(神父様の説教より)
「1 神は何時も側におられる。でも、干渉はされない。そして、わたしたちのことを見て悲しんでおられる。わたしたちは、ミサで・祈りで、神に感謝して、「有難う」と言おう。
2 「自分の願いや欲望を叶えてください。」は信仰ではない。「苦しい時」「悲しい時」祈るは違う。エゴが入り込む。自分のために祈ると、他人が傷つくことがある。
3 米軍。チヤプレ。米軍従軍司祭。「敵をやっつける」ために祈る。それは、エゴイズム。また、自分のために祈る祈りはそれに似たり寄ったり。フランシスコ会は、従軍司祭にならないことにした。大切なのは、戦争を止めること。
4 「神は側にいる。」「神が、助け守ってくださる。」、感じられない。そう相談受けたが、自分で探すしかないと思う。司祭は何を語ったらよいか?「神の思いを感じとっていく」。わたしの願いと神の願いに隔たりがあるから、感じられない。キリストを通し、聖書を読む中で、御言葉の意味を探っていく。そして、神のお望みを自分のものにする。「聖書を読む」「聖書を通して祈る」。それが大事。
5 神の願いを思い。神の願いを生きる。神の思いを受け止める。「神が人生の中心」。神の思いを実現する。そのために、聖書を熟読すること。
6 神は人間の頭で理解出来る程、ちゃちな存在ではない。だから、イエスを通して感じとっていく。
7 「わたしたちは、くどくどと祈ってはならない。神はわたしたちの望みを既にご存知なのだ。」
8 神が何を必要とし、望んでおられるのか、分ってくる。そして、御国を伝えて生きていく。」
(祈り)
・ 主よ、御言葉を通して語られたあなたの思いを重く受け止め、生活の中心に置き、あなたの思いを実現していくために、日々過ごすことが出来ますように。
・ 主よ、あなたは万物の創り主です。今週の御言葉にあるように、「叱りつければ、風や湖も従う」方です。あなたの偉大なわざを何時も称え、日々感謝のうちに過ごすことが出来ますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
「1 神は何時も側におられる。でも、干渉はされない。そして、わたしたちのことを見て悲しんでおられる。わたしたちは、ミサで・祈りで、神に感謝して、「有難う」と言おう。
2 「自分の願いや欲望を叶えてください。」は信仰ではない。「苦しい時」「悲しい時」祈るは違う。エゴが入り込む。自分のために祈ると、他人が傷つくことがある。
3 米軍。チヤプレ。米軍従軍司祭。「敵をやっつける」ために祈る。それは、エゴイズム。また、自分のために祈る祈りはそれに似たり寄ったり。フランシスコ会は、従軍司祭にならないことにした。大切なのは、戦争を止めること。
4 「神は側にいる。」「神が、助け守ってくださる。」、感じられない。そう相談受けたが、自分で探すしかないと思う。司祭は何を語ったらよいか?「神の思いを感じとっていく」。わたしの願いと神の願いに隔たりがあるから、感じられない。キリストを通し、聖書を読む中で、御言葉の意味を探っていく。そして、神のお望みを自分のものにする。「聖書を読む」「聖書を通して祈る」。それが大事。
5 神の願いを思い。神の願いを生きる。神の思いを受け止める。「神が人生の中心」。神の思いを実現する。そのために、聖書を熟読すること。
6 神は人間の頭で理解出来る程、ちゃちな存在ではない。だから、イエスを通して感じとっていく。
7 「わたしたちは、くどくどと祈ってはならない。神はわたしたちの望みを既にご存知なのだ。」
8 神が何を必要とし、望んでおられるのか、分ってくる。そして、御国を伝えて生きていく。」
(祈り)
・ 主よ、御言葉を通して語られたあなたの思いを重く受け止め、生活の中心に置き、あなたの思いを実現していくために、日々過ごすことが出来ますように。
・ 主よ、あなたは万物の創り主です。今週の御言葉にあるように、「叱りつければ、風や湖も従う」方です。あなたの偉大なわざを何時も称え、日々感謝のうちに過ごすことが出来ますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。