鉄の仮面を被った人の話。
自分に大きな嘘をついて、誰かの言う通りにした人。
自分がやりたいと言ったことを、誰かにだめと言われたりして、断念し
その深い哀しみに鉄仮面で蓋をした時から、長い嘘つき人生が始まっている。
”これは正しいんだ。これでいいんだ。なぜならば、なぜならば……〈理路整然〉…だから正しいんだ。”
と自分に言い聞かせて、やりたいことをせずにやりたくないことをして生きている。
あらゆることを思考で「処理」する術を身につけ、自分が何を感じているかを無視して
思考による言葉で処理して、それを正当化する術。自己欺瞞が人生の目的となって
しまい、その為に頭を駆使している。頭がもともといいから、欺瞞術のレベルは高く、
ぼんやりしてたら見破れない。それは傍目には見栄え完璧で、「おかしい」と言われるのを
周到に封じる。(頭が鋭敏に冴えた人なら丸め込まれないのだけど、普通の人はイチコロ)
その欺瞞には、「モラル」とか「社会の為に」とか「あなたの為に」とか、人を黙らせる
「善きこと」が使われる。
完璧の建前で、人の口を塞ぎ、自己の正当性を保持する。
でも、その完璧さ、整然さ、硬さ がおかしいのよね。
どうしてかな、すごく息苦しい…
柔らかで、複雑で、深淵で、形が定まっていなくて 流動的なものを、
直線の四角形に押し込んで、思考で「処理」して生きている。
処理の目的は、自分が安心するため。
”見せかけの非利己主義のすぐ後ろには、かすかな、だが同じくらい強烈な自己中心主義が隠れている。”
「愛するということ」エリッヒ・フロム
鉄の仮面を被り自分の感情を無視して生きているのだから、いわんや他人の感情をや。
人の感情を無視して、思考で「処理」する。人は機械ではないのに。
自分の感情を無視して生きている人が、他人の感情を大切にしたり共感したりはできないから。
鉄の仮面で感情を無視して、思考で「理性的」に生きることが責任ある態度だと得意げになるのは
大きな間違い。実際には壮大な無責任な状況を作り出し、これに対して何の責任もとらない。
自分が安心する為に、「善きこと」を偽装して完璧に正当化しながらやる行いは、
とんでもなく利己的で有害。
早く鉄仮面がとれるといいな。多分その為には 嘆きのプロセスを通過しないといけない。
自分に起きた哀しいことを、哀しいことだと嘆くことを素通りして、一体、
どんな積み重ねができるのか。
自分が本当に望んでいることをするのにその正当性を自分に言い聞かせる必要はない。
目の前に大好きな食べ物を差し出されて、それを食べる理由や正当性を紙に羅列しようとは
思わない。ただ喜んで食べる。
好きな人達といるのにその理由を自分に説得する必要はない。顔とか体に自然とあらわれる。
ずっと行きたかった国に行く幸運な機会に恵まれた時、その正当性を自他に力説する必要はない。
他人や自分に対して欺瞞をする時ほど、完璧に整える。その硬さが、不自然。
力んでいたら、嘘がある。
嘘つきは、それが本当なら何も力まなくていいことを、力んで言う。
誇りとか尊敬、感謝、賞賛も、するなら誰から強いられずとも自然にする。
誇れ、尊敬しろ、感謝の気持ちが足りないと強要したり、キャンペーンを張って扇動したり
すること自体がおかしい。ほっとけと思うんです。