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ローマ教皇 長崎演説全文

2019-11-30 | 社会・政治のこと

長崎で11月24日に行われたローマ教皇(法王)フランシスコの演説全文は次の通りである。

ローマ教皇 長崎【演説全文】 「核兵器は脅威から私たちを守らない」 

/東京新聞 2019年11月26日 朝刊より

 

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愛する兄弟姉妹の皆さん。この場所は、私たち人間が過ちを犯し得る存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。

近年、浦上天主堂で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさった方とそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを改めて思い起こさせてくれます。

人の心にある最も深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を保有することは、この望みへの最良の答えではありません。それどころか、この望みを絶えず試練にさらすことになるのです。

私たちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来の全ての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくとも常に上がっています。

軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。

今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、一層破壊的になっています。これらは途方もない継続的なテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。

この理想を実現するには、全ての人の参加が必要です。個人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。

核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。

一九六三年に聖ヨハネ二十三世教皇は、回勅「地上の平和(パーチェム・イン・テリス)」で核兵器の禁止を世界に訴えていますが、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。

私たちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

◆対話こそ「武器」

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。

核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的法原則にのっとり、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。

日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼び掛けを行いました。また、日本の教会では毎年八月に、平和に向けた十日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、私たちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要不可欠であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんに求めます。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。

人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。

今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも真剣に考察しなくてはなりません。

◆宗教を超えた祈り

一九六四年に、既に教皇聖パウロ六世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています。

こういったこと全てのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、極めて重要です。責務には私たち皆が関わっていますし、全員が必要とされています。

今日、私たちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳をふさいでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

「焼き場に立つ少年」のパネル写真を傍らに置き、演説で核廃絶の必要性を訴えるローマ教皇フランシスコ=24日、長崎市の爆心地公園で

写真

  法王は、この写真の印刷と配布を指示した。




心を改めることができるよう、また、命の文化、許しの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でない方もおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、私をあなたの平和の道具としてください。憎しみがあるところに愛を、いさかいがあるところに許しを、疑いのあるところに信仰を、絶望があるところに希望を、闇に光を、悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それは私たちをはっとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、私たちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。(共同)

 

 

 


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