”見せかけの非利己主義のすぐ後ろには、かすかな、だが同じくらい強烈な自己中心主義が隠れている。”
「愛するということ」エリッヒ・フロム
非利己主義に見えるけれど、実のところ自己愛を満たしているだけのケース。
非利己主義という正面像の陰に、巧妙にではあるが、強い自己中心性が隠されている
(Erich Fromm, The Art of Loving)ケース。
(Erich Fromm, The Art of Loving)ケース。
それは極めて高度に、立派に見えるように見栄え完璧になされていて、鋭い洞察がないと
本質がわからない。自己愛を満たすためにやっている利他的(にみえる)行動は、
こんな風に見栄えを整えながら行われる。理路整然・良心・正義・高尚高邁・「あなたの為」
「みんなの為」「社会の為」・純粋で世間擦れしていない天然素材。
こんな風に見栄えを整えながら行われる。理路整然・良心・正義・高尚高邁・「あなたの為」
「みんなの為」「社会の為」・純粋で世間擦れしていない天然素材。
でもそれは巧妙に作られた見栄えであって、実のところ、当人の甚だしい自己中心性によって
行われているケース。
私が思う、その見分け方は以下の通りだ。
その天然由来あるいは汚れなき清き心由来あるいは理性由来の思いやり 優しさ 良心は、
その人を評価する他者(世間)に向けて必ず発動されるが、その陰で同時に、毎回、
ある特定の人の権限・権利・感情・欲求・希望を無視し棄損し蹂躙している場合、
それは非利己主義という像を装いながら、強い自己中心性で動いている証である。
その人を評価する他者(世間)に向けて必ず発動されるが、その陰で同時に、毎回、
ある特定の人の権限・権利・感情・欲求・希望を無視し棄損し蹂躙している場合、
それは非利己主義という像を装いながら、強い自己中心性で動いている証である。
人にいい顔する為に行うその行動が、常に、ある特定の人の権利や感情を無視している法則。
不思議な法則。
不思議な法則。
その人にとって、その特定の人からはいい人と思われる必要がなくて、かれの権利や欲求や感情を
常に無視している。
人にいい顔しながら、ある特定の人には常に必ず残酷冷淡。
不思議な現象。
不思議な現象。
これは果たして本当の良心、常識、知性、理性であろうか。Noである。
これが私の思う、非利己主義に見せながら利己主義で動いている
自己愛性質(ナルシシズム)への気づき方である。