物を大切に使う暮らしの続き。
捨てられている物には、まだしっかり機能するものがあるし、例えば壊れた椅子だったら
人が座る機能はお終いでも、物を置くなど、別の機能を見出して使えます。例えば
家の中と外の中間みたいな空間に、ちゃんとした新品を置くことは忍びなくても
年季が入っている物とかだったら、置けて、その場にすぐになじんで、使えます。
在日外国人には、日本のごみ置き場は宝の山だと言ってる人達がいます。
どうして日本人は、まだ十分使える物や別の用途で使える物を、ポイポイ捨てるのかって。
私も同感です。なんで捨ててるの?これも これも。 宝の山やんって。
庭の井戸水とたわしで磨けば、綺麗になるし、その物の生命が回復して体内時計が動き出す
感じがします。細かい所はスリムなえつきブラシで小回りが利きます。
「ほら、綺麗になって、喜んでる感じせん?」と
子どもに言うと「他の置き去りの物達は、助けてもらえなかった」との旨言ってました…
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絶え間ない企業努力はそうだけど、よりよい物が造られているとも限らない。使いやすさに
おいては確実に進化していても、昔製造されていた物の方が、ローコストを追究した
現在の生産品よりも堅牢に造られていたり、いい材料が使われていたりしますから。
今来てくださっている訪問看護師さんに、私と似た趣味をもった女性がいて、話が合います。
彼女も、人が要らないと言った物に活路を見出すのが好きなんです。(※追記:すみません。
「活路を見出す」は突破口・出口が見える、展望が開けるという意味で使う慣用句でした。)
「お店で新品を買うのって、全然燃えないよね。」「でもアンティークとかだとえらい
高いもんね。蚤の市でも逆にハッタリ効かせてぼったくってたりするね」って話しています。
しかも、彼女はDIYがとても上手。私がやったことに目敏く気づいて「こここうしたん」
って言ってきます。お仕事以外でも仲良くなりたいけど訪看運営側からは「プライベートでの
つきあいはダメ」と定規で直線を引っ張ったようなことを言われるかも知れない。