権威のパラドックスで書いた、伝説の組合専従さんの話です。
彼のもとでは、議論に乗せてはいけない意見などなくて、あらゆる異論や意見や提案を、ありのまま受けとめ
議論に乗せます。色んな意見が出されるのは彼にとっても見識が深まるという姿勢です。
だから、自粛とか空気読んだりすることなく、色んな意見を出すことができます。
例えば、もしその専従さん個人の理念が、排外主義にNoであっても、「中国人労働者はよ~働きますよ、みんな」などと
調子を合わせる必要はなく、「中国人労働者は仕事をさぼって裏で商品在庫を食べている」とか
「お釣りの一部を自分のポケットに入れる」とか「店長の前では働いて、僕しかいない時にはさぼってる」
「真面目に働いている人に仕事を押し付けて、かれら同士は(自分たちにはわからない)中国語を話してその人を笑っている」
「やさしさに漬け込まれていやなことをグルになって押しつけられていた日本人労働者が辞めて行った」といった話も、
自粛する必要はありません。また在日韓国人や被差別の人達の社会的実態や体験談はあるのですから、
言ってはいけないことではないはずです。差別と闘うかどうかで生き方が分かれると、解放運動に携わってきた人が
言いました。彼女が出会った差別と闘う知性ある人達は少数派であり、そうでない生き方になる人達がより目立ちます。
そういった実態を議論に乗せて、お互いの見識を深めたり、考え方の整理をしていきます。
それができないなら、カルト教団のようになってしまいます。教祖のイデオロギーに楯突いたとなります。
実際に起こっている現象を含めて、考えは成熟させ分別整理されなければなりません。
イデオロギーを称えている人達は、底辺や生活の現場を知らないで、観念を言っていることもしばしばあります。
生活現場での実態を突きつけられてそれでも排外主義にNoだという精神を説明できないなら、
ただ題目、号令をなぞってるだけのスピーカーなのかという疑いもでてきます。
題目でないなら、自分の言葉で答えられるはず
実際の労働の現場や生活の中で、上のような経験をした人達(外国人労働者に対するこういう体験談はたくさんあります)
には、外国人労働者の権利を守れと言われても賛同しがたいものがあります。その前に自分の権利を守ってくださいと
思うはずです。外国人労働者は出て行ってくれと思っている日本人労働者もいます。私の知ってる人で、差別せずに
庇って仲間と思ってやってきたけれど、その誠実さに対して返ってきたものはグルになっての利用と軽侮した扱いで、
結局自分が辞めることになって精神を病んで人間不信になった人がいます。
差別せずに仲間と思って接し続けたその人が「外国人労働者は出て行って欲しい」と言うに至っています。
そういうことを含めて議論し、考えを成熟させていくことが必要だと思います。
現場で苦しんでいる人達が、現場を知らない人達から、高尚な精神をもてと言われているようにならないように。