石橋を叩きながら、いつでも修正しながらという姿勢でことを進める慎重な態度を
「完璧主義」「完全主義」だと揶揄する人達がいる。それは誤りで、
そうしない人達の方こそ言ってみれば、完全主義である。
無謬でない 万全でない 弱い 誤りを犯す 何があるかわからない不確実性を前提にしている
からこそ、そういった慎重で臆病なグラデュアリズムをとっているのであってそうしないで
「大胆に」「度胸よく」「思い切って」「決断力を発揮して」 物事を「決行」する人達こそ、
人の弱さ 未熟さ 不完全 盲点 を想定しない、言ってみれば完全主義である。
傲慢なばかか詐欺師のどちらか
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人の誤りやすさ、未熟さ、なにが起こるかわからない不確実性を念頭に置き、わからないこと自体を
危険の一部とみなし危機意識をもってやるならば、とるべき行為はおのずと絞られ、決まってくる。
不確実性を前にして今とるべき行為の選択肢は、そんなに迷う程、思考の海原に広がっていない。
なのにその真逆のことをする人達が、今日の日本では喝采して歓迎され担ぎ上げられる。
堂々ぶった勇ましさ、歯切れよさに、思慮のない人達はついて行く。ついて行ってはダメなのに。
メモしておいた電話番号の紙の右端の数字が破れて切れているだけならば、心配事は
それ止まりですむ。0~9のどれかだから。それを、その隣の数字もまた隣の数字も、
他の数字たちもわからなくしていくようなことをする人達が担ぎ上げられる。
枠内に囲われていた心配事を、手に負えない大海原に放出するようなことをする人達が
担ぎ上げられ続け、エントロピーの増大はとどまることを知らない。
心配事をこれ以上膨らませずに、それに着実に対応し収めていく人が有能な人な筈なのに
限定されていた心配事の範囲を、桁外れにもう誰も把握できない規模までに広げて
無限大に垂れ流す無能極まりない人が喝采をうけて担がれている。しかもそんな
破壊者 タガを外しまくる人が、あろうことか「保守」を自称して喝采されている。
こんなさかしまな国がどこにあるだろうか。
Pretenders speak Loud