ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

アタチュルクの命日、再び。

2019年11月11日 07時27分30秒 | 日常生活
おこんばんわ~。
今日は、11月10日。

トルコ人に
とっては

すっごい
特別の日。


そう。
建国の父。

「アタチュルク」の
命日で、ござんした。

ほぼ、毎年
書くけどね。

トルコに来て、
20年たつけども。

やっぱり、毎年毎年。
不思議な光景なワケ、よ。

ガイコクジンと
しては。

とても、とても
英雄だったのは、わかる。

でも、死して
約80年経っている人のために

イマダニ国民は
11月10日の

その、
死亡時間の

午前9時5分に
なると


すべてをやめて
彼を偲び

彼に哀悼を
捧げるために

1分間の
黙祷をするのです。


没後、80年以上も
経って

こんだけ、
国民に慕われてる指導者って

多分。
他には、いないよね…。


まさに、文字通り
1分間。

すべて、の
トルコの時間が
止まるわけさ。


そして、この日は
1日中。

アンカラの
「アノット・カビル」
と呼ばれる

アタチュルクの
霊廟と

彼が日常
執務をし、そして

その人生に
幕を引いた

イスタンブールの
ドルマバフチェ宮殿は

彼を偲ぶ
国民で

1日中
ごったがえすのです。

どちらも。
その混雑たるや

大変なもの
でしてね。

それでも。
この、

何時間にも渡る
待ち時間を。

気の短いトルコ人が
この日ばかりは

文句も言わずに。
じっと

列に並んで
順番待ってるんすよ~。

本当に、本当に
不思議な光景w

ちなみに、あたくし。
当然。

その時間は
家におったんすがw

う~~~~っと
サイレンが鳴ったあと

トルコの国歌が
大音量で、流されました~。

実際。
すごい、壮絶な人生を

送った人
だったんだよ。

軍人学校を出た
生粋の将校で

数々の戦闘に
参加して

その、名指揮ぶりを
発揮したのだけれど。

オスマン帝国が
加担した

第一次大戦の
同盟国側が、負けると

トルコは
領土を、分割されそうに
なるわけだな。

そこで。
ムスタファ・ケマル・アタチュルクは

同志を率いて
反乱を起こし

各地の勇士を
募りつつ

独立戦争を
進めていって

最後には。
トルコを分割しようとした

ギリシア、イギリス
フランス、イタリア

全部を
トルコから、

叩き出して
その領土を守り

更に、敗戦にあわせて
結ばされた

不平等条約を
破棄させて

新たに
ローザンヌ条約を
締結

トルコの独立と
主権を守った、と。

更に、王制を
廃止して

共和国制を
定め、国会を制定し

その上に。
トルコの近代化に向けて

数々の
改革を、推し進めていった。

これ、全部
1人でやったんすか?!

なんちゅうか。
超人って~か。
スーパーマンって~か。

書いてて
今更ながら、思うケド。

人間を超えた
パワーって感じ?

いや、もちろん。
それは。

有能な同志や
部下にも

恵まれたんで
あろうけども。

でも。
先頭に立っていたのは

いつも、彼。
アタチュルクだったんだわさ。

しかし、
残念ながら

英雄は薄命である、
その、運命には勝てず。

トルコの改革
半ばにして。

1938年、57歳にして
亡くなった、と。

結婚もしたけれど
うまくいかなくて

直系の
子供もおらず。

まさに。
全人生を

国民と、建国に
捧げた人、

といっても。
過言では、ないわにゃ~。

アタチュルクは
トルコ人にとって

守り神であり
父親のような

存在で
あり続けるんだそうだ。

今のトルコ見たら
墓の中で

もしかして
泣いてるんじゃないの…?って

気も
しないでも、ないが…(汗)


願わくば。
安らかに眠りつつ

未来永劫
トルコを見守ってあげて
ほしいもんですな。



本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます。

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