心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

今月の吟

2011-06-10 | つぶやき
胃がチクチク痛みます。
飲みすぎではありません。臆病な性格のせいです。
地区に新しく立ち上げた高齢者の為の交流の場作り。
どれくらいの人が参加してくれるのか・・・。(一応、回覧板は廻しましたが)
  批判や中傷の渦巻く中、私も地域の住民の一人として年を重ねていきます。
安心して過ごせる居場所にしておきたいという願いからの行動です。

何とかやり過ごせました。後は、何とかなるでしょう。


今月の吟題
  舟発大垣赴桑名  
頼 山陽

 温習会と交流会があります。


蘇水遥遥入海流     そすいようよう うみにいってながる

櫓声雁語帯郷愁     ろせいがんご きょうしゅうをおぶ

独在天涯年欲暮     ひとりてんがいにありて としくれんとほっす
       
一逢風雪下濃州     いっぷうふうせつ のうしゅうをくだる




    木曽川は遥遥として海に向かって流れ
    櫓の音や頭上を渡る雁の声が郷愁を掻き立てる
    私は独り旅路の果てで年の瀬を迎え
    風雪の中を小舟で大垣から桑名へ下っていく。

ネットからの引用です。

 大河の流れ、吹きすさぶ雪、頭上を渡る雁と、わが小舟の悲しげな
櫓の音、そしてまた時の流れに押し流されてゆく旅路の果ての孤愁・・
  この詩は文化10年、頼山陽が美濃、尾張等を遊歴中、大垣で
初めて江馬細香とめぐり合い、即刻結婚を申し込んだが父親に断ら
れ、失望して去っていったときの詩である。

 細香は美濃大垣の藩医 江馬蘭斎の長女として生まれ、幼少から
詩や絵画を学び、豊かな才能と清楚な美貌に恵まれていた。その
蘭斎を頼山陽が訪ね暫く逗留したとき、二人は出会い、恋に落ちた。
山陽34歳、細香27歳の秋であった。

 山陽は子供の頃から猛烈な勉学の反面、奇行と放蕩に明け暮れて
いた。20歳のとき広島で結婚したが、翌年脱藩して京都に出たため
捕らえられ、廃嫡の上4年間の自宅蟄居処分となって妻とも離婚した。
しかしこの蟄居中に書き始めたのが有名な『日本外史』である。
 
 細香と出会った時、山陽は一人身だったが、すでに京都で一家を構
え、漢詩文の作家として名声を上げると共に歴史家としても知られて
いた。江馬蘭斎自身、頼山陽の才能学識を高く評価していたが、娘の 
結婚相手としては認めなかった。

 山陽は正月早々細香に手紙を出し 「別離悵然として忘れ難く、春
に京都で再会したい」と書き送った。しかしその誘いに応じて細香が
京都を訪れたとき、山陽はすでに梨影という女を妻にむかえていた。
 それとは知らぬ細香は、山陽とともに嵐山の茶屋で終生忘れ得ぬ
一夜を過ごした。その翌々日、山陽の家を訪問して梨影の存在を知
った時、細香は果たしてどう思ったことか。
コメント
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