心の洗濯
2009-08-11 | 教会

2週続けて教会の礼拝を欠席した。心の中が澱んでいるのを感じる。
元来が我が儘だし自己中心的な私は教会で心を鎮めないと落ち着かない。
それは丁度、老人が薬を飲む事によって安心するのと同じ作用かもしれない。
聞き逃した説教は
「神の目・人の目」「全世界を支配する神」
週報に要約された文章が載せてある。
人が人を知る情報
① 自分を自分で何と言っているか。
② 人が自分のことを何と言っているか。
③ 自分は今まで何をしてきたか。
をよく聞き取ることであり、自分を判断するには相手が必要である。
楽天的に生きる人は、自分に降りかかった災難を神から送られた恵みとして受け入れ、
神に感謝することが出来る。
このようにキリストを信じる者は、常に聖書を読んで自分の生活をチェックする事が必要である。
人々の意見に従ってしまうのではなく、
自分の心で感じたことを自分の言葉で言い表すことが大切である。
私たちの人生は全て神の御手の中にあることを知り、
全てを神に委ねて生きていくことを求められている。と・・・
様々な出会いの中で意にそぐわないことも多い。
しかし、常に神さまを中心として、判断を仰がねば、親切と思って手出しをしても
それが傷つける場合もあるのだから。
バタバタ続きの日々の中で久しぶりに海辺の散策をした。
旅行用に用意したカメラの練習。お付き合いしてくれた友に感謝。
