世の中の1/3は内向型人間だそうです。私もです。
社会運動には、外向性を求められる形が多く目立ちます。人通りの多い路上でトランシーバーを持って街頭演説
したり、壇上で話したり、横断幕やプラカードを持って町を練り歩いたりする、アピール・呼びかけ行動など。
私は、そういうのはあまり得意ではありません。
働けなくなって、講演会に行ったり(フラッシュバックの宝庫でもあるから、精神衛生上却って危険な場合も多いです)
野外集会に参加したりしてきました。性暴力に対する立て続けの無罪判決(反動判決と言われている)に抗議する
#Metooの野外集会にも何度か参加しました。参加者がマイクを回してリレートークをするのですが、
まさに当事者である私はマイクを持つことはありませんでした。上手に話すことができなくて聴いているみなさんに
心配をかけることがわかるからです。でも、その場に参加することで運動に少しでも加担していました。
けれども内向性は、社会運動において発揮できるのではないかとも思っています。いえ、確信しています。
運動には、色んな形があります。社会で活躍している、運動の牽引者たちのように外向的でパワフルで
活気に満ちたやり方はできないかもしれないけれど、私達なりのやり方でできるのではないかと思っています。
その1つが、このブログです。部屋で文章を書くことは上に挙げたようなやり方とは違って、私にとって合っている
やり方です。ある弁護士の先生から、「書いて発信しなさい」と言われたので、その通りにしています。 書くこと
私は、言われた通りにやるという特性も持っています。 闘いにおける特性の発揮 闘いにおける特性の発揮②
また、書くこと以外にも色んな形で、社会に表現できます。私はそれを職場でも密かにし続けたつもりです。
日々迫られ自らを問われるその時その時にどんな言動を選択するかが、社会的な表現の最たるもので、
それを無下にして楽な易きをとりあえずとってきて、1人ではなにも闘ってはいない人が
後から組織をバックにつけて初めて闘って、その安全地帯で偉そうなことを言うのが好かないです。
また、フジコ・ヘミングのように、ピアノで表現することもできます。彼女のピアノは、生き方や、世界にこうあって
欲しいというメッセージを発しています。彼女は世の中の、好きなものと嫌いなものがはっきりしています。
慈愛に満ち、美しい情景を浮かび上がらせる彼女のピアノは、世界の宝物だと思います。
彼女も非常に内向的で極度に繊細で感じやすい人間だと自身が語っています。
内向性は社会運動に活かせ、影響力を発揮するということを、同じ内向性の仲間にお伝えします。
運動と呼ぶと外向的なイメージがついてくるので、他のいい呼び方はないでしょうか。探しておきます。
また、例えば街頭演説とか団体交渉とか抗議の場といった、それ自体は外向的な場であり苦手な場面であっても
そこで内向性が活かされることがあります。具体的には忘れましたが、私はそういう経験をしています。
そういえば、#Metooの野外集会でも、最もしゃべるのが苦手そうな女性による演説が、一番心に響く内容でした。