1人では弱いから団結する、このことを、ずっと当ブログにも書いてきました。(参照:仲間・支援者たち)
かつ、私は個人的にはこう思っています。
1人で闘わないで組織をバックにつけてしか闘えない人は信頼できない。1人では闘わなかったという事実。
夫の支配下で自身もDVを受けていて、自分の家族を何人も殺害した女性は死刑にはならず無期懲役になり、支配して
命令していた夫にだけ死刑判決が確定した事件があります。DV被害者支援団体から女性への減刑の要請が出されていました。
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北九州の事件の緒方被告
一審の死刑判決が二審で無期懲役に減軽された。二審では、性暴力被害の専門家の法廷証言、性暴力被害者団体による刑の酌量軽減を求める署名など、判断力が著しく低下していたとして酌量減軽が求められた。上告審で、最高裁は検察側上告を棄却する決定をし無期懲役が確定する。
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死刑制度への議論は保留にして、支配されていたら、許されるのかという疑問を私は抱きました。
支配されていたのだから、許していいのか。今でもその疑問は継続中です。
1人だったから、合わせるしかなかった 迎合するしかなかった 同調するしかなかったという考えもです。
社会を作っている一員としての役割を放棄する無責任さを思います。1人でもなんらかの形で闘うことはできるでしょう。
正面切ってできなくても、色んな形で闘うことは、できるでしょう。誰かへのいじめが起こっている時にもです。
1人だったからなにもできずに合わせるしかなかった というのは、おかしいと思います。
私が自閉症spだからそう思うのでしょうか。合わせないで正しいと思うことをすることは、色んな形でできるでしょう。
1人ではなにもした痕跡がない人が、安全地帯から偉そうなことを言っても虚しいです。
何に所属してもおらずバックもない中で1人でも闘ってきた人を、私は賞賛し信頼します。
守られてない地帯で、なにをしたかが本当のことだと思います。
ウォーボンネット:War bonnet:「戦の帽子」と呼ばれるこの羽冠は、ゴールデンイーグルの羽から作られている。インディアンを象徴するこの羽冠は、単なる装飾品ではなかった。羽の一枚一枚が戦場での命懸けの手柄を表していたからである。羽は戦闘における勲章であり、頭飾りが長いのは勇敢な戦士である事を意味している。必ずしも大酋長などが被るものではなく、実力がある者が被ることを許されている。
マーシー(真島昌利)がこれ被っていました。とても似合っていました。