昨日から長女が友達と
小旅行にでかけることを通して、体験したこと。
それは、正しさを闘わせず、
愛を持って接すると
心穏やかでいられるということ。
先週末の国家試験を受験した長女。
受験前は、コロナに感染して
受験できなくならないように
自身の行動を律するとともに
ニュース報道の内容に
一喜一憂していました。
無事、国家試験を受験でき
結果待ちとなったことを受け
友達に誘われ国内小旅行に出かけました。
受験前後の変化の大きさに戸惑いを感じつつも
私自身は、手洗いうがいなどの感染予防を徹底した上で
経済を少しでも回せるような行動をすることに賛成なので、
軍資金を差し出してみました。
(自分自身の大学時代を振り返り、
お金をケチらず経験しておけばよかったとの思いから)
以前より論理的な正しさにこだわらなくなったのは、
神社参拝の学びがきっかけの一つです。
(毎度、神社の話に結びつけて恐縮ですが)
なぜ、神社参拝の学びが
正しさを闘わせないきっかけになったかというと
目に見えない存在のことなので、
論理的な正しさを証明出来ないことが多いから!
加えて、神仏分離などの経緯で
伝承された史実が途切れていることも散見されるから!
つまり、何が正しいかを断言出来ないことがある。
この状態のことを
人に説明する機会が増えるにつれ、
「自分が正しいと思い込んでいることが
本当に正しいのか?」
「自分が正しいと思い込んでいることを
正しいと主張し続けるのは、誰のためか?」
という感覚が芽生えかきたようです。
(今さらですか?と感じるでしょうが)
小旅行に出かける長女とのやり取りを通して
かなり幸せな気分を味わえた朝に感謝しつつ
備忘投稿させていただきます
【しあわせです、感謝】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます