カルトあるいはカルト状態下において共通して見られる特徴に
目の前の現実よりも、言葉や文字を優先させる というものがある。
プロクルステスの寝台
捕らえた旅人を自分の寝台に寝かせて,その身長が短すぎると槌でたたくか重しをつけるかして引き延ばし,長すぎると,はみ出た分を切り落とした。現在でも杓子定規,容赦ない強制の意で使われる〈プロクルステスの寝台Procrustean bed〉はこれに由来する。
現実をありのまま見るのではなく、先にありきの方程式・解釈に、無理やり押し込める。
家の中が寒いと言っているのに、いや私の設計では温かい筈だ。あなたがおかしいという設計士。痛いと言っているのに、いやこの方法は無痛方式だ。あなたの感覚がおかしいという施術士。現場で起こっていることが苦痛だと言っているのに、いや何も起きていない。現場はいたって健全、良好な環境だ。あなたの感じ方がおかしいという管理責任者(現場にいない)。子供達の笑いは硬直した作り笑顔なのに、ほらここは素晴らしい学級ですと言う担任教諭。そうしなければ身に危険が及ぶから盛大に持ち上げているだけなのに、こんなにも慕われて尊敬されているということにするリーダー。そうしなければ社会的制裁が加えられるから余儀なくさせられているだけなのに、本人の献身という美徳にする人達。 日本人特有の美徳? 一緒にいたくないと言っているのに、自分達はとてもいい関係の恋人同士だと相手に説得する人。
カルト思考は、なにもカルト集団においてではなく、色んな所で起こっている。
偽りのラベルで解釈を指定する 100の事実を1で覆そうとする
Don't say.
空気読めよ
その時の空気とは、常に加害者、支配者のための空気である。
Don't touch.
天地をさかさまにする
真偽をさかさまにする
正誤をさかさまにする
善悪をさかさまにする
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学校でも、給食で初めて出てきた食べ物を、声の大きな誰かが「まずい」と言った途端、
他の子どもたちが口々に「まずい!」「キッショ」とか騒ぎ出す。それを食べると
全然まずくなかったという経験。低質な教員だと、一緒になってそのノリに加わる者がいる。
真顔で「私、このどこもキショくないんだけど、君たち、本当にこれがまずい?」と
先生が聴いてみるのがよかろう。声の大きな誰かが「臭い」と言ったら、臭くなくても、口々に
「臭い」と言い立てる不思議な現象も、小中学校教諭経験者とかならよく知っているもの。
それは、くさす側に回って自分の安泰を確保する行為。ここでも、真顔で「私、全然臭くない
んだけど君たち、本当に臭い?」と先生が聴くのがよかろう。私の子どもも、いつか他の子ども達と
一緒に、うんこのことで自分たちを棚上げして「臭い 臭い」と囃し立てていたので、後で「自分の
うんこからは薔薇の香りがするとでも言うような物言いはいけない」と諭したことがあった。
話が少し脱線してしまったので、また続きを別途、書きます。