無差別事件が起きた時に、その犯人をよってたかって糾弾し、断罪する
TVのコメンテーター、キャスター、有名人のTwitter、ブログ…
「許せない!!」「犯人に最大の罰を!!」と著名なタレントが言う
「社会に何の恨みがあるのか」「どんな生まれ育ちをしたのか」 と小柳るみ子が言う
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こういう断罪の嵐に、いつも違和感を覚える。こんなことを言うと一手に
「お前は犯人を味方するのか」「とんでもないやつだ」「遺族の気持ち考えろ」とくる
日本はいつもこんな風
まるで、自分はその構造の外にいるかのように、本人をつまみあげて糾弾する。「蚊帳の外」から叩く
自分にその資格があると思っているからああいう糾弾ができる。知性がない
人の頭を踏みつけている人が、そのことに気づかないまま人の道を説く…
永山則夫のことを思います。
「理性の手段化」 久野収
本来理性とは、より普遍的に用いられて然るべきところを
ピンセットで恣意的にピックアップしたものだけに理性を吹きかける。
その「理性」は、その時の都合で恣意的につまみあげたものにだけ用いられる。
こういう事件が起き、犯人叩きの嵐が一斉に湧くとより一層、日本が生きづらい殺伐とした社会になる。
もっと言えば、そういう行為はこのような事件を起きなくするどころか加速させていく。
蚊帳の外から激しく叩く人達はそれが起こった社会に加担していないとでも言うのか
あなたは日々どういう構造の中でどういう立ちふるまいをしている
自分には関係ないと思ってる 知性のない社会は無責任社会
なにかが起きるとその人をつまみあげて 激しく糾弾する
そのことのおかしさを言うコメンテーターやキャスターはいない