ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

日本人特有の美徳?

2020-07-05 | 社会・政治のこと
 大前 治 (弁護士)
@o_omae
  10:30 AM · May 20, 2020
 
「過労死するまで働いてくれて、ありがとう」 「補償もないのに自粛休業してくれて、ありがとう」 「雨ガッパで医療に従事してくれて、ありがとう」 ・・・これらは「美談」でしょうか? 何気ない感謝の言葉が、不合理な現状から目をそらし、主張や要求を抑圧し、我慢と忍耐を美徳にしてしまいます。
 
 
かつて赤紙一枚で徴兵された日本兵は「御国のために死んでくれて、ありがとう」と言われました。それは政府が仕組んだ巧妙なキャンペーンでした。 「戦争反対」と言わせず、徴兵拒否もさせない。そのためには、法律や罰則よりも、「ありがとう」のキャンペーンが絶大な効果をもたらしたのです。
 

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その通りだと思います。「日本人の美徳」論は、真実を覆い隠しています。
 
そうするのは、そうしないと社会的制裁を食らうからです。

それを、日本人に特有の「美徳」で片づけるのは、よっぽど思慮が浅いか、
 
わかってやらせている悪質な為政者かでしょう。

 
私の地元にも、ずっと美談として語り継がれてきた「人柱伝説」があります。伝説によると、
 
暴れ川の氾濫を鎮める人柱(神様への供え物、生贄)として、謎の見知らぬ老人の提言をうけて
 
指名された村の少女おいち(仮)と家族はこれを受け容れ任務をまっとうしました。おいちは
 
人柱として俵に入れられ濁流に放り投げられて、死にました。人柱のおかげで川の氾濫が鎮まって
 
村人たちが助かったという話です。それが、郷土を救ったおいちの伝説として、地域教育や
 
学校教育で教えられてきました。私が小学生の頃も。「おいちはみんなの為に、いいことをした」
 
「おいちは優しくて立派」「おいちのおかげで、川が鎮まって、村のみんなが助かった」
 
そんな感想を、子ども達は空気を読んで、述べ合います。

 
でも、これは美談ではなくて怖い話です。
 
不運にも指名された少女と家族は、そうしないと一家は村八分に遭って生きて行けなくなるから
 
そうしたんです。それは、物語の中でも出てきます。
 
衆議一決、人柱は10歳になったばかりのおいちに決まった。父親が反対すれば、掟に従い
家族もろともこの村を出て行かなければならない。父親の話を聞いて、母親は
「娘ばどうして差し出さなきゃならんとですか」と亭主の胸を叩きまくった。
そんな夫婦の会話を襖の向こうで聞いていたおいちが言った。

「私が行かなければ村中が困るとじゃろ。
断れば、父ちゃんも母ちゃんも村にはおられんごとなるとじゃろ」
 
そうやって命を差し出すことになったのに、その強制的な状況(核心)を完全スルーしたまま、
 
少女の親孝行、少女と家族の地域への献身、自己犠牲の美談として語られています。


 
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こんな野蛮な美徳教育は、さすがにもう地域や学校ではなされていないでしょうけど
 
それと同じような処理の仕方が、コロナ下の日本やブラック企業内ではまかり通っています。
 
 
日本人特有の美徳とされるものには、そうする条件というのがあって
 
その条件なしには、その「美徳」とやらは発揮されません。
 
その条件とは、そうしないと社会的制裁が待っている、そこでのポジション取りに不利になる、
 
評価が下がるといったものです。
 
だからやっているだけのことを、日本人の美徳にすり替えて語るのは完全に的を外しているし
 
レベルが低い…。
 
戦時下で、息子の出征を断ったり、血に染まったイモムシみたいな姿でハエにたかられて
 
蛆虫がわいていて無言帰還した子どもを見て
 
「どうして、私の息子をこんな姿にされないといけないの?!絶対に許さない。」
 
「なにが万歳?!ふざけないで!!頭おかしい!」「私の子どもを返して!」
 
と泣いて叫んだら、その母や家族はどうなったか、みんな知ってることです。

 

   

   



日本では、お中元やお歳暮はさかんに贈り合うけれど、匿名の寄付は全然普及しません。
 
 
損得勘定では動くけれど、それなしでは、圧倒的多数の人は動かない そんな国だと私は
 
思います。この国が美しいとか民度が高いとは一度も思ったことはなく、醜い国だと思います。
 
育児休暇や生理休暇をとる人や、サービス残業しない人を、「人の迷惑考えない自己中心的な人だ」
 
と叩く野蛮な国です。


 
ありがとう とか この姿見習おう とか 美しい国民性 といった、
 
程度の低い欺瞞に乗って肩入れする愚かしさから早く、目を覚ますべきだと思います。
 
 
 
 
 
 
 

おいちが犠牲になって村を救ったという話までを、伝説として聞いていたのですが
続きのストーリーもあり、
 
1週間経ち、おいちの冷たくなった遺体が見つかった時に、人柱を提言した謎の見知らぬ老人が
再度現れ、唇が黒くなった我が子を抱きしめる母をどかせて、その遺体を抱いて
「おまえは村中を救った賢い子じゃ。こんなよい子を神さまが見捨てるものか」と
撫でながら呟くと、生き返った
 
というものでした。「神は優しい子を見捨てない」と、書かれています。

この続きのストーリーは、輪をかけてタチが悪いです。おいちを人柱にしたことを
誰も断罪されずに済み、罪悪感や責任を感じることから逃れられています。
人柱に抜擢されて、それに反対する村人はおらず、実際に遂行された時点で
十分、おいちとその家族は神に見放されている。

万が一生還したとしても、この行為を受けた哀しみ、見捨てられ感はなかったことにはできない。
より厳密には、もし遂行に至らずとも、おいちの人柱に誰も反対する村人がいなかった
という時点で神に見放されている。遂行如何、生還如何にかかわらず、その深い傷は変わらない。
 
白羽の矢が立って強制と変わらない状況をガン無視して、「優しい子だから神から見捨てられずに
生き返った」とはあまりにもムシが良すぎるストーリー展開ではないでしょうか。
俵に入れられてあばれ川の濁流に放り込まれて一週間後に冷たい体で見つかって、
「優しい子だから」生き返るわけなかろうもん。
 
 
小学校の時に受けた郷土教育の授業の時に、感想を言う番が私にも回って来て
「おいちが可哀そう」と言いました。すると、他の子達や語りべのおじさんから
「でもおいちのおかげでみんなが助かったんだから」「みんなの為に命を差し出した
おいちに感謝しよう」との旨、諭されました。

 
 
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