最近、バタバタして読書の時間が持てないでいたが、先週・娘に図書の予約を頼まれて図書館へ行き、ついでに自分のものも借りた。
その時目に留まったのが、佐藤 愛子さんが20年ぐらい前に書かれたエッセイ。
生活用品の新製品に戸惑われている様子が書かれていた。
現在、便利で重宝しているファンヒーターやお風呂の自動設定など、当時使い勝手がわからずに慌てられている様子が可笑しくもあったが笑ってばかりはいられない。
20年後には、今、私が戸惑っているタッチパネルやテレビ電話なるものも一般化しているかもしれないのだから。
手塚治の未来都市が本当に実現し、とり残されて右往左往する自分の姿が浮かぶ。
出勤途中予約の本を受け取りに行ったら、丁度ピアノ演奏の最中でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/51/fe09ce1c24255016c47d3b3ea57b6877.jpg)
時間がないのでゆっくりは聞けませんでしたが、彼はいつも素晴らしい演奏で来館者を楽しませてくれています。
ついでに今度は谷川俊太郎氏の「問う言葉 答える言葉」というのを借り、
パラパラっと開いて、拾い読みしたところで、ある詩を思い出しました。
なぜ、その詩が浮かんだかは自分でも不思議なんですが・・・。
こどばの消しゴム
えんぴつで書いた字は消しゴムで消せる
黒板に書いた字も黒板消しで消える
口から出してしまったことばは消す消しゴムがないんだね
とりだせないんだね
君の耳にささった 私のことば
わすれられない
小学生が書いた詩だそうですが、いたく胸に迫るものがありますね。
でも、コトバは消しゴムで消せないからこそ、人は悩んだり落ち込んだりするんですよね。
それで成長したり、大人になったり、ずるいことを覚えたり。。
「ことばを消す消しゴムはないんだ」
・・・って、
良いことなのか??悪いことなのか??