自分に嘘をつく自己欺瞞は、本人だけでなく周りの関係者にも
大禍をもたらす。子ども、家族、パートナー、部下、統治下にある人々…
自己欺瞞は、さらなる欺瞞をエンドレスに産んでいく。
最初の大きな嘘を覆い隠す為に、絶対にそれに自分と他者に触れさせない為に
行う自己欺瞞は、死にもの狂い。開かずの扉に触れさせてはいけないから…
Never touch.
sono tobira niwa huretewa dame 蓋を開けるやつは許さない
欺瞞の強い嘘つきは、常にその正当性を一見完璧なまでに塗り固め、取り繕う。
その態度は一見、堂々風で、自信ありげで、毅然風で、動じない調で、強靭風である。
しかし実際にはその逆で、非常に脆弱であり、無責任な状況を引き起こし、それに
何の責任もとらない。甚だしい幼児性。それが、欺瞞者の本性。
彼・彼女の、堂々風、毅然風に騙されてはならない。
そういえば、欺瞞の強い嘘つきには、ステロタイプに基づくポージングという特徴がある。
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ステロタイプ:紋切型。 常套的な形式。 また、型にはまった画一的なイメージ。
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いくら知識豊富で知性的で教養深いはずの人や、俗世離れしている芸術家のはずの人でも、
なぜか、俗世間でまかり通っているステロタイプに無意識はがんじがらめで、
それを周到に真似て演じるという特徴。
cut and dried appearance
例えば、「自信がある」とはこういう風だというような、上記したようなステロタイプ。
漫画やドラマに出てくるような「自信がある人」像をなぞっている。
良識的で真っ当な人はこういうしゃべり方だ という真面目ぶった印象操作
まともな親とはこういうしゃべり方だと という像をなぞった自己演出
芸術家とはこういう居ずまいだ という俗世の像通りになぞった自己演出
表面的にしかものを受けとれない人相手だとそれは成功を収める。
「良識的で真っ当な人だ」「しごくまともな親だ」「芸術家だ」と。
容易に騙せるチョロい人達が多いから、そういう印象操作をやめない。
でもそういえば、落ち着いて考えてみると、自信がある人の佇まいや
まともな親のしゃべり方や芸術的な人の佇まいって、世間のステロタイプとは
全くあるいは殆ど関係がない。何をやっているかがその人の真実なのであって。
かれらは「自信がある人でございます」「まともな親でござい」「芸術家でござい」
然とはしていなくて、ただの普通の人。ただの生活者。だけどやってることをみたら
芸術的な生き方を素でしている人だとか、ふわっと気づく そんな風だ。
そして紋切型にとても合致した人こそ、実態は真逆である可能性が高い。
それは既存の型(決めつけ型)によっかかって、他者に自分をそう見せようと
欺いているだけの人達。
既存の型によっかかるのは、彼・彼女に中身がないから。
素で中身があったら、そんな紋切型・像など必要ないもの。
中身がないから、よりかかり、自分はそれだと装う型が必要なのだ。
hollow inside
特に芸術家においては、芸術とは最も縁遠い中身の人が「芸術家でござい」と
していることは日本において、よく見られる風景である。
クリスチャンや仏教徒にも言えて、一般人よりも神や仏の教えとかけ離れた、劣情まみれの
生き方をしている人が、クリスチャンでござい 仏道にいます とアピールしていたりする。
書かれていないこと 知行合一 先ず其の言を行い、而して後にこれに従う
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裸足になって 座禅を組んでも 結局何にもわかりゃしないだろ
日々の煩悩の中で気付かなきゃ 結局何にもわかりゃしないだろ
裸になって滝に打たれても 結局何にもわかりゃしないだろ
日々の煩悩と欲望の中で しっかり確かな手応えがあるぜ
君は笑われたことがないんだろう 笑ってあげる 笑ってあげる
眉間に皺を寄せてる君を 笑ってあげる 笑ってあげる
苦行の果てには 何が見えたんだ 難行の果てに 何が見えたんだ
君が偉そうに言ってることなど とっくに俺は気づいてるんだぜ
君は笑われたことがないんだろう 笑ってあげる 笑ってあげる
眉間に皺を寄せてる君を 笑ってあげる 笑ってあげる
わっはっはっはっは…