ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

アタチュルクの命日

2013年11月10日 23時29分36秒 | トルコ文化
saat 9 bes gece(9時5分過ぎ)

saat 9u 5 gece           9時5分過ぎ
atam dolma bahcede        ドルマバフチェ宮殿で アタチュルクが 
gozlerini kapamis         その目を 閉じた
butun dunya aglamis       世界中が 泣いた 
doktor doktor kalksana     お医者様 お医者様 立ち上がって!
lambalari yaksana          電気をつけて!        
atam elden gidiyor         アタチュルクが 逝ってしまう
caresine baksana          何とか、してちょうだい!
uzun uzun kavakar        長い 長い 樺の木の
dokuluyor yapraklar        葉っぱが 散っていく
ben atama doymadim        私は(アタチュルクの生涯が短すぎて)満足しなかったけれど  
doysun kara topraklar       (私の代わりに、アタチュルクを迎えいれた)土は、満足するだろう。

(トルコ語特有のアルファベットが表示されないので、普通のアルファベットに、おきかえしてあります)


これ。
幼稚園の子供達に教える

アタチュルクの、
いわば、命日の詩。

それほどに。
トルコ国民に

アタチュルクは、今も
愛されている。

今日。
11月10日。

トルコ、建国の父
アタチュルクの命日。

75年前の、今日。
イスタンブール、

ドルマバフチェ宮殿で
アタチュルクは、

その、青い目を
永遠に、閉じた。

享年、57歳。
まだまだ

出来上がったばかりの
赤ちゃんのような

トルコ共和国には
必要な存在だったであろう。

毎年、死亡時刻の
9時5分になると

サイレンが鳴って
トルコ中が黙祷を捧げる。

車も、人も
すべてが止まる。

深い哀悼の意をこめて
全国民が、黙祷をささげる。

その時代。
トルコは、まさに

西欧列強の手によって
ばらばらに

引き裂かれようと
していた。

全国民が
アタチュルクとともに

母国トルコを
奪還するために
立ち上がった。

今も。
うちのおじいさんが、
とか

お母さんの
おじさんが、とか。

近しい誰かが、
独立戦争に出兵していって

2度と
帰らなかった話を

つい、この間のように
話す老人が

たくさんいる
トルコ。

それだけ。
この話題は

記憶に新しく
そして、鮮烈なんだろう。

アタチュルクの命日。
トルコ各地で

いろいろな
追悼集会が行われる。

アタチュルクよ。
どうか。

トルコの行く先を
天から、見守ってやって欲しい。





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ありがとうございます!

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2 コメント

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Unknown (hitomi☆)
2013-11-11 22:52:02
私がこの詩をよんでいたら、うちのトルコ人が横から参加してきた!暗記してるの?
彼の頭の中にはまだ入っていたようです。恐るべしアタチュルク教育!
返信する
hitomiさん。 (トルコのひつじ飼い)
2013-11-12 05:16:14
そうそう!結構、大人になっても、覚えてる人、多いんですよ~。これ、有名な詩なんっす。
うちのダンナも、知ってるよ!
返信する

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