生まれ、ある時死ぬ。直線的。
4 巻末。イザナミノミコト。汚れ
5 イエスは死をわたしたちに見せてくださった。それによって死に意味を与えた。
6 神への愛、人への愛、人のために死ぬ。真理のために死ぬ。愛のために死ぬ。人類を罪から
解放するために死んだ。
7 でも、洗礼を受けたから天国へ行ける、受けてないから地獄、という訳でない。イエスはすべて
の人のために遣わされた。
8 以前、伊那の神父様で、そうだと言っていた神父様がいた。いなくなったら教会へ来なくなった。
9 わたしくは、両親に早く死に別れた。天国にいると信じている。みんな天国へ行ける
10 霊魂と肉体。分けるのは、死ぬと何も残らない。その虚無感をなくするため。
11 霊魂だけが天国へ行く・地獄へ行く、でない。死ぬと全部無くなる。そして、イエスが霊魂も
肉体も復活してくださる。
12 「イエスと共にわたしたちをも復活させ、…、御前に立たせてくださる」
13 だから死んだすべての人が御父の元で喜びの中で生きている。
14 人生の中で死ぬことへの恐怖からの悪が多い。
15 欲望・心配。など。キリストは死の恐怖からわたしたちを解き放ってくださった。
16 だからわたしたちは毎日ハッピーって生きることが出来る
」
(11/1夕松川教会のミサの中の主任司祭・伊藤神父様の説教をわたくしの記憶によって
起こしました。文責はわたくしにあります)
共同祈願
「神よあなたの救いをすべての人に」
拝領唱
「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる人は死んでも生きる。わたしを信じて生きる
人は、永遠に死ぬことはない。」
notes
「涙とともにある神」
表紙
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである」
入祭唱
「イエスが死んで復活されたように、神は、イエスのうちに眠った人々をイエスとともに連れて来られる。アダムによってすべての人が死ぬ者となったように、キリストによってすべての人が生きる者となる」
第一朗読(哀歌)
「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」
答唱詩編
「主は豊かなあがないに満ちいつくしみ深い」
第二朗読(使徒パウロのコリントの教会への手紙)
「見えるものは過ぎ去るが、見えないものは永遠に存続する」
アレルヤ唱
「わたしをつかわしたかたの意志は、わたしが受けたすべての者を終わりの日に復活させることである」
福音説教(ヨハネによる、6・37-40)
「子を見て信じる者が永遠の命を得、わたしがその人を終わりの日に復活させる」
「
1 死んだ人は、わたしたちに死ぬことの意味を考えさせる切っ掛けとなる
2 死は汚れたもの。小乗仏教の輪廻転生。僧侶に生まれ初めて成仏できる
3 キリスト教の生は輪廻でない。ある時生まれ、ある時死ぬ。直線的。
4 巻末。イザナミノミコト。汚れ
5 イエスは死をわたしたちに見せてくださった。それによって死に意味を与えた。
6 神への愛、人への愛、人のために死ぬ。真理のために死ぬ。愛のために死ぬ。人類を罪から
解放するために死んだ。
7 でも、洗礼を受けたから天国へ行ける、受けてないから地獄、という訳でない。イエスはすべて
の人のために遣わされた。
8 以前、伊那の神父様で、そうだと言っていた神父様がいた。いなくなったら教会へ来なくなった。
9 わたしくは、両親に早く死に別れた。天国にいると信じている。みんな天国へ行ける
10 霊魂と肉体。分けるのは、死ぬと何も残らない。その虚無感をなくするため。
11 霊魂だけが天国へ行く・地獄へ行く、でない。死ぬと全部無くなる。そして、イエスが霊魂も
肉体も復活してくださる。
12 「イエスと共にわたしたちをも復活させ、…、御前に立たせてくださる」
13 だから死んだすべての人が御父の元で喜びの中で生きている。
14 人生の中で死ぬことへの恐怖からの悪が多い。
15 欲望・心配。など。キリストは死の恐怖からわたしたちを解き放ってくださった。
16 だからわたしたちは毎日ハッピーって生きることが出来る
」
(11/1夕松川教会のミサの中の主任司祭・伊藤神父様の説教をわたくしの記憶によって
起こしました。文責はわたくしにあります)
共同祈願
「神よあなたの救いをすべての人に」
拝領唱
「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる人は死んでも生きる。わたしを信じて生きる
人は、永遠に死ぬことはない。」
notes
「涙とともにある神」