れいわの党名のことにも関連して…
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※9/21釧路での街頭演説で、山本太郎さんは指摘にこう答えています。彼は今、衆議院選の政権交代に向けて全国行脚をしています。
れいわ新選組山本太郎 北海道 釧路駅南口 2019年9月21日 4:30~ 9/24挿入
4/10に党(正式には政治団体)を立ち上げて参議院選までの3ヶ月の間に、より広く、党名を覚えてもらうために、誰でも知ってる名前をつけたそうです。
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賢い教養人たちと大衆との間の壁みたいなものがあります。インテリジェンスの高い人達と大衆の相容れなさです。
大衆は、自分たちの為に献身している人達を、理解できないゆえに見下して侮辱の罵りを向けたりして
自分を苦しめつづけている人達に自発的にさえ隷従するのは、昔も今も変わらないことです。
これは、目覚めゆく広場――15M運動の一年の監督ジョルディ・オリオラ・フォルクさんも言ってました。
だから、労働運動家と、大衆=下層に位置する労働者たち がつながらないって。
例えばれいわ新選組という党名も、天皇制に反対するインテリの人達には当然受け容れられないものですが
世の中の圧倒的多数は大衆であり、そんなに教養深い人達ではなく、その大衆が票の広いフィールドとなっています。
高いインテリジェンスを備えた人達にとっては許せないことでも、
票を獲得するために戦略としてやる。そうしないと、今までと同じで、政権を倒せない。
現政権は、大衆の習性を利用して操作しています。これに対抗するにも、大衆に訴えなければならない。
でないと風前の灯みたいになってしまう。インテリ層は、非常に少数派です。
私の親世代だと、大学の歴史研究会(歴研)とかで、徹底的に天皇制の歴史を研究していたと言います。
今のふわふわした大学生とは違います。そういう世代の人達には、とてもひどい党名だと呆れられるでしょう。私の親も呆れていました。
でも今の時代は、違うんです。そんなフィールドの中で政権を狙わないといけない。
と、私は理解しています。理想を手放してはいけないけれど
理想に少しもぶれずに、純度100%で忠実に進めようとすれば、何百年かかるかわからない。
"Perfectionism is the enemy of creation."
戦略というものが、社会を動かすには必要になります。社会を構成する圧倒的多数は大衆なのですから。
敵は目的のためには手段を選ばない汚い人達なのに、こちらが丸腰である必要はありません。
同じくらいしたたかな策士でなければ、政権交代はできません。
インテリの教養人には、山の湧水のように澄み切ったPurenessを持った人達がいます。
彼らの理想は高く妥協を許さず清らかです。それゆえに、許せる閾値が低いことがあります。
そんな人達を見ていると、好きになって、その純粋さ、ひたむきさ、真っ直ぐさに胸が苦しくさえなります。
彼らの言っていることは、歴史の中で永遠に価値をもって光り輝くとしても、
今いるこの社会を早く変えることができません。世の中の圧倒的多数は大衆です。
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いじめをする人達に、品位をもったガンジー的な非暴力で対応して、かれらの心が入れ替わるのを待っていても
いじめは止みません。いじめられっ子が苦痛に耐えかねて自殺してしまいます。
理想に沿っている間に更なる惨劇が起きます。
だから、本当はそのやり方は理想からはほど遠くでも、被害を止めるには、さらなる惨劇を止めるには
いじめっ子を、力をもって止めさせる必要もあると思います。ていうか、これは哀しいほどに効果覿面です。
いじめの矛先が他に向かうだけ、犠牲者が他の人に遷るだけ… かも知れないけど。
力でしか動かない人達=力によって突如行動を変える人達をブリヂストンでもたくさん見て来ました。
理想を追っている間に、被害が派生して、更なる惨劇が起きないようにしたいです。
(関連:この哀しい社会の中で 哀しい摂理 教養人と大衆の壁 William Morris as real Socialist Better is the enemy of Good)