私はグラフィックデザインの夜間学校に通っていた時期があり、じきに辞めた
のですが (調和 相対的ニーズ=虚栄 (仮)無題 刺激教②)
その学校で思ったことを、前の記事を書いた時に思い出しました。色々な作品
(Macを使って作成したものが多かった)を作って互いに掲示して鑑賞し合い、
品評し合うというのがありました。素人だと、誰かの作品を見て、それにどんなに
難しい技術が使われているかとか、その技法はとても根気のいる作業とか、お金が
かかっているとかお構いなしに、いいとか好きじゃないとか、ありのままに感じる
でしょう。それは非常に煩雑な工程と労力、費用を要した作り手にとっては
「そんな殺生な」っていう位わがままで配慮なしの問答無用で、何も難しいことは
していないし手持ちのあり合わせで作った作り手にとっては嬉しい態度でしょう。
でも、その作品展示では、学生がなまじ玄人になっているから、どういう技術が
使われているか、それがどんな難易度か、すごいかすごくないかという観点で
作品を鑑賞し、優劣を競い、決めます。そこでは、素人目には全然良くない作品が、
難しくて煩雑な技法を駆使している「優秀作品」として持ち上げられ、ぱっと見て
とてもいいと(私などには)感じられる作品が、簡単な技術しか使われていない
「クソ」みたいにあしらわれ無視されました。
でも、なんの知識も技術もない一般人が見るのだから、その職業に入り浸っている人達の
都合とか、関係ない筈です。ぱっと見て、いいものは、どんなに技術的に簡単でも、
製作費が安くてもいいし、よくないものは、どんなに難易度の高い技術がこれでもかと
散りばめられていても、よくないんです。
私は、その学校での評価の仕方・優劣の判断の仕方に疑問をもち、「玄人」になる程、
「素人」のありのままの感受性が失われてしまうのはいやだと思いました。素人は、
その職業人の都合とか関係なく、いいとかよくないとか感じるのですから。それを、
「それは君が何もわかっていない素人だからだ」「それはよくなくて、これがいいのだ」
と、誰かのありのまま感じたことを否定して、別の認識に歪めようとするのは
おかしいと思います。こういうのって、アートやファッションの世界で特によく見ます。
料理の世界でもそういう人がいました。バイトしていた旅館の料理は宿泊客に評価されて
いませんでした。「おいしくない」「がっかり」っていう感想。でも料理長の女性は
「下品な舌で困るわ」と言って、自分は一級品を出しているけど客の舌が
わかってないだけだと、他の従業員の前でメンツを保っていました。
でも、宿泊客が不満だと言っているのです。旅館に来たら、楽しみの夕食。
刺身があって、小さい鍋があって…という通常旅行客がもつ期待とは外れたもので
ブーイングが起こっているのに「お前らが下品な凡人なんだ」と料理長は言ってました。
私の経験からの法則では、料理人でも芸術家でも弁護士でも医師でも建築家でも、
優れた職業人ってありのままの素人目で見て優れています。素人の感受性にも
引っ掛かりの抵抗がない。業界内部の都合は外部の人(お客さんとか聴衆とか
依頼人とか患者)とは関係のないことを知っていて、業界の都合を客に汲ませる
ことは道理から外れていることを知っています。
優れていない職業人は、その都合に迎合しない人を疎ましがったり、無知だと
蔑んだりする。無知なのはその人の方です。その蔑みは甚だしい的外れです。
外部の人が、その職業人内部の都合に阿(おもね)って思考しないといけない道理は
ないのです。優れた職業人・一流の人は、相手が素人のままで大丈夫だし、素人のままの
感受性からも違和感や引っ掛かりががない。これは、私の経験からの法則です。
ただ、日本では、優れた職業人は少数派だと思っておいた方がいいと思います。