うちによくしゃべりに来る、大好きなパーマ屋のおばちゃん。
パーマ屋のおばちゃん 荒地の魔女に似たおばちゃん 赤い口紅 パーマ屋のおばちゃん②
私の服装や、家の中、装飾物、照明など、感じたことをすぐに言います。
私が感じていることと同じことを彼女も感じる不思議なエピソードが多いです。
血を分けた母はそうではなくて、違った感じ方や選択をするのに、(母が選ぶ物を私だったら
選ばない。逆も然り。とか)彼女とは、同じ感覚をなにかに対してもつことが多いんです。
そしてそれはリーズナブルで「合理的」な判断とはだいたい逆行します。 理性では決めない
そして私に起こったいいこと、いやなことによる少しの変化にも敏く気づいて
言ってくる。母にも全然気づかれなくても。彼女には隠し事できないです。
生活の中での、ささやかと言われる色んなことを深く味わい謳歌しながら暮らしている彼女の
話にも、共感します。もう80過ぎているけど、そうやって多感に暮らしている彼女をみると
歳を重ねることに希望というか、憧れを抱くことができます。ただパーマ屋のおばちゃんは
私と違って会社で悪質な目に遭って精神を破壊されるといった経験はしてません。明るいです。
色のイメージだと彼女はvivid。世の中をよきものと思ってる。自営業をずっとしてきた人です。
けれど彼女は愛する夫と死別した悲しみは抱えていて、毎日お祈りしているそうです。
座敷のお仏壇は生活の場から離れているから、仕事部屋に祭壇を作り、そこにご飯を毎日あげて。
その考えとてもいいなと思います。日常の中に大切な物を持ってきて、いつでも近くに暮らす
という考え。私も、大切なものを畏まった所に置いて非日常のものとするのではなくて
日常の中で一緒に暮らすという考え方です。昔の人は、ハレとケの考えでこの逆のことをします。
私はそのやり方に共感しない。それは、他のいつよりも大切な日常を蔑ろに扱うことだから。
日常よりも大切な日など、ないと思っています。
彼女はいつも豪華にお化粧していて服装も彼女の趣味全開で、とてもいい。
私はうつ病とPTSDを抱えての生活だから、そんな活力はないです… そうしたいけど。
フジコ・ヘミングも私にとって憧れの存在です。あんな風に歳をとりたいです。